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vol.1 創刊       編集部クジラ



かの海のけだものレヴァイサンは
神の造りたまいしもののなかの最大のものにして
大海に流れ行く道を泳ぎ行く

『失楽園』


かの巨大なる怪物レヴァイサンは人為的に作られたものであり、共同体国家コモンウエルスと呼ばれたり国家と呼ばれたりする。だがこれは
一個の人工人間にすぎない。

ホッブス『レヴァイサン』冒頭





創刊にあたって

創刊にあたって 
2022.6/12.12:37
5月から走り始めた雑誌企画が、無事形になったことを嬉しく思います。

まずは、今作の刊行に関わっていただいた三人に心の底から感謝を申し上げたい。
Kensvelt氏にはライターとして「ポストネット老人会論考」を寄せていただいた。我々世代のインターネットユーザーが無意識のうちに感じていたインターネット的世代交代の展望が、ユーモア豊かな筆致で顕になっている。「創刊」の切り込み隊長として、ライター三人の先頭に収録した。ありがとうございました。
Teto氏には、ライターとして「2025高齢者問題」を寄せていただいた。kensvelt、maki両名の浮ついたインターネット観から一歩引いて、「介護と尊厳」をテーマに現状を鋭く捉え直す論考。ネット廃人二人の尻を叩き、数字と公文書に裏付けられた足場の固い論考は、三人の締めとして最後に掲載している。忙しい中本当にありがとうございました。あと変な催促画像送ってしまってすみませんでした。反省してます。
やまなか氏には表紙を手掛けていただき、おまけに対談企画にも出演していただいた。やまなかファンなら勘付いたであろう、今作のやまなかは挑戦している。難しいオーダーに余裕の表情で応えてみせたやまなか氏との対談は、なんか面白かったので最初の方に掲載した。ありがとう。

「創刊」は編集部クジラの名前でお届けします。編集部の名前はライター三人で侃々諤々の大論争の後決まったものがあったのですが、昨日、僕の一存で急遽「クジラ」に改名しました。お騒がせしました。
編集部クジラはこれから雑誌の編集部として機能します。一年間で3、4本の刊行ができればと思いながら運営していきます。実際に3、4本も作れるかどうか未知ですが、暖かく次号を期待していただければと思う次第です。
一応企画兼編集長という立場であるわけですが、特に原稿を編集したり、面白いことを提案したりといった仕事はしていません。できませんでした。せいぜい誤字脱字をちょいちょいっと直すくらいでした。情けなく思うと同時に、ライターの文才に敬意を払うばかりです。

最後に、難しい企画を一ヶ月ちょっとで実現できたことに感激しています。ちゃんとやればちゃんとしたもんができるんだという実感。人を巻き込む限り適当な仕事はできないぞという責任感。色々感じましたよ。

というわけで、無事刊行できた1万3000字超えの大作「創刊」を、存分に楽しんでいただければと思います。是非!パソコンやタブレット等の大きめの画面で見ることをおすすめします。字が小さくて読んでるうちに眠くなるからです。まあもし読んでるうちに眠くなれば、リアルな雑誌の完全再現という意味で、編集部クジラの勝利ですが。


お品書き

  1. 創刊にあたって

  2. 対談 ーやまなか、makiー

  3. 「ポストネット老人会論考」ーkensveltー

  4. 箸休め短編小説「くじら」

  5. 「生命体インターネットの老後」ーmakiー

  6. 「2025高齢者問題に向けて」ーtetoー

  7. 最後に





やまなか ✕ maki

表紙の作者やまなか氏との幻の対談企画が数ヶ月の時を越えてついに実現した。制作の裏側や思わずクスッとするエピソードが満載。
クジラ、プール、大滝詠一、エヴァ……。
今ホットなワードを今ホットなイラストレーターが語り尽くす!

