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ソーシャルメディアに操られる現代社会への警鐘(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第11回
"The Hype Machine: How Social Media Disrupts Our Elections, Our Economy, and Our Health--and How We Must Adapt"(ハイプ・マシーン:ソーシャルメディアはいかに選挙、経済、健康を歪めるか──そして私たちはどのように対応すべきか)
by Sinan Aral(シナン・アラル) 2020年9月出版
日本語版は2021年夏刊行予定 ダイヤモンド社

15世紀に活版印刷技術が発明されてから500年以上、人類は目から30センチほどの距離にある活字を読み続けてきた。それが人体に深刻な影響を与えるという報告は聞いたことがない。ではスマホはどうだろう?

スマートフォンが爆発的に普及したのは2010年以降のことだ。活字と違ってスマホ画面は動くし発光する。小さな画面内にある数百万ドットが数千万色もの色で点滅するのだ。本とは桁違いの情報量が目や脳にどのような影響を与えるのか、現在世界レベルで人体実験を行っているようなものだ。今や一日5〜6時間もスマホ画面を見つめる人は珍しくない。小学生の頃から長年そのような日常を送ると、目にどのような影響が出るのか──答えはまだ誰も知らないが、10年後にははっきりわかっているだろう。

スマホ画面が目に与える影響は、時間さえ経てばいずれはっきりと見えてくる。だが、スマホの普及が我々に与えるもう一つの大きな影響は、極めて見えにくく、気づくことすら容易ではない。それは「ソーシャルメディアがもたらす影響」である。ツイッターやフェイスブックに代表されるソーシャルメディアは、知らぬ間に我々のコミュニケーションを変え、考え方を変え、消費行動を変え、民主主義を変え、全世界の経済社会を変えつつある。その影響力とメカニズムを包括的に分析し、「我々は大きな岐路にさしかかっている」と警鐘を鳴らすのが本書である。

筆者のシナン・アラルはMIT(マサチューセッツ工科大学)教授でマーケティングやデータサイエンスの専門家だ。フェイスブックが生まれる前から20年にわたりソーシャルメディアの研究を続けている。といっても象牙の塔にこもるタイプではなく、自らベンチャーキャピタル・ファンドを立ち上げてソーシャルメディア企業に投資したり、フェイスブックやツイッターと協力してフェイクニュースに関する共同研究を行ったりしている。半ば米ソーシャルメディア業界のインサイダーのような人物だ。

そのアラルが4年かけて初めての本を書き上げた原動力は「危機感」だ。ソーシャルメディアは、賢く使いこなせば我々の社会に素晴らしい恩恵をもたらす可能性がある一方、今のまま放置すれば巨大な害悪になりかねない。ユーザーである個人、プラットフォームを運営する当の企業、そして規制当局はなにをすべきか。今から2年ほどの間に我々が行う選択により、将来は大きく変わってくる──。そのような問題提起である。

ソーシャルメディア全体が「でっちあげ装置」になる

2013年、シリア人ハッカーがAP通信のツイッター・アカウントを乗っ取り、「速報:ホワイトハウスで2度の爆発、オバマ大統領が負傷」というウソのニュースをツイートした。この虚報は5分間で4000回リツイートされ、あっという間に全米を駆け巡った。だが、ここで注目すべきはリツイートの多寡ではない。その虚報が複数のソーシャルメディアを経由して伝播し、結果的に株式市場の自動取引アルゴリズムに影響を与え、最初のツイートからわずか数分で米株式市場が暴落した点である。たった一つの嘘のツイートが、一瞬で1400億ドルもの富を消失させたのである(ちなみに暴落は瞬間的なもので、株価はすぐに暴落前の水準に戻った)。

アラルは、ソーシャルメディア全体があたかもひとつの装置のように働き、誤情報を増幅して拡散する機能を持つことから、ソーシャルメディア全体を指して「ハイプ・マシーン」(でっちあげ装置)と呼ぶ。そして、このハイプ・マシーンがどのような仕組みで動くのか、なぜ人々に強い影響を及ぼすのか、どのように悪用できるのか、といった点を、脳科学や経済学の知見まで用いて幅広く分析していく。その過程で、ロシアや中国がハイプ・マシーンを利用していかに米国大統領選挙を操作しようとしているか、麻疹(はしか)の予防接種に関する虚偽情報がどれほど人々の健康に害を与えたか、といった驚くべき事実が次々と明かされていく。

とはいえ、煽るようなおどろおどろしい筆運びではなく、客観的なデータと信頼できる研究結果をもとに、あくまで研究者らしい冷静な書き方をしている。だからこそ、ソーシャルメディアの持つ底知れぬ影響力の怖さがじわじわと伝わってくる。

「ハイプ(hype)」というのは、誇大広告や事実の歪曲、インチキといった意味を持つ、完全にネガティブな言葉である。国家レベルの情報工作から、自分の写真をちょっと加工して“盛る”ことまで、ソーシャルメディアはハイプであふれかえっている。そして「ハイプ・マシーン」の働きによって、事実よりハイプのほうがより速く、より遠くまで、より多くの人に伝わり、より大きな影響をふるう。誰もがうすうすは感じているその不気味な実態を、科学的な視点で冷静に描写しているのが本書の最大の特徴である。

コロナ後の世界を考えるために

とはいえ、アラルはソーシャルメディアを完全にネガティブに見ているわけではない。本書では繰り返し「ソーシャルメディアの大いなる可能性と大きな危険性(promise and peril)」という表現が登場する。つまり、より良い社会を実現するための道具としてソーシャルメディアに多大な期待をしているのだ。

例えばアラルは、2015年のネパール大地震でソーシャルメディアが果たした役割を指摘する。復興支援のため世界各地からネパールに寄せられた募金の金額は、欧州各国の合計で300万ドル、米国と中国からはそれぞれ1000万ドル。一方、ユーザーから支援募金を募ったフェイスブックは、175カ国の77万人から1550万ドルもの募金を集めた。欧州と米国を合わせた額より多かったのである。ソーシャルメディアのおかげで、これまでなら考えられなかったような多数の個人がダイレクトにつながり、大きなムーブメントが生まれる──。そんな実例はいくらでも挙げられるだろう。

現在のコロナ禍は、良かれ悪しかれソーシャルメディアの存在感をさらに高めている。新型コロナウィルスの蔓延後、米国におけるフェイスブックの平均トラフィック数は27%も上昇した。これまでソーシャルメディアに触れていなかった層にも、しょうがなく使い始めた人が大勢いるからだ。

今、コロナ禍が去った後の新しい世界を考えようという機運が世界各地で高まっている。その際、大きな軸のひとつとなるのは間違いなくソーシャルメディアやデジタル技術との付き合い方、利用のしかたである。そうしたテーマを考えるなら、まず最初に読むべき本と言っていいだろう。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。

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