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人間の幸せとはにか。。人は何を思い幸せと感じるのか。
前記事の「人が生きる理由」とリンクしてくる部分だが、是非最後まで読んで頂けると幸いです。

科学的に言うと「幸せ」とは脳内でオキシトシンが一時的に多く分泌されている状態のことのいう。

つまるところ、前提として「幸せ」とは一時的なものであるから幸せと感じるのだ。

桜が綺麗なことも、人間の命が尊いことも全ては限りがあり、終わりがあるから尊く感じ、その瞬間幸せを感じるのだ。
プラスチック製品のペットボトルをみて情緒が無く尊いと感じられないことと同じである。

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■幸せの感じ方と心の持ち方

パターン①

「不足していることが満たされる幸せ」

幸せを感じることの第一歩として、私が思うに何かが不足していることを知り、それが満たされることで感じることが幸せを感じる第一歩であると思う。

極論、何かが不足していることをまず知る事で幸せを感じる感度が一層高まる。

例えるなら、「健康」など引き合いに出しやすい。
日々何気なく生活できていることを改めて体調が悪かった時の自分と照らし合わせた際に、いかに今元気でいられていることが幸せであるか気付かされる。

他の誰もが持っているもので例えるのであれば「若さだ」。
若い時はもちろん若いことが当たり前で、よく人生の先輩方が若い時に好きなことをできるだけした方がいいという言葉を何度も聞いたことがある。
その言葉の重みをそれほど深くとらえてはいなかったが、改めて自分自身に問いて欲しい。今からでもそれに気づき、少しだけでも幸せだと感じてこないだろうか。

一方で、逆説的発想になるが過去充足していた頃を思い返し幸せであったと気付かされることも往々にして存在する。
恋人と突発的に喧嘩し別れてしまい、次の日にはその喪失感から幸せであったことに気がつくなど、枚挙にいとまがない。

パターン②

「付加的価値の創出による幸せ」

自らある物事に想像を膨らませ挑戦したことにより、自分の期待値通り、もしくはそれ以上の結果から感じることができる幸せ。

ディズニーランドで例えるなら、初めアミューズメントパークにいく際は、未知のものに対して正直不安を抱えながら行き、幸せを感じる状況とは縁遠い状況だ。
しかし、どこかのタイミングでここな楽しい場所だ!と気がつき幸せを感じる。(ここでピークエンドの法則と言う人間心理の考え方があるが詳細は是非また別の記事で記載したい。)

このように経験の中から自分自身にとって何を幸せと感じるのかイメージの礎が出来る。ある意味一度経験した幸せに対して行動が伴うことが大半だ。

別で例えるなら、家族、恋人、友達へのプレゼントなどもプレゼントをあげ相手がよろこぶことにより、幸せを感じ、さらに言うと幸せを感じているイメージが実現したと言う幸せも感じることができる。

パターン③

「想いの連鎖反応から生まれる幸せ」

パターン①とパターン②が連鎖し起こる幸せの形だ。自分の好きなものや好きなことに触れている瞬間、連鎖的に様々な幸せえに気付くことができる。

例えば、イタリアンについて、、
イタリアンはカジュアルでお店に入りやすく、店内は穏やかや木目調の雰囲気でありジャズや落ち着いた曲が流れ、パスタは美味しいものだ(=幸せ)。
と言う経験をしていると、見知らぬイタリアンレストランをみた際にも、具体的な幸せイメージから新たな幸せを感じることができる。

もっと分解していくと、お腹がすいたと言うことに対し、ご飯を食べることは幸せなこと、と言うことはお腹を満たせるレストランという場所は幸せを感じることのできる場所、さらには美味しいものは飛べることは幸せである、と論法付ができ先ほどのイタリアンの話に回帰することができる。

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■結局何が言いたいの??

「幸せ」という定義は人それぞれ定義が異なり、もちろんその人の価値観、人生観、宗教、文化、年齢など様々な要因で変化してくる。

しかし、これら「幸せ」について因数分解していくと、「幸せ・幸福感」の感じ方の系統は同じではないだろうか。

幸せを感じることは人が生きることと密接に関係しており、こうした「幸せ」について今までの認識とは少し違う側面に気がつくことにより、一層生きる事に厚みが出れば幸いです。

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