10分日記 #113 社会は、組織は、絶望するしかないのか
こんばんは、
kei.です。
最近、いろいろな情報発信をしてきましたが、それを通じて、「私見」を書くことが1番自分にあっているように感じました。
もちろん、それに価値があるとおごることはなく、自分にはそういった才能があるという視点で考えていきます。
今日の記事
今日の記事は、先日SNSによる誹謗中傷が原因で命を絶ったと思われてる事件が発生したことを契機に、政府与党が匿名の発信者による誹謗中傷への対策を検討している、という内容でした。
現状は情報の開示を求めた場合であっても手続きが煩雑であったり、時間がかかったりしたりして被害者が泣き寝入りする事態がよく起こっていたようですが、それをなくすためにより手軽に情報の開示ができるようなシステムづくりをしていくようです。
感想
この問題に対してスポットライトが当てられたことに対しては喜びを感じていますが、この対処法に対しては賛成できません。
私は昔から「情報技術」をこの世の中はうまく使えていないと感じていました。
もちろん、世界史の歴史を紐解いても「完璧で誰からの批判もない理想的な制度」を作ることなんて夢物語であると思っているのですが。
ただ、それを野放しにしたままである日本政府に関しては憤りを覚えていました。
政府だけではありません。
行政においても、私たちの生活に身近な内容の情報を提示する義務があるはずなのにその義務を放棄しているとしか思えないような、イケていない、見づらい、古臭いサイトやツールしか導入されていないことにおかしさを感じていました。
はてさて、そんな分野に対してついにスポットライトが当てられたわけです。今回の事件に関しては、人気番組から発生した事件であっただけに反響が大きくなっているようですが、事件を抽象化してよりマクロな視点で考えればこれまで発生していたような事件と何ら変わりないかと思います。
企業内におけるパワハラによる自殺や、学校のいじめ。
全部、「人間関係」によって耐えられなくなった人が死を選んだ
と括れば同じ問題でしょう。
だから、目を向けるべきは「辛いときに誰かに相談したり、頼ったりして逃げることのできない、国民性、社会の仕組み」であるべきなのです。
今回のニュースは、「政府がきちんと対応してくれている」ようで何もしてくれていないことに同義です。
政府は「立場上」何かしらの対策をしないと、マスコミをはじめとして世論の標的が自分に向いてしまうことを防ぐために「対策しました」というためにリアクションをしているに過ぎないのです。
何でこんな世の中になってしまったのだろう。
そもそも、「社会」とか「組織」というものはどんなものであってもこのように腐敗したところに帰着してしまうのか。
それが人間の性なのか。
人は、真の意味で「幸せ」になれないのか。
否。
人は、幸せになれる。
腐敗のしない組織も作れる。
完璧な、理想的な社会も作ることはできる。
世界は、世界を構成している住民、そう、あなたの手によってアップデートできる。
今よりももっと良い世界にできる。
苦しむことがあってもお互いに支え合える。
こんな悲しすぎる事件なんて起きる方がおかしい。
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