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【読書メモ】『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』(著:アビゲイル・シュライアー / 訳:村山美雪,高橋知子,寺尾まち子)

ティーンエイジャーの自己診断は自動的に認めるべきだという考えに疑問を抱く

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

医学系は、血を見るのが苦手だったりする(注射も針が刺さるところを見れません)ので、精神疾患系であっても、小説、ノンフィクション問わずにどちらかと言うと食指が動く方ではないのですが、、これだけ話題になっていると反対に気になりまして、、さらっと読んでみました。

一九九〇年よりまえに生まれたアメリカ人が「十代の少女」と聞いて思いうかべるのは、ショッピングモールで顔を寄せあってクスクスと笑っている少女たちや、パイル時のカーペットを敷きつめた寝室の床にあお向けになり、髪が乱れるのも気にせず同じ歌を繰り返し聞きながら、真偽のほどは分らない恋愛話を種に、同じような話を延々としている少女たちだろう。そういったたわいない時間をともに過ごすうちに、真の友情が築かれるのだ。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

著者のアビゲイル・シュライアーさんは私とほぼ同世代か少し下くらいと思われますが、上述の感覚は国は違えど日本でも似たような感じでは?と、同世代の女性の方にもうかがってみたいところです。

道しるべを求めるティーンエイジャーたち

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

中高の10代後半から大学卒業くらいまで、気の置けない友人達とあーだこーだと少し背伸びをしながら愚にもつかないことをダベりあって、いろいろと失敗も重ねながら社会性を成長させていったと、それは大枠では今でも変わらないのかなぁ、なんて、中高と部活やクラス行事に打ち込んで、楽しそうだった息子を見ていると実感としてもあります。大学でも複数サークルで悩み、バイトやらなにやらも模索中で、授業はまだつまらないようですが、地元の友達とも夜遅くまでウダウダしていることも多く、まぁ、これからでしょう、いろいろと。

人とつながりを持つのに、直接顔をあわせないですむ安全な方法があれば

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

それでも自分(や家内)の時代と違うのは、人の輪が「相手の顔が直接見えない」環境でも広がっていくとの点で、ようは「相手の長短を直接に見ることなく」、相手を理想化、ややもすれば神格化してしまい、結果として思考停止に陥りやすくなってしまう傾向もあったりするのでしょうか。そういえば、平日の夜に彼女の家に電話してお父さんが出て(つれなくされて)冷や汗という経験、今の子たちはないですよねぇ、、閑話休題。

人生経験の乏しさを、彼女たちは性に関する語彙やそれまでなかたジェンダー思想(イデオロギー)で補っている。インターネットという洞窟の奥では、ヒーラーの一団が彼女たちに助言を授けようと手ぐすねを引いて待っている。アマンダより質の悪い尊師(グル)たちだ。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

仮に最大限の努力をしたからと言って誰もが、例えば大谷くんや北川景子さん、みたいになれるわけではないってのは、身近な友人たちとワチャコチャとコミュニケーションしていれば自然と相対化できていくものですが、、特に、高校・大学になると会話・思考の志向が合う子も増えてくるでしょうし。

ある種の見方によってはその機会が奪われてしまっている、、現実社会から孤立化させられているとのことで、これは今後、日本でも同種の問題が出てきそうだなぁ、とも。

ある日突然、トランスジェンダーだと自認した思春期の少女の多くは、”クレイズ”ーーウィルスさながら広がる文化的熱狂ーーに踊らされているようにみえた。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

取り返しのつく可逆的な判断(過ち)であればある程度放置しておいてもよいと思いますが、取り返しがつかない「不可逆的な判断」は、少なくとも大学を卒業するまでは抑制的にみておきたいところです。

親たちが口にしたのは、トランスジェンダーを否定する意見ではなく、それまでまったく性別違和を示していなかった自分たちの娘が、”ある日突然”、自分はトランスジェンダーだと言いだしたことへの信じられない思いや戸惑いであり、その告白後、少女たちの精神状態が悪くなっているという状況

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

本書は、様々な角度からの分析をしていると思います。トランスジェンダーを自認した人々、その自認に影響を与えているインフルエンサー、外科的治療まで促すセラピスト、若い(ティーンエイジャー)内は注意深い経過観察に留めるべきとの医師、LGBTQの当事者たち等々、きちんと地に足を付けた取材をされていると感じました。

個人的には、算数やスポーツが好きな女子、歌や演技、お絵かきが好きな男子を「ジェンダー・ノンコンフォーミング(性に関する旧来の概念に合致しない人)」と区分することは、算数、スポーツ、歌、演技、お絵かき等々の各種「文化的行為」に対する冒涜ではないのかなぁ、、ただの好みに性別の色を付ける必要はないでしょうに、とも思いました。

肯定(アファーム)ケアは医師に偽りを認めることを強いているのだ。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

”肯定ケア”が流行るまで、ジェンダー・セラピストは”注意深い経過観察”、子供が生まれながらの性に苦痛を感じなくなるよう手助けすることを目標とする治療法を実践していた。

注意深い経過観察はとても成果を挙げていた

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

セラピストはマディのかかえる問題の原因はジェンダーにあると決めつけて、そのことだけに焦点をあて、不安定な精神状態を広い視野でとらえていない

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

なんといってもティーンエイジャーだ、ナイアがまだ気持ちの整理をしているときに、取りかえしのつかない身体改造を勧める医師は決して許容できない。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

