3つの身体と向き合う
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どうも、「豆腐メンタルの元教員が本屋とかを開くまでの話」のお時間です。はい、じーもです。(笑)
気付けばあっという間に2月末になってしまい。。
実はこの間、子どもたちがインフルエンザB型にかかってしまったり、といろいろありまして。。
でもおかげでふと気が付いたことがあったので、書いてみようと思います。
家族という身体
初めに少し触れたのですが、家族(=一緒に住んでいる子どもやパートナー)がいるということは、ある意味で身体を共有することにもつながるのかも、ということです。
そんなこと言ってたかって話なんですけど。
例えば今回だと、子どもたちがインフルエンザにかかってしまった状態。うちの場合は、初めに長男でした。そしてその二日後に長女が。インフルエンザではありませんでしたが、私も少し体調を崩してしまいました。
だいたい10日間。
この間、なかなか思うようにはいきません。
保育園には行けないので、相方(妻)と交代で仕事を休みながら子どもたちの看病をします。そもそも辛そうな姿を見るのもしんどいところです。。
疲れるし、自分の時間がないのはもちろんのこと、自分にもうつってしまわないように気を付ける必要もあります。(今回の場合、私は体調を崩すことになるのですが。。)
10日間。これって、一人分の身体だとなかなかの病気です。
お店を始めると、この間休みにしなければいけない。と考えると・・・お、おそろしすぎる…!
でも、もちろん恐ろしいことばかりでもない。
親の都合で「あー夏休み(TUBE)」をかけていると、滑らかに身体を動かしダンスする長男。
長男にホッチキスの使い方を教えていて「な。これでわかった?ポッチキスの使い方。」と平然と話す長女。
そのほかにも、彼らの言動。行動。表情。
すべてにおいて、元気をもらえるのは確かですし、学びもあります。
そう考えると、家族というのは、ただ一緒に住んでいる人たちのことではないような気がするのです。
自分の身体が拡張される感じ…でしょうか?
なんだか、そんな感じがするのです。
ちなみに、妻である相方にはデザイン的なことは全般任せており。
お店作りでも全面的におんぶにだっこ状態の部分があります。(笑)
やっぱり、家族はひとつの身体のような気がします。
場所という身体
まずは、こちらをご覧ください。(※少し汚い写真です)
実は、2階部分。
防寒・断熱のためか、いたるところに発泡スチロールが敷き詰められているのです。それは天井部分も同様で。でも、長年の影響でかなりの数がずれたり無くなってしまっていたのです。
※ちなみに場所のことについてはこちらの記事に詳しく書いてあります。
なので、今回お店を開くにあたって、一度すべての発泡スチロールを取ろうとしたのですが・・・。
これ、わかりますでしょうか?
発泡スチロールが落ちないように、発泡スチロールの下に一定間隔でワイヤーが張られているんです。
しかも細かく見ると、電気を吊るすチェーン部分や柱がある部分は発泡スチロールを加工して、きれいに入るようにされているんです。
これ、ほんとにすごくて。
落ちてこないんですよ。。。ほんと、想像以上に。。
今回取ろうとしたのは天井なんですが、
想像以上に、きちんと敷き詰められているんです。
これ、話を聞くと木型工作所で働いていた人たちが自分たちの手で行っていたそうなんです。よく見ると、大きなコンパスのようなものも手作りで作っているのが分かります。
そうなんです。見れば見るほど、そこら中にかつてここで働いていた人たちの営みが見えるんです。そして、私が今していること。それら敷き詰められた発泡スチロールをはがすこと。
劣化してしまっている箇所もあるので仕方のないこととはいえ、なんだか痛々しく感じてしまうんです。まだ治りきっていないかさぶたをはがすような。。
工場という場所を血液である(そこで働く)人が動き、一つの身体=場所を育て上げてきた気がして。。
触れれば触れるほど、自分のしていることの覚悟を問われているような気がしてなりません。
記憶は場所にも宿る。
そして、場所は新たな記憶のために作り替えることもできる。いえ、記憶ごとにゼロにするのではなく、地層のように積み上げていくことができる。そう信じて、新たな身体づくりを続けていこうと思っています。
自分という身体
そして、もちろん。自分。
何といったって、一人分しかありません。
考える脳も。動かす手も。足も。全部。
でも、同時に。確立した一人ではない、とも実感しています。
それは、周りの状況やその時一緒にいる人。自分の食生活など。さまざまな影響で、その時々に引き出される自分、登場する自分が異なるように感じるからです。
もう少しカッコ悪く言うと、意外とままならないんです。自分のこと。
自分の機嫌をとろうとしても、なかなかうまくいきません。いいときばかりでもないし、悪いときばかりでもない。
いろんなことに悩みながら、結局スタート地点に戻って来たりしてます。
そこで、やっぱり感じるのは、「健康第一」「安全第一」です。
お店をするにあたって。
長く続けるにあたって。
自分自身を。見放さずに面倒を見てやることが必要そうです。
最後に
実はこちらの文章、2回にわたって書いています。(いつもは一気に書き上げます)
なかなかまとまった時間が取れなかったんです。
言い訳にも聞こえるかもしれませんが、私たちには生活があります。それは、仕事はもちろんのこと、生きる上での意味でもあります。そんな中、私は新たに本屋を開こうとしています。
これまでにはなかった時間や動きが入るのだから、多少のストレスや無理があるのは仕方のないことだと思います。結局のところ、様々な身体と向き合い、そのひとつひとつと付き合っていくしかないのだな、と感じます。
本日も最後まで、ありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。
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