191126_篠田さん

赤の他人を信頼する前に知っておくべきこと(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第10回
"Talking to Strangers: What We Should Know about the People We Don't Know"
(他人との会話:見知らぬ人について私たちが知っておくべきこと)
by Malcolm Gladwell(マルコム・グラッドウェル) 2019年9月出版
*日本語版は2020年4月刊行予定 光文社

みんなー! マルコム・グラッドウェルの新刊が出ましたよー!

のっけからテンション高くてすみません。マルコム・グラッドウェルってだれ?と思った方、大変失礼しました。“Blink” (『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』)、“Outliers” (『天才! 成功する人々の法則』)などの世界的ベストセラーを出しているノンフィクション作家です。「何事も、一流になるまで習熟するには1万時間の経験を要する」と、どこかで読んだり聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。これは、ある心理学者の研究成果なのですが、グラッドウェルさんが “Outliers” で紹介したのがきっかけで、世に広まったのです。

グラッドウェルさんの著書は、いつも人や社会の本質的な性質について、一般的な思い込みをどーんとひっくり返し、人間理解を深めてくれます。加えて、文章も本の構成も生き生きとしていて、目の前に映像が浮かび、グラッドウェルさん本人が語りかけてくるようなんです。「マルコム・グラッドウェルは文章がうまいんだけど、なんだかいけ好かない」という批評を英文メディアで見たことがありますが、私はグラッドウェルさんの文章がもたらす快楽に身をゆだねたいという気持ちになるほど、魅力を感じています。

さて、新刊の “Talking to Strangers” は、知らない他人と出会い、知り合っていくことがテーマです。今回も、期待に違わぬ面白さでしたし、いろいろと考えさせられました。

現代社会に生きていると、日々、知らない他人と出会い、会話を交わします。お店の人。仕事で会う初対面の人。配達の人。学生なら、部活の交流試合での対戦相手。改めて考えてみれば、知らない相手と商売をし、資産を預け、外交交渉をすることで、現代社会は回っているのですね。

初対面の他人と会話をし、相手を理解して信頼関係を取り結ぶことが、現代社会の基本です。でも、相手が信頼できるかどうかの判断を、私たちは本当にできているのでしょうか? 悲しいことに、私たちが思っているほどにはできていない。これが本書のテーマです。

人は相手を「まずは信じる」傾向にある

本書から事例をご紹介しましょう。1987年、キューバの諜報部員アスピヤーガがアメリカに亡命しました。彼がもたらした情報により、実はキューバ国内で活動しているCIAのスパイの大半が、キューバとの二重スパイであることが判明したのです。それまでCIA側はそのことを全く感知せず、疑いもしていませんでした。さらに、CIA東欧部門のメンバーの多くが二重スパイであり、加えてソビエト部門の責任者も二重スパイだったことが明るみに出ます。

世界でもトップレベルの諜報機関として知られて来たCIAが、一度どころか三度も完璧にだまされてしまった。だとしたら、一般の私たちはどれほどウソを見抜けていないのでしょうか?

その答えを探るため、グラッドウェルさんは、心理学者ティム・リーバイン(Tim Levine)の研究を詳しく紹介しています。人は、「相手が本当のことを言っているか」は正しく言い当てる傾向があるのに対し、「相手がウソをついているか」は見抜けない傾向があることを定量的に示したものです。つまり、私たちは初対面の相手が言っていることがどうあれ、「まずは信じる」傾向があるということです。

また、この「まずは信じる」モードの力は強く、多少の疑わしい証拠が出てきても、私たちは「信じる」ほうに自分を納得させてしまうのです。私たちが「信じる」モードから抜け出しウソを認識するのは、簡単ではありません。どうにも説明がつかないほどの「一撃となる大きな事実」を受け入れない限り、「信じる」認識は変わらないのです。

その事例として、グラッドウェルさんはアメリカで起きたわいせつ事件を紹介しています。アメリカの女子体操ナショナルチームのチームドクターだったラリー・ナッサー医師は、面倒見がよく、選手たちの親やコーチたちから深く信頼されていました。ところが彼は、実は治療と称して、選手たちにわいせつ行為を何年にも渡って繰り返していたのです。選手である少女たちからの相談を受けた一部の親やコーチは、競技連盟の幹部に、ナッサー医師がわいせつ行為をしているかもしれないと苦情や情報を寄せていました。でも、ナッサー医師が幹部に対してそれを否定すると、それ以上追求されない、ということが繰り返されていたのです。
新聞がスクープでこのことを報じても、コーチたちや同僚の医師たちは「ナッサー先生がそんなことをするはずがない」と肩を持ち続けました。その後、ナッサー医師のコンピューターから大量のわいせつ画像が発見されました。この発見が「一撃となる大きな事実」となり、そこで初めて、競技連盟の幹部たちはナッサー医師のウソに気づき、被害にあった選手たちの訴えを真に受け、立件に至ったのです。