性別違和はそもそも精神疾患だとーー治療すべき精神の不調であり、何より浮かれ騒ぐようなアイデンティティではない

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

ブランチャードは性別適合手術が適切な性別違和の患者もいると考えている。そして外科的介入によって性別違和が非常に軽減したトランスジェンダー自認の患者もいたと話す。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

性別違和に苦しむ多くの一般的な人々は、トランスジェンダーがもてはやされることを忌み嫌う。彼らは”衣装”を見せびらかしたいのではなく、本物として受け入れられたいのだ。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

レズビアンはステータスが低いアイデンティティとして嘲笑されている

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

女性とは”他者の要望によって定義される普遍的な存在”

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

トランスジェンダーをやめるというなら、そもそもトランスジェンダーではなかったということだ。

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

なんというか、トランスジェンダーをヒエラルキーの上位に定めてしまうあたり、どうにもカルト宗教(や共産主義者、左右問わずの全体主義者)と同質だよなぁ、との判断しかしようがないですが、、「革命はいつもインテリが始めるが夢みたいな目標をもってやるから、いつも過激なことしかやらない」なんて思い出してしまいますね、他人様の状況を全く顧みない辺り「活動家」とはよくいったものです。

誰もが経験をとおして学ぶ成長し学ぶ。十六歳で、はたしてどれだけの経験があるんだろう?

出典:『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』

なんとなく『11人いる!』のフロル(両性未分化で成人くらいに意識的に分化する設定)を思い出しました、なかなかに寓話的でSF物語だからこその美しさもありますが、、物語の中では性別分化が不可逆的な匂わせだったので焦らずに見極めている(青春を謳歌している)、といった感じだったかな、、久々に読み返してみよう。

二十代までは何だってやれる。だから迷え
迷うにしても、何でも経験しながら迷うこと
未知のことでも何でもいいから、引きこもらずに全身で取り組むこと

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

あくまでも、取り返しのつく経験を迷いながら重ねていってほしい、それが未知の事柄でも何でもよいので。一昔前は大麻などの薬物がその代表格でもありましたが、今はその対象が増えたとのことでしょうか、SNSなどの「相手の顔が直接見えない」環境にブーストされる形で、、一応親としては、子どもには「取り返しのつく」選択肢を増やすよう留意しておきたいところです、少なくとも、大学を卒業するまでは。

そういった意味では、特に思春期(中高大辺り)のお子さんがいる方はお勧めです。少なくともヘイト的な要素は欠片も無いですよ、両論併記と言うか多様な切り口でフラットに比較していると思います。まぁ、家族との概念を壊したい共産主義系の活動家には都合が悪いのかもしれませんが。

【備忘録】
2024年4月4日
くまざわ書店(大泉):店頭になし、検索端末は無かったので在庫チェックはできず。朝日や日経の書評棚とか、パワハラ泉さんの特集棚とか、、アレな棚が目立ちました、書店独自なのかどうかはわからないですが、積極的にいくことはもう無いかな。

ジュンク堂(大泉):店頭になし、検索端末に登録されているも在庫は「0」表記、注文はできるようです。

2024年4月5日
リブロ(ひばりが丘):店頭になし、検索端末はメンテナンス中で確認できず。

ライフブックス(新座):店頭になし、もともと売り場も広くなく、社会学系の品揃えもそんなに数を置いてなさそうな店舗ではあります。

2024年4月8日
三省堂(池袋):社会学の棚の所に平積されていました。ラストの一冊でしたが、在庫の追加はありそうな気がします(流石)。

2024年4月9日
旭屋書店(池袋):店頭になし、検索端末でも出てこず、書籍の取扱いすらしていないようで、もう行くことはないでしょう。

2024年4月11日
紀伊国屋(新宿):店頭になし、検索端末に登録されているも在庫は「0」表記、ジュンク堂と同じく、注文はできるようです。あと気になったのは、イスラエルで一般人を無差別大量虐殺した日本赤軍の重信房子氏の著書を平積みしてあったのが、さすがに不快感しか残りませんでした。もちろん書店に並べるなとは口が裂けても言いませんが、それこそ「焚書」、「検閲」ですしね。

2024年4月15日
啓文堂(吉祥寺):店頭になし、検索端末は無かったので在庫チェックはできず。

ジュンク堂(吉祥寺):店頭になし、検索端末に登録されているも在庫は「0」表記、注文はできるようです(大泉と同じですね)。

2024年4月20日
未来屋書店(東久留米):店頭になし、オンライン在庫の検索で書籍は出てきましたが「店頭での取扱不可」と明記(他の系列店舗も同じ)。こちらも今後は足を運ぶことはないでしょう。

街の書店でも対応が分かれています。脅迫に対する不測の事態を避けるとの観点があるのは理解できますが、個人的には、新書・古書問わずに、実店舗にはセレンディピティを期待していくので、その可能性を自ら摘んでしまうのであれば、ちょっと寂しいですね(取り扱う気がないのは問題外ですが)。

仮に脅迫とかされてるのであれば被害届けは出されてるのかな、京アニ事件の悪夢を繰り返させないためにもきっちりと対応していただきたいところです。

ここ最近は明確に買いたい書籍はAmazonを活用させていただいています。楽ですし、時間の節約にもなりますから。古書なんかは転売価格になっていないかの確認が必要ですが、、なんにせよ実店舗が自己焚書、自己検閲をしているようでは、この流れに拍車がかかってしまうかなぁ、との懸念とともに。

そういえば余談ですが、日本図書館協会さんは声明くらい出してくれないのかな、「図書館の自由に関する宣言の”第4 図書館はすべての検閲に反対する”」への挑戦だと思うのですが、、ふーむ。。

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