出演者
やまなか
maki

〼〼〼〼

maki / せっかくなんで表紙について色々聞いておこうかなと思いまして、久しぶりの対談企画です。
やまなか / お願いします。
maki / 前回の反省も込めて、ラフにいきましょう(笑)
やまなか / うぃーす
maki / ラフですねえ〜。で、とりあえず書き終わった感想を適当に。お願いします。
やまなか / まあ、かなり難航しましたよ。
maki / ふむ。というのは?
やまなか / 最初に『クジラ』と『ポップに』ってことだけ提示されて
maki / はい(笑)
やまなか / どうしようかな…って。
maki / うん。
やまなか / クジラってかなり使いやすいんですけど、それゆえにありきたりになりがちですから、
maki / うんうん。
やまなか / そんでまあ5個ぐらい案を出してみて
maki / はい
やまなか / 一番自分が気に入ったのが今回の表紙の雛形になったんですよね。
maki / これですね。

「老い」は創刊前の仮タイトル

やまなか / ちなみにこれ、実はモチーフというか、参考にしたのがありまして、
maki / はいはい。
やまなか / 大瀧詠一の「アロングバケーション」ってアルバムのジャケットなんですけど

maki / おお!ほんとだ。
やまなか / これがかっこよくて。ここを目指しましたね。
maki / うんうん、たしかに。なるほど。
やまなか / 最終的にnoteのヘッダーのサイズに合わせないと、って言うことでサイズをかなり変えないとだったので
maki / そういえばそうでしたね。
やまなか / そこでかなりブラッシュアップしましたね。まあそれこそmakiとも話したり。
maki / ええ
やまなか / 結構あの時のアドバイスというかディスカッションは役立ちまし   たね。
maki / 嬉しい限りです(笑)
依頼当初、いきなりちゃんと画になった原案が出てきてこっちも結構面食らっちゃって。どこからこの絵が出てきたんだと。画風もこれまでの作品とは一線を画すようなもので驚きました。アルバムのジャケットがモチーフだったんですね
やまなか / まあ普段はあんまりこういう風景画みたいなのって描かないんですけど。たまにはチャレンジも必要だろうと。
maki / うんうん。なるほど。普段は特撮がご専門って感じですよね。
やまなか / そうですね。
maki / 完成したものがこれですが。

完成品

やまなか / はい。
maki / いくつか聞いてもいいですか。
やまなか/ どうぞ。
maki / 原案になかった要素が増えて、逆にあった要素が削られてますよね。
やまなか / そうですね。
maki / まずは、なんていうんだろうこれ、三角旗ですよね。
やまなか / 自分、水泳を習ってたんですよ。
maki / うんうん。
やまなか / そん時のプールに、スタートから5mのところに目印のこういう旗があって、そのイメージですね。
maki / はいはい。よく見ますよね。三角旗を絵に入れようと思ったワケとかあります?
やまなか / やっぱカワイイものを入れたくて。
maki / ああ、なるほど。
やまなか / こういう旗みたいなのってポップで、かつ空中にあるんで空間感も出るんで。
maki / うんうん。
やまなか / これを入れることで絵がまとまった部分もありますね。
maki / クジラに接触してるのもなんか、クジラの"どうしようもないデカさ”の迫力を演出してて良いですよね。
やまなか / ここ、実はこの絵の一番大きな穴なんです(笑)
maki / おっと(笑) というと?
やまなか / 旗が始まるポールの位置とクジラに旗が掛かる位置が明らかに違うんですよ(笑)
maki / ホントだ笑。
やまなか / なのであんまりじっくり見ないで下さい。
maki / よく見るとキモいですね…。あまりじっくり見ないようにしましょう。あと、カラータイルと柵は削られてますよね?
やまなか / はい。柵に関しては、やっぱどうあがいても合わなかったんですよ。
maki / うんうん。
やまなか/ 原案の時点で色に悩んだんですけど、もう悩むくらいなら無くしちゃえ!と。
maki / 打ち合わせでも話題になりましたね。うん笑。
やまなか / ただ柵を描こうとした跡として縦横のフレームだけ残ってます。これはなんかあった方が面白かったんで残しました。
maki / 笑
やまなか / あとはまあ後ろの雲を大きく見せたかったんで、結果的な無くなってよかったと思います。
maki / 制作秘話を生で聞いてる感にニヤけてしまう。うんうん。雲が背景として際立ってる気がします。カラータイルはどうしたんでしょう?

