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⑦日本から大東亜戦争という言葉が消えた?

昭和20年12月8日から17日にかけて、日本の新聞各社に『太平洋戦争史』が掲載されました。
この記事は10回に渡り全国の全新聞に掲載され、文章はCIEのスタッフがまとめました。
この文章では日本人であれば当然、大東亜戦争というべきところを全て太平洋戦争と言い換えました。
つまり、日本人の意識にある『大東亜戦争』をCIEがこしらえたアメリカの物語である太平洋戦争というものに置き換えようと企図されたのです。

さらに、この連載のラジオ版である『真相はかうだ』という番組を日本放送協会(NHK)に放送させました。まだテレビなど無い時代です。
この番組は昭和20年12月9日から昭和21年2月10日まで続けられ、更に『真相箱』『質問箱』と題名を変えて昭和23年1月まで続けられました。

この放送はもちろんCIEが脚本・演出したフィクションなのですが、満州事変以降の日本の軍国主義の実態を暴露するドキュメンタリー仕立ての番組となっており故意に捏造・歪曲した部分も多かったのです。

この放送の中で当時の日本人がたいへんなショックを受けた放送が2つありました。
1つは『戦争中のマニラ』もう1つは『南京の暴行』と題されて放送された日本軍による残虐行為でした。

当時の日本人は軍規正しく振る舞う『皇軍』というものを完全に信じていました。
それに対してCIEはWGIPの発動として『日本人はこんなに道徳的に劣った行動をした』『残虐な行為をした』ということを衝撃と共に日本人に擦り込めるような題材をこの連載と番組で描いたのです。

その代表例が『戦争中のマニラ』であり『南京の暴行』でした。

たしかにマニラでは昭和20年2月から3月にかけて日米両軍による市街戦が展開され、その結果として多数のフィリピン人が犠牲になりました。
市街戦を避けなかった日本にも責任がありますが、それを承知で挑発、攻撃をしたアメリカにも応分の責任があるはずなのですが、一方的にことさら日本軍の残虐行為や残虐性のみがいたずらに強調された話に捏造されました。

それから『南京の暴行』というのは、今日では『南京大虐殺』といわれている例のアレです。
これは『支那事変』のさなか昭和12年12月に南京攻略戦において日本軍が無辜の支那市民を大量虐殺したというホラ話です。

日本軍の軍規厳正を信じていた日本人の多くはいったい真実はどうなのかと考える前に衝撃を受けてしまいました。

しかし、それこそがCIEの狙いだったのです。

戦後の虚偽の大本営発表と同時に情報が流れてるもんだから、『そうかもしれない?』となってしまいました。
ショックを与えることが人間の精神や思想にいかに影響を与えるのか?
この実験に絶大な効果があることが証明された事例と言えるでしょう・・

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