らんさぶ
徒然にハイラル王国を旅した日記を書き残しておく
DrawThingsAppについて見つけたものをまとめています
このお二人のエッセイは、テンポが良く、クスッとさせるところもあり、とても読みやすい。 お互いの境遇にも、似ているところと、活躍している分野の違いそれぞれあるが、ここまで胸襟を晒すことができる関係が羨ましい。それを本にしてしまうところはお二方共に共通する性なのかもしれないが。 お二人ともエッセイが本になっているが、それも重たくなく、見栄を張ったものでなく(実のところはわからないが)そういう文章表現でまとめられるところがプロの所以か。 こうして感想や思ったことを気ままに書い
牛丼屋で隣に座ったお婆ちゃんと年長さんらしき孫。 やがてきた牛丼はキングサイズだった。初めてみた・・ 小さな器によそい食べ始めた。なるほど。と、カレーも到着。 え?どいうこと? 器を入れ替え、カレーをシェア。 美味しそうに食べていたが、あのキングサイズがどうなったのか気になる
確かにタイトル画像は大切。もう、どうみても美味しそうな画像が出ているだけで、クリックしたくなるのは間違いない。 間違いないのだが、いかんせん、タイトル画像は横長。そして美味しいハンバーガーは縦長。この美しく積み上げられたフォルムをタイトル画像にしようとするとどうしても縮小せざるおえない。おえないのだが、それでいいのか!いやよくない(反語) なので、同じ画像をもう一度全景で表示する羽目になるが、それは仕方がないこと。それがこれ。 素晴らしい! タイトル画像では上1/3しか見
光る君へ 道隆も父と同じく最後は思い出の句を読んでいる。 ここから辞世の句を読むようになるの? 毎回、ついつい呟きたくなる内容が45分間に満載。 人の感想も思わず読んでしまうが、この時代の解像度(本当のことは誰もわからないが)の違いで感想も違ってくるので、つい読んでしまう。
サンドイッチで続きがあった。今度のサンドイッチはきゅうりのサンドイッチ、魚肉ソーセージのサンドイッチ、クラブハウスサンドイッチ、柿ジャムのサンドイッチ、鶏つくねのサンドイッチ。 そういえば、幼稚園の頃のメニューにきゅうりのサンドイッチがあった。きゅうりは嫌いではなかったが、マヨネーズと合わさった時の青臭さがどうしても我慢できず、きゅうりだけ抜き出して食べなかった記憶がある。卵もお酢も嫌いではないのに、それが合わさったマヨネーズはあまり好きになれなかった。青臭さもきゅうりの塩
とうとう本編に手を出してみる。と言っても現代超訳。300段を現代語訳でしかも「なりきり」だけあって言い回しがとても読みやすい。 そして訳の下段には、書かれた時代の文化や、背景などが挿絵も込みで説明されている。 これまでに、いろいろと関連書籍を読んできたので、日記的(回想的)章段はどれも知っている内容。ただ、中宮との初めてのシーンなどがかなり後に出てきたのに驚いた。書いていた時期からすると、すでに定子様は身罷れた後の時代になるので、思い出しながら、書いていたのは間違いなく、ど
名画で読み解くハプスブルク家12の物語 650年続いた王朝。婚姻による欧州支配は有名だが、その代償が大きすぎる。これほど長きに渡って誰もそれを変えようと思わなかったのか。変えなかったからこそ続いたのか。それがあるから皆、激動の人生だったのか。 次は英国版を読んでみたい。
NOTEのトップ画面が始めた頃と随分変わった。 「今日のあなたにおすすめ」もだが興味をひく記事が表示されるのだが、大河、清少納言、キーボード、枕草子、源氏物語、Keychron、日本史、藤原道長、って偏り過ぎだ。 おすすめってはネットの中で特によく使われる技術で、広告はその最たるもの。欲しいものや、集中してみたいときにはすごく便利。 便利なんだけど、今のトップ画面のようになると、視野もすごく狭くなる気がする。本屋に行って、好きなジャンルの棚しか見ない、みたいな。昔は新聞、雑