やまなか / これは最初入れるつもりだったんですよ。
maki / そうですよね。原案にはちゃんと描いてありました。
やまなか / まず完成版を書くときに、イスやパラソルにホワイトを使いたくて。
maki / うん。
やまなか / そこと差別化するためにタイルのベースカラーをちょっと青っぽくしたんです。
maki / むむう。なるほど。
やまなか / そしたら原案みたいな青と黄色が似合わなくなって。
maki / うんうん。
やまなか / で、一旦置いといて他を描いてたら、なんか旗が青と黄色になってて。
maki / 笑笑
やまなか / まあここにあるからいいか、と
maki / なるほど!ホントだ!笑笑。うんうん。気づかなかった。
やまなか / それで。
maki / タイルの色が三角旗に移ったんで、タイルの色は青白くなったんですね。
やまなか / そうです。そしたらタイルが完全な白じゃないなら光沢とかかけるなーとか思って。
maki / うんうん。ツヤがありますね。
やまなか / 結局あの色にしたことで表現が広がった部分ですねそこは。
maki / 面白い笑 今背景の青い空を見て思い出したんですが、「快晴」っていう天気なくなるらしいですよ。
やまなか / マジ?まあ確かに主観マシマシの名前ではある。公式には使いにくいかもね。
maki / でもその主観にこそ美学があったと思うんですよね〜。まあね〜笑 高校入試で有名な例のクソ問がもっとクソ問になっちゃいますよ。
やまなか / ていうかあなたこの話二万回はしてません?
maki / 20001回目ですね。あ、で、表紙に戻りまして。
やまなか / はいはい。
maki / やっぱり最後に聞いておきたいのは「創刊」の二文字で。
 やまなか / はい。
maki / エヴァ風とだけ伝えていたんですが、
やまなか / そうっすね。
maki / なんかエピソードありますか。やまなかさんにエヴァという言葉を与えるのはかなり挑発的なのかなと思いながらの提案だったので。
やまなか / まあなんだろうな、
maki / はい。
やまなか / 正直エヴァ風はこの2文字では難しいんですよ、
maki / まあ、そうですよね。ようは明朝体でってだけなんで。
やまなか / 多分次回予告のアレのイメージだろうなとか思ったんですけど難しいから。
maki / うんうん。
やまなか / とにかくそれっぽいフォントで見やすく…とだけ考えましたね。白文字でってオーダーもありましたよね。あれが難儀だった。
maki / ほう。
やまなか / 絶望的に白文字が合わない絵なんです。
maki / 難儀?
やまなか / 本当に空に置くぐらいしかまともに読めなくて。
maki / ああ、たしかに笑 何色がよかったとかありますか。
やまなか / それも無い(笑)
maki / この絵のなかに文字入れようってなったときに、白以外思いつかないんですよね笑 どの色入れても浮いちゃうっていうか。
やまなか / まあそうだとは思います。自分もなんだかんだ白以外無いとは思った。なので、空に被せつつどう表示されても見える位置、って感じですね。
maki / なるほど。そういえばなんですが、
やまなか / 最初はもっと上にしてたんすよね。はい。
maki / へー。えっと、微調整版ってあったじゃない?どのへんが調整されたのか分かんなくて、すごく気になってました。

オリジナル版
微調整版

やまなか / え?マジ?
maki / すんません笑
やまなか / 全然違うよ!
maki / うそお!なにが!!
やまなか / ほら、プールの水にちょっとグラデーションがかかってるでしょ?全然違うじゃん。
maki / ああああ!!ホントだ.......。なんで見落としたんだろう。
やまなか / これがあると無いとで水の立体感が違うのです。
maki / ほんとに全然違う。うん。
やまなか / 深さが出るでしょ。
maki / そうすね。
やまなか / そこが調整部分です。
maki / 微でもなんでもねえな。ちょっと言い訳すると、gmailで届いたんですよ、元の絵も微調整版も。
やまなか / そっすね。
maki / だからgmail上で見比べてて、横に並べて比較するみたいなわかりやすい比較をしてなかったんですう。だから気づかなかったんだと思いますう。
やまなか / ふーん。まあいいけど…。
maki / まあ、そんなわけで表紙が描き上がったわけですね。
やまなか / はい。
maki / 実はかなり気に入ってます。
やまなか / ありがとうございます。
maki / 色々エピソードも聞けて目のやり場も増えたし(三角旗以外)。ギャラは来週の月曜日にお渡ししますよ、フフフ。
やまなか / やったー!!三万になります。
maki / 3万円相当で勘弁してください笑
やまなか / まぁ良かろう。
maki / とりあえず、なんとか創刊に間に合ってよかったです。ありがとうございました。
やまなか / ありがとうございました。
maki / 一時間弱の対談にもお付き合いいただいて、感謝感激です。
やまなか / いえいえ。こちらこそいろいろ話せて楽しかったです。
maki / 笑笑。持ちつ持たれつでいきませう。
やまなか / はーい。
maki / さいなら〜
やまなか / さらば!
                              〼〼〼〼