私たちがウソを見抜けないのは、だます側が巧妙だからというよりも、私たちに「信じる」モードが深く植え付けられているからなのです。

人の表情から感情を読み取れるという「思い込み」

私たちがウソを見抜けない要因は、これだけではありません。私たちは、相手の表情から考えや感情を読み取れると思っていますが、それは思い込みに過ぎないのです。そのことを、グラッドウェルさんは本書で様々な角度から検証しています。

まず、文化によって人の表情から読み取る感情は異なります。現代文明と接点が少ないトロブリアンド諸島の住民に、「うれしい」「悲しい」「怒った顔」などの表情をした人物写真を見せ、その人物はどんな気持ちか選択してもらう実験があります。先進国の私たちが「怒った顔」だと考える写真に対し、原住民の回答は、うれしい:20%、悲しい:17%、怖い:30%、がっかり:20%、怒り:7%でした。見事に、バラバラです。表情が、全く通じていないわけです。

次に、同じ文化の中でも、表情と感情の対応はステレオタイプに過ぎないことが示されます。あるドイツの研究者が、大掛かりなしかけをして被験者を驚かせ、その瞬間の表情を記録して分析しました。被験者たちのほとんどが、その瞬間自分たちは「非常にびっくり」したと回答し、そういう表情をしていたはず、と考えていました。目を見開き、眉が上がり、口をあんぐり開けていた、と。しかし画像を分析すると、実際そのような表情をした人は5%に過ぎず、約8割は「無表情」だったのです。私たちは、テレビや小説などの影響で、「驚いたら目を丸くする」など、表情と感情が連動すると思い込んでいます。でも、それは間違いなのですね。そして、そうした間違った思い込みに基づいて、私たちは他者の感情や誠実さを「誤読」しているのです。

この誤読の影響は、決して小さくありません。例えば、アメリカの警察で幅広く採用されているマニュアルには「ウソをついている者は警察官と視線を合わせない。本当のことを話している者は視線を合わせる傾向がある」とあります。私たち一般人の実感としても、違和感のない内容ですね。
ここでグラッドウェルさんは、人々が警察官に職務質問される様子を分析した、犯罪学の研究を紹介しています。研究の題材は、”Cops” というロングランのドキュメンタリー。この番組では、パトカーに取材チームが同乗し、コメントやナレーションなしに現場を撮影し続け、実際に起きたことを放送しています。研究では、番組の中で職務質問を受けた人たちの表情を分析しました。するとまず、白人のほうが黒人よりも、警察官と視線を合わせる時間が長い傾向があることが分かりました。中でも、犯罪を犯した白人のほうが、潔白な白人よりも、警察官と視線を合わせる時間が長かったのです。逆に、最も目をそらしがちなのは、潔白な黒人でした。マニュアルに忠実な警察官は、潔白な黒人を逮捕し、罪を犯した白人を見逃してしまうことになってしまいます。

ここまで紹介したように、医療であれば医師と患者、警察であれば警察官と市民など、あらゆるところで、初対面の者同士が相手の信頼性を見極められる前提で、現代社会は成り立っています。でも、私たちの判断力には、決定的なゆがみがある。本書は、この重要な認識を、とても丁寧に私たちに教えてくれます。

他人を信じながら「自制と謙虚」の心を

本書を読みながら、私は複雑な気持ちになっていきました。信頼していた相手がウソを言っていたと悟った時に、相手に怒りを感じるのと同時に、なぜ見抜けなかったかと自分を情けなく思う気持ちを思い出しました。私は、お互いの考えや気持ちを理解するには直接会うべき、と信じていますが、会って表情を見ることで誤解するリスクもあるというのも、なかなかショックです。

ちょっと別の話になりますが、ジャレド・ダイヤモンドさん(「銃・病原菌・鉄」著者)が糸井重里さんとの対談の中で、このように話していました。

今日も糸井さんと私は初めて会って
こうしてお話ししていますけれど、
もし伝統的な社会であれば
知らない人同士が会うというのは、
会ってから1分以内に糸井さんが私を殺すか、
私が糸井さんを殺すか、でなければ互いに逃げるか、
どれかだったはずですから。

人間社会は、もともと、知らない人同士が会うことを想定しないものだったのですね。古代や中世では、ほとんどの人が、同じ集落の知っている人同士との付き合いだけで一生を終えていた。社会の発展と共に、知らない人同士が会うことが増えた。そのとき、伝統的な社会のように初対面同士が殺し合うことはせず、知っている人に対する構えと同じようにして会うことが、もっともスムーズな対応だった。そんな歴史の経緯があっての現代なのかな、と想像しました。

グラッドウェルさんは、本書の結論部分で、次のように述べています。まず相手を信頼するところから始めなければ、あらゆる関係性が破綻してしまう。表情から相手の気持ちや誠実さは読み取れないとしても、関係構築のために人と会うことは欠かせない。そうだとするなら、私たちにできる対策は「自制と謙虚」に尽きるのではないか、と。

執筆者プロフィール:篠田真貴子  Makiko Shinoda
小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。

※同著を植田かもめさんが取り上げた記事はこちら!


よろしければサポートをお願いいたします!世界の良書をひきつづき、みなさまにご紹介できるよう、執筆や編集、権利料などに大切に使わせていただきます。