【少子化問題】「お金がないから」は原因ではなく結果
少子化関連の議論では必ずと言っていいほど「お金がなくて結婚、子育てをする余裕がないから少子化になる!」という主張が登場し、一定の支持を集める。しかし、バブル期の日本や経済成長を続けてきたアジア諸国、子育て支援に手厚い北欧でも少子化が続いている事から考えると、経済的な問題が少子化の原因であるとは言い難い。
では何故こうした意見が支持されるのか?
筆者が考えるのは「金がないから」は原因ではなく結果であり、そこを履き違えている人が多いのではないか、という事である。
・お金がないから結婚できない
かつての日本ではお見合い婚が主流であり、妙齢の男女には自然とお見合いの話が持ち込まれて結婚する事が当たり前だった。
そうした文化を「結婚を強要する時代遅れの風習」であると否定し潰した結果、高度成長期からバブル期にかけて恋愛結婚が急速に勢力を拡大した。職場恋愛等の相手を紹介する文化は残りつつも、基本的には自分で結婚したい人を探し出して恋愛、結婚する事をやるようになった。
しかし恋愛結婚は、各自の行動と能力によって勝敗が決まる自由競争の世界であり、「負け組」になった人が容赦なく排斥される環境である。そうした環境が普通になると、モテる人とそうでない人で異性にありつける確率に大きな差が生まれてしまう。
これだけなら「余ったもの」同士で結婚するという道があったのだが、昨今の人権を意識した価値観の浸透により、「結婚を強要するのは良くない、おひとりさまで生きる人生を肯定しよう」という考えが広まった。わざわざ妥協してまで結婚する必要が無くなってしまったのだ。
そうなると、結婚をする為には相性が余程良いなどでもない限り、何らかの秀でた能力を持つ必要が出てくる。その最も分かりやすい指標こそが経済力、つまり金なのである。こうした状況から「金がなければ結婚は出来ない、結婚は贅沢品」という認識に至っているのである。
この傾向は、結婚において経済力が求められる男性の方で特に顕著になっている。
・お金がないから子育てできない
嘗ては「子供は放っておいても育つ」という考えがあったように、親が子供の全ての面倒を見るという慣習は存在していなかった。また、面倒を見る際にも長子が見るということも決して珍しいものではなかった。子供が死ぬ確率は高くなってしまうが、それと引き換えに親の子育てにおける負担は小さいもので済んでいた。
だが時代が変わり子供の人権が重視されるようになると、この文化も否定された。「子供は丁寧に大切に育てるべき尊い存在であり、不幸にさせるなど絶対にあってはならない」という考えが社会の中で当然の考えとして浸透したのだ。これはメディアが子供が不幸になった事件をセンセーショナルに報道した事も相まって、時代を追う毎にヒートアップしていった。そうなると親に求められる育児のハードルも急激に上昇していき、親達は子供を育てる上で強いプレッシャーを掛けられる事になったのだ。
こうした負担を払拭すべく多くの親が意識したのが、教育への投資だ。教育にお金をかけて将来の選択肢を増やすことで、子供の安全を確保しようとしたのだ。以前であれば大学に行く若者は極少数であったが、今や進学率は5割を超えている。更に都心部を中心に中学高校から私立の学校に通う事も珍しくなくなっている。
こうなると、子育てに必要となる費用はうなぎ上りだ。子供が大学に行く事を見越して入学費用を貯蓄したり、受験の為の学習塾通いで多額の出費をする必要が出てくる。これから子供を持つことを考える人も、先輩たちのそうした話を聞くことで身構えてしまう。
また、放漫な子育てが出来なくなった事と並行して起きたのが、地域共同体や三世帯同居等の子供の面倒を親以外の人が見る仕組みの解体だ。核家族が家庭の中心となった事で、親が子供の面倒を全て見なければいけなくなった。これは心理的負担を高めただけでなく、仕事と子育てを両立しようとした時に保育園に利用料を払って預ける等の「新しいコスト」を支払わなければならなくなった。一時期、保育園に子供を預けられないという話が大論争を巻き起こしていたが、そもそも三世帯家族や地域コミュニティが今でも存続していれば考えなくてもよかった話である。
子供を大切にする文化の形成により子育てのハードルが上がった、それによって一昔前なら必要なかったコストを多々払わなければならなくなった。それは子供を多く持とうとする程顕著になった。これが「子供を作るなんて考えられない!」「子供を育てるのにはお金がかかる!今の収入ではひとり育てるのが精一杯!」という考えに至っているのである。
・なぜ熱烈に支持されるのか
以上のように、様々な要因から結婚子育てに至る為のハードルが上がり、それを乗り越える為にお金が必要とされている、という構造が今の日本には存在している。故に、経済支援や子育て支援で当事者にお金を配っても効果は微々たるものであり、むしろ支援が入る分「普通」のハードルが更に上がる可能性もある。少子化対策としては効果を期待できないものなのだ。
にも拘らずリアルでもネットでも「お金がないから少子化が進んだ」という意見は今日でも多く見られ、X(ツイッター)でもその手の主張をするポストは定期的にバズる。これは何故か?
ひとつは主観的には「お金がなくて結婚子育てをする余裕がない」という話が真実だと錯覚しやすいからである。各種データを用いた過去と現在の比較、現在の結婚子育てを取り巻く環境の把握など、日頃から少子化の問題に強い関心を持っていないと中々こうした観点には目を向けにくい。現状、こうした話をしきりに出しているのも筆者のような物好きや、男女論を日夜熱く語る界隈だけである。
普通に生きている人からすると現在の環境が「普通」「当たり前」という感覚なので、環境自体の問題よりも自分の手元に金がない事の方に目が向いてしまう。奇しくも日本は長らくデフレ経済を続けてきて賃金が上がらない時代が長く続いていた。出生率の低下とデフレ期が被さったことで少子化の問題は経済問題という風に錯覚しやすかった面も大きいだろう。
そしてもうひとつは、そういう事にしておいた方が都合がいいからである。
「お金がなくて結婚子育てできない」という話は、自分達を国家や社会の被害者という立場に置くことができる。自分自身の責任に目を向ける事なく「私は可哀そうな人間なんです」と世間にアピールする事は多くの同情や共感を集め、道徳性を高める事が出来る。上記のバズポストもそうだ。
身も蓋もないことを言うと、実際に問題を解決できるかよりも、自分が共感を集めて気持ちよくなる事が優先されてしまっているのである。
また、原因を国や政治、社会に委ねる言論でもあるので、政治叩きに熱心な人達にはこれが格好の材料なのである。問題が取り沙汰された時に「お金」というワードを使って政治を叩く事で、「自分は正義」ポジションを得てこれまた共感や賞賛を集めるという訳である。
兵庫県明石市の泉市長が少子化対策で絶賛されていたのも、お金による支援の大々的なアピールと、国の姿勢を厳しく糾弾するポーズが「刺さった」人が多かったからだと考えられる。
最も、近年ではエビデンスの充実や、数々の議論の結果として「金がないから少子化はデタラメなのでは?」という意見も徐々に増えてきていると感じる。
少子化問題を本当に解決したいなら、こうした意見が増える事は必ず必要だ。実際には効果のない対策に金と時間を空費すれば、その分だけ被害や損失は大きくなる。国民が「お金がないから」から頭を離すべきである。
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