「ポストネット老人会論考」

ライター : kensvelt

最近の評論文は、デジタルネイティブ世代とおじさん世代の対比構造を論じるものが多いように思う。しかし、こんなことをいつまでも言っていてもしょうがない。やれ「若者のつながりの希薄化が激しい」だのやれ「インターネットでの会話は従来の言語体系と齟齬がある」だのと、このようなただの現状分析によって得られる未来への展望はあるのだろうか。インターネットは黎明期をとっくに過ぎ、安定/発展の時代に突入している。旧世代はまもなく自然消滅し、"インターネットに疎い人"がゼロになる日はすぐそこに迫っている。過去を省みるのはもう十分だ。これからは将来確実に起こる、インターネットネイティブ世代の高齢化を危惧すべきではないだろうか。「インターネット老人会」などと言っている場合ではない。「インターネット超高齢社会」の到来である。


そこで起こるのは、「若年層はインターネット、高齢層はマスメディア」という対比構造の崩壊に伴う情報化社会のさらなる変革だと考えられる。デジタル・ディバイド、いわゆる情報格差が完全にない社会では、情報伝達の手段はインターネットに一極集中し、社会の目は常にスクリーンを追い続ける。為政者はこれまで以上に「ネットの声」を意識せざるを得ず、マニフェストを叫ぶ声が向かう先は有権者そのものではなくウェブカメラとマイクになっていくのではないだろうか。また、現在は検討段階であるオンライン投票制度が整備されれば、投票所へ行く手間や、自分の考えに近い政党を比較検討する面倒さのハードルを一気に下げられ、低くなりがちな若年層〜中年層の投票率を大幅に上げられると考えられる。釣鐘型の次は棺桶型、などとも揶揄される日本の人口ピラミッドだが、このままズルズルと滅亡に向かっていくのか、なんとか持ち直すかどうかを決めるのは、インターネット上で民意を形成できる中年層ネットユーザーなのかもしれない。


また、インターネット上で代替できるものは次々と現実から駆逐されていくことも想定できる。代表的なのはテレビ文化である。いまや若者はテレビを見ない、などという言説は確かなものになりつつあり、いまテレビを見ない若年層が、高齢化に伴ってテレビ文化に移行するとは考えづらい。現在の高齢層がテレビを好むのは、子供時代からの惰性、という点も大きいのではないか。
刺激とユーモアで満たされたインターネットに慣れ親しんだ私達は数十年後、従来メディアの窮屈さに耐えられるだろうか。私はそうは思わない。インターネットがもたらした、一般人による情報発信ができる場の急増は、私達が受け取ることのできる情報量の急増と表裏一体の関係にある。「なろう小説」を始めとするアマチュア作家の台頭や、変わり種で言えば「増田文学」や「ストゼロ文学」などの匿名の作品は、一般人によって生み出されたコンテンツの代表例と言えるだろう。インターネット上に溢れんばかりのコンテンツたちは、私達の短い生涯を彩り続けるには十二分な量存在し、今後も増え続ける。老後の暇つぶしランキングに動画配信サービスやSNS、個人ブログ等、一般人によるインターネット上での情報発信ツールの名前が挙がるのは時間の問題かもしれない。


社会全体がインターネットネイティブに最適化されていく過程を辿る中で、「俺/私はネットとか機械とか苦手だから……」などと言っていると、社会から置いていかれるどころか、隔絶されてしまいかねない。自分が損をするのは社会、サービスが悪いのではなく、紛うことなく自分のせい、という時代が来ても不思議ではない。


今の十代・二十代の人は、「若年層から高齢層まで一人残さずネットに強い」社会が初めて生まれるという時代の境界に立っている。私達が「おじさん」ネットユーザーに成り果てるであろう数十年後にこのような社会が成立することを思えば、インターネット上か現実かを問わず、現在の若年層はいずれ、立ち振る舞いを考え直さなければならないことは明らかだ。
老人ホームで「ボーカロイド曲イントロクイズ」や「ネットスラングを用いたおしゃべり」、「有り余る時間でレスバ」、「2chコピペ暗唱大会」を謳歌する夢を見る前に、もうすこし近い未来について「おじさん予備軍」各々による検討が必要になるかもしれない。