舟を編む 終わってしまった。辞書に興味が湧いてくる、言葉一つ一つを丁寧に扱う良いドラマだった。終わってしまうのが残念すぎる。 辞書特有の匂いと手触り、捲り心地。ぬめり感。漢字だと滑り感。「すべる」じゃないんだ。 図書館で中型辞書を探してぬめり比べしてしまった。
「伊周と隆家がどうしてそのタイミングでそいういうことするのか」と思ったばかりだが、その日の「光る君へ」のキャラが、そういうことをやりそうな言動になっていて、ちゃんとイメージ通りに描いていることに感心しきり。 史実は記録として残っているが、その人たちが何を考えてそれをしたのかは想像するしかない。事前知識がある人も、ない人にもわかるストーリーを繋いでいるのがすごい。 疫病が流行しても、医療行為はないので形として隔離している状態。そこに訪れる兄弟だけど、これもちゃんとこの後に続
著者が枕草子と共に、清少納言ともトークもあるという内容。現代かなに訳された段もあったりと、だんだん本文に近づいている感じ。著者はかなり清少納言の意見に近いものを持っているとのことで、1000年前の人でもすごく話が合いそう、と書き進めています。 平安文学を読むと必ずでてくるのが、和歌。相手に気持ちを伝える時の手紙にも、漢詩か和歌、のように「光る君へ」でも描写されているけれど、今同じように文章で書いて渡すことってなかったのだろうか?そもそも紙自体がとても高価なものだったのでかな
白露の置くを待つ間の朝顔は 水ぞなかなかあるべかりける 清少納言を主人公とした歴史小説を2つ読み終わった。「むかしあけぼの」は1000ページの長編だけあって、時代背景に沿ってその時清少納言とその周りの人たちが、なにをしそれについて、どう思ったかまで書かれていたが、こちらは300ページなので、枕草子で出てくるかなり有名な出来事に絞り込まれて書かれていること、その分清少納言の思いをかなり厚く書いていると思う。 どちらも、枕草子を書く目的を、ひたすら定子様に捧げ、その素晴らし
寄り道で読んだ本。夜になると美味しそうな本が読みたくなる。 サンドイッチ屋さんの姉妹を中心に、5章はストーリーを回す人お互いの視点に切り替えながら話が進む。 激しい感情のぶつけ合いなどはないが、お互いの思いを察しながら、話しながら日々を過ごすところがいい。 第1章のたまごサンド。ゆで卵をマヨネーズで和えたものと卵焼きをサンドしたものが出てくる。自分の知っているものはゆで卵にして、黄身は潰して砂糖で甘く、白身は刻んで塩味にしたものが挟まれているというもの。お話に出てくる何
黄色い旗 桜が緑色に変わる頃、横断歩道に黄色い旗が揺らめく。 道に掛かった白い梯子からこぼれ落ちないように。 お揃いの帽子に色々なランドセルがメダカたちのように、つむぎのように。
一度廃れたものが戻ってくるのはよくある話。一世を風靡したことにはそれなりの意味があり、それが見直された結果なのか、懐古だけか。廃れたのにも理由がありそれよりももっと便利なものが出てきたからだろうけど、それをあえて選ぶのは、その辺りも分かった上で使うということ。 レコード、カセットテープ、DAT、MD色々と変遷したが、今では無形になってしまった。 TDK、SONY、Axiaといったメーカーや、メタル、クロームテープどっちが音がいいか、曲順を書いたラベルは手書きかレタリングか
タイトルだけだと、別の本と間違えてしまいそうだが、これも清少納言を主人公にした歴史小説。ひらがな から 光る君へ 枕草子をちょっとかすって清少納言と。 むかし・あけぼのは 1000ページのボリュームだったが、こちらは300ページ。歴史小説なので、今わかっている(と思われる)史実を時間軸にその中で人々がどのようにそれを捉えて振る舞ったのかを書くことになる。平安時代のことなので研究者が色々書き残されたものを総合しているが、今書き残されたものは、本人の直筆のものは少なく、書き写さ