箸休め短編小説『くじら』


「クジラっていう動物がいるらしいよ。」
隣に座った女が話しかけてきた。
「どんな動物?」
無視するのも悪いかなと思い、仕方なく答えた。
女は言った。
「世界で一番大きい動物よ。」
僕は女の言葉を聞くやいなや飲んでいたコーヒを放り出して言った。
「そんな動物がいるわけないだろう!世界で一番大きい動物!?ちゃんちゃらおかしいや!」
女は落ち着いて繰り返した。
「世界で一番大きい動物よ。」
足の震えが止まらなかった。足元では、投げ出したコーヒーが後ろから銃で打たれたみたいに倒れて、黒々とした血を流しているのが見えた。
「そんな動物がいるってどうやって証明するんだよ…!」
僕は震える声で女に言った。
「じゃあ世界で二番目に大きい動物は何なのよ。」
女が問う。
「二番目に大きな動物?そりゃあ象だろう。」
僕は声が震えているのをこれ以上悟られまいと、慎重に声帯を震わせた。
女は微笑しながら、
「そうよ。正解。世界で二番目に大きい動物は象よ。」
と言った。僕は安心した。自分はまだ自分の知っている世界にいる。
「じゃあその、クジラなんていうふざけた動物は存在しないじゃないか!」
僕は自信満々で女に言ってやった。女はなぜかびっくりした様子でまた僕に聞いてきた。
「二番目に大きな動物は象なんでしょう。じゃあ一番目は?」
僕は大声で叫んだ。
「そんなものは存在するはずがないだろう!!大きすぎる!!」
僕が叫ぶと同時に女のビンタが飛んできた。僕は膝から崩れ落ち、地面に伏せてしまった。

コーヒーが目に入って痛い。





「生命体インターネットの老後」

ライター : maki

東京、銀座の中銀カプセルタワービルが解体されたのは、僕が東京小旅行から京都に帰ってきて直後のことだった。解体当時のツイッターでは国内の主に建築人たちからビルとの別れを惜しむ声が数多くつぶやかれていた。日本語だけでなく外国語でのツイートも散見された状況を見ると、国外でも一通り同じような騒動になっていたのだろう。いくらスクロールしても中銀カプセルタワーの古びたファサードの写真で溢れていた当時のタイムラインは、中銀カプセルタワービルが銀座のランドマークの一端を担っていたというだけでない、もっと重要な何かを象徴していたのだと感じさせるような空気感を纏っていた。                           解体前の中銀カプセルタワービル。もはやネットと本でしか情報を得ることができなくなり、直接この眼で見ることの叶わなくなった建築は、「東京に置いてきた。」という後悔として一時期のブームになり、そして次第に忘れられていった。                              僕が再び中銀カプセルタワービルを思い出したのは、昨日の晩、「ポストネット老人会論考」を読んだときだった。「インターネットネイティブの高齢化」「インターネット超高齢社会」のワードに隠されたこれからのインターネット社会への提案。リアル、ネット双方での世代交代が進行する中、我々は我々自身の「老後」を問い直す必要に迫られている。そしてその問いに答えるためのヒントとして中銀カプセルタワーの哲学が再検討される可能性を信じて、我々の老後を論じてみたい。


建築や都市は閉じた機械であってはならず、新陳代謝を通じて成長する有機体でなければならない。


戦後経済成長の中心で興った建築運動「メタボリズム」の理念は、高さ規制が緩和され縦への広がりを持ち始めた都市の中から生まれた。メタボリズムのアイデアは中銀カプセルタワービルや坂出人工土地などを筆頭に様々な建築作品に実装されていく。都市に林立するホモ・モーベンス的な居住ユニットや家々。黒川紀章はそんな日本の都市をイメージしながら、メタボリズムを夢見たらしい。

まずはこの「メタボリズム」の考え方を、都市や建築からインターネットにまで領域を拡張してみる。都市、建築、インターネット。これらをアーキテクチャという広い文脈で捉えるなら、今まさに我々はメタボリズムを再現しうる世界の中に生きているはずだ。メタボリズムのインターネットへの代入。この発想を軸足にして、議論を進めてみよう。

 つい最近まで、インターネットの最若手は我々の世代だった。ヒカキンが片言の英語で商品紹介している動画を見て育ってきた我々は、2022年現在、早くもインターネットの若い担い手ではなくなった。デジタルネイティブと呼ばれる我々の下にはもっと若いユーザーが参入し始め、我々は「インターネットおじさん世代」へと押し上げられている。これから数十年で、インターネットが若年層から高齢層までの幅広いユーザーで満たされるのは必然だ。ひろゆきがゲートボール配信をし、10歳にも満たない子供が5chで名スレを立て始めるのも遠い未来の話ではない。

幅広い年齢層のユーザーの集合体へと変貌しつつあるインターネットは、いよいよ生命体としての有機的な営みを開始する準備段階に入ったと言えるだろう。メタボリズム的な文脈に沿えば、インターネットは真の意味でソーシャルな形態へと移行し、新陳代謝を絶えず繰り返す「生命体」としての構造を備え始めたと言い換えることもできる。都市が三次元へと拡充されていく時代の中で発達したメタボリズムは、世代の拡充が目覚ましい現代のインターネットと非常に親和性の高い概念であるはずだ。インターネットのバージョンアップに伴って、メタボリズムもアップデートされていく。いわば「メタボリズム2.0」の世界に、我々の老後が待っているのだ。

インターネットが自らの循環システムを持ち、一個体の生命体として機能し始める時代に我々は生きようとしている。インターネットという生命体の細胞一つ一つとして生きる我々は、どう振る舞うべきなのか。

生物的な定義で言えば新陳代謝とは、「古いものがだんだんなくなって、新しいものに入れ替わること」「生物が生活の持続のために、体内に必要なものを取り入れ、老廃したものを排泄すること」だ。老廃したものの排泄が滞れば生物にとって必要なものが吸収されず、有機的な営みのサイクルが破綻してしまいかねない。したがってこれからの我々には、絶えず生み出されるコンテンツを母体の骨肉へと昇華させる努力を怠ることは許されなくなる。新しい細胞となる世代の生産と消費に対して、淘汰と生存のバランスが維持される下地を固める必要に迫られているのだ。

ここで一つ勘違いしてはいけないのは、これはインターネット新規参入者のための快適なフォーマットを用意しようとかそういった生易しい話ではない。「自分がユーザーでなくなったらもうどうでもいい」という心構えは積極的に捨てようという話だ。我々が細胞としての役割を果たさなくなったとしても、インターネットは生命体として永久に動き続けるからだ。生命体としての独立を果たし、放送権がテレビ局だけのものでなくなった現代、そして近い未来でコンテンツを筋肉にして動くインターネットを支えるのは、デジタルネイティブ世代の滞りない生産と消費の循環なのかもしれない。

オンライン投票制度やkensveltの夢見たプログラムのエトセトラは、我々がインターネットを独立した生命体たらしめた先、生産と消費の循環が安定した先に実現される。未整備の基礎の上には、デベロッパーとユーザーとの間にあらゆる点で齟齬が生じやすい。突然変異的なプログラムのインストールが、ダーウィン進化論ともインターネット進化論とも親和しないのは明らかだ。そしてデベロッパーとユーザーとの齟齬を回避するためには、ユーザーの啓蒙と批判が不可欠になってくる。

さて、メタボリズムを持ち込んだインターネットがコンテンツの新陳代謝に支えられることは明らかだ。ではそれを実現するための老後は、どのような姿なのだろうか。

インターネットが人の手を離れ、自動的に成長し続けるためには、途絶えることのない生産と消費が欠かせない。そしてそれは、インターネットの細胞である我々の常に変化し続けようとする意志によって実現される。要するに、消費者にはこれまで以上の批判性が求められ、生産者にはこれまで以上の柔軟性が求められる。ユーザーと細胞が、自動と手動に一対一対応するムーブメントだ。途方もなく難しい事のように思えるかも知れないが、従来の都市インフラや建築とは異なりインターネットにはそれが可能なはずだ。絶え間ない生産と消費のサイクル。絶え間ない改変と批判のサイクル。この両輪による流動性は、常に不安定さによって維持され、改悪の可能性と背中合わせだ。しかし我々はそれも承知の上で批判を続けなければならない。なぜなら近い将来、インターネットが生命体として動き始め、我々はその一員であることを余儀なくされるかだ。                   生命体インターネットの細胞である我々にとって、批判を繰り返すことこそが”責任ある老後の振る舞い方”であると信じている。

我々の生きる時代は、メタボリズムを更新し、メタボリズム2.0の理念を
「インターネットは閉じた機械であってはならず、ユーザーの不断の批判による新陳代謝を通じて成長する生命体でなければならない。」   
と再定義するフェーズに移行しつつあるのだ。残念ながら、我々の老後は穏やかではないのかもしれない。





このマガジンでは、maki氏とkensvelt氏がインターネットと私たちの老後を結びつけながら論じていた。しかし、私たちの老後について論じるためにはここで一度立ち止まって、現状の高齢者問題を考える必要がある。

「2025高齢者問題に向けて」

ライター : teto

「2025」という言葉を聞いて危機感を感じた読者はどれくらいだろうか。少しでもいてくれるなら嬉しい。2025年は1947年から1949年に生まれたいわゆる第一次ベビープーマー世代が後期高齢者になる節目の年である。しかし高齢者が増え介護保険の必要性が高まるのを目前にして、この制度が整っているとは言い難い。この場では介護保険制度の間題点と過去の改正を分析し、「尊厳」に対する姿勢と私たち若年層の老後について考えたい。


介護保険制度は2000年4月に開始され、2003年にそれまでの制度の展開、今後の課題、高齢者介護のあり方が見直され検討されて2005年にこの制度は改正された。

当たり前のことだが、高齢者になり介護が必要な状態になっても、私たちは自らの生活のあり方を個々の生活習慣や価値観をもとに決定したい。だが、2000年に開始された介護保険制度には「尊厳」という言葉は含まれていなかった、そのため、入浴、食事、排泄といったADL(日常生活動作)の援助が中心であり、介護現場は介護者のプライバシーが守られないという悲惨なものであった。この状態の打破のため2005年、法改正が行われた。第1条に「尊厳を保持し」が追加され、介護理念に「自立支援」·「尊畿を支えるケア」があげられるようになった。現在の介護は、より広い概念で生活をとらえQOLを高める援助が目標とされている。2015年問題にも備えたものであり、「尊厳」が重視されたが、2022年現在においても十分な達成がみられるかは疑問である。

2015年の厚労省の調査で介護施設での虐待は、408件、被害者は778人であった。これは介護施設の劣悪な労働環境が影響と考えることが一般的である。しかしこの間題は、第1条「尊厳を保持し」に重視することで対処できたはずである。介護保険制度の趣旨や効果を維持するためには、「尊厳」を保持する施策が必要であったが、ほとんどなされていない。「尊厳保持」に最重要な施策である労働環境の改善、人手の確保は後回しにされてきたのだ。改めて「2025」と「尊厳」を見直し、次に尊厳を確かに実現するために利用者の個性や生活と、その「多様性」の検討が必要となる。

利用者の生活は、その利用者の意志や価値観を理解され、人格を尊重した個別的支援のもとで行われるべきである。つまり、利用者の生活は、満足感や楽しみという主観的感覚を伴ってこそ自分の思い描く生き方に満足感と精神的充足を感じることができ、人とのかかわりの中で自分の価値や役割を見いだし、喜びを他者と共有することで豊かな生活となる。そのような生活をもたらす介護は、尊厳を保持し個性に対処するのだから、多様であることが必要となる。しかし介護の多様化は実現していない。21世紀、インターネットの普及が私たち人類の文明をさらなる高みへ導いた。その効果はすさまじく、文化、趣味、思想など多くの面で「多様化」を先導している。その個々の生き方さえも、インターネットの普及に伴い多様性のあるものへと移り変わった。だが、個々人の生き方を尊重できるような多様な介護は実現できていない。自分の価値や役割を見出すためには、自分を理解してくれるコミュニティが必要である。そうでなければ、喜びを共有することは難しい。だからこそ、次の段階は「多様性」とし追求するべきだ。


私たちZ世代の老後は、今よりもさらに価値観が多様化し、介護を受ける。「ボーカロイド曲イントロクイズ」、「2chコビベ暗唱大会」、「Googlemap旅行」、「YouTuberクイズ」をしたい各々が、各々のコミュニティで自らの価値観による役割を見出し豊かに人生を送れるような多様性に富む介護施設が望まれるかもしれない。






最後に


編集部クジラの創刊号『創刊』をお手にとっていただきありがとうございます。編集部はライター、イラストレーターを募集しています。興味があるぞ、実力もあるぞという方は名乗りを上げてください。『創刊』のコメント欄にでも連絡いただければと思います。
次号の計画はまだありません。数カ月後になるかも知れません。でも次号を作るつもりではあります。気長にご期待ください。
お仕事のご依頼は、現在は受け付けておりません。

                            編集長より


<参考>
現代建築 クリティカル・ワード 社会を映し出す建築の100年史
WEB版『建築討論』
平成27年度 高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査結果


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