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ココロの断捨離を今こそ(私が捨てた常識)

こんにちは。

2020年も残りわずか2週間ほどになりましたね。

今は世間がひとつの同じ話題のみで騒々しくはありますが、せめて年末年始にかけては、ひとりひとりが心静かな時間を持てると良いですね。

今年は国内ばかりでなく、全世界で文字通りの「パラダイムシフト」が起きました。

しかし、時代が変わったにも関わらず、どういうわけか頭がついていなかい、という実感をしていませんか?


多くの人に好まれる断捨離ですが、なにも「モノの整理」だけに当てはまることではないかな、と思います。

つまり、「ココロの断捨離」というものが、今まさに必要なのではないでしょうか。

年末の大掃除をして気持ちがスッキリするように、
頭と心を直接整理すれば、この時代の変化も、もっとラクラクと受け入れられる気がしています。


今回は、騒々しかった今年の暮れにふさわしく、ココロの断捨離をやってみようかと思います。


■疑わしき常識は思い切ってゴミ箱へ


ココロの整理といっても、心を入れ替えようとか、そんな陳腐で難しいことをしようとは思いません。

私はできればこれからの時代を、しなやかに生きていきたいと思います。

そのためには、そんな私の足を引っ張るであろう、”疑わしき常識”というのものを列挙し、思い切って捨ててしまおうと思った次第です。

それには、これまで当たり前すぎて見過ごされてきた「常識」を、足元から疑ってみる必要があります。

私が実際、多くの企業や組織と関わるなかで、
「ここにこだわっていたら、時代において行かれるな...」
と痛感しているいくつかの常識を、その理由とともに挙げます。

さらに言えば、これらは疑うべきなのではなく、
もはや捨てるべき常識とも言えます。

挙げればキリがないのですが、今回は一部を共有させていただきます。

■ゴミ箱行きの「旧常識」

疑わしき旧常識その①
「不公平はいけない」「公平でなければいけない」

これはほぼ”都市伝説”です。

もともとこの概念を私は信じていませんでしたが、
人類はコロナ禍で痛いほど思い知らされたと思います。

世界では、救われる命もあれば、見捨てられる命もありました。

世の中ではコロナ禍であるなしに関係なく戦争が続けられ、
命を落とす人もいれば、助かる人、そして命を奪う人もいます。

身近なことで言えば、国の法律、会社の評価基準など、
自分が身を置いている環境の判断基準によって、
私たちの処遇は良くも悪くもなります。

つまり、姿形ははっきりと見えませんが、

私たちは、
何かしらの見えない大きなピラミッドのような構造の中にいて、
属している階層によって、上の誰かさんから
”生殺与奪”をされる側にいます。


もっといえば、

人類が霊長類の長というのは、人類が勝手に言っているだけのことで、
生身で生きていくとすれば、相変わらず弱弱しいホモサピエンスの子孫であり、その辺の動物に食べられてしまう恐れだってあるわけです。


「あの人だけが特別待遇なのは、不公平だ」

「私だけ認められないなんて、不公平だ」

こういう類いの不平不満は、「世の中、公平でなければならない」と思っている証拠です。


しかし私は近年、こうした類の不平不満を感じたことはありません。理由は、

世の中はそもそも不公平である


と理解しているからです。

それにしても、なぜ世の中公平でなければならないのでしょうか。

法の下の平等は保証されていますが、待遇は公平でなければならないなどとは、どこにも書いてありません。


案外それをすんなり受け入れことで、世の中をさらにクレバーに生きていくことができるかもしれませんね。

疑わしき旧常識その②
「努力をすれば報われる」


50年近く生きてきて、さらに人をサポートするお仕事をしていて、
「これはないな」と思う、幻のような通念です。

努力をしても報われないことは確実に存在します。

例えば、プロスポーツの世界。

何百万人という競技人口がいる分野で、みな同じように努力しているのに、
プロになれるのは1%を下回る確率です。

人の倍ほど努力しても、人並みしか努力していない人がトップになることはあります。

その原因はいくつかあると思います。

例えば、努力の仕方が間違っている、とか。
例えば、才能がそもそも足りなかった、とか。

しかし、もっとも大きな問題は、

努力すべきこととそうでないことの、
見極めがついていないこと

だと私は思います。

例えば、私の長男ですが、プログラミングでは高校の代表に入るほどの腕を持っています。

その長男が、「古文のテストの結果が悪から、古文で100点を取れるようにがんばる」と言ったとしましょう。

私なら、その意思は尊重しながらも、やんわりとやめさせます。

その努力にかけるべき的(まと)が違うからです。

努力すべき的とは、
自分が人並みの努力で、人並み以上の成果を出せることです。

つまり、いくら苦手で嫌いなことを、人一倍努力しても、それが得意で大好きな人には、まったく歯が立たないのです。

古文のテストで満点を取ろうとするエネルギーは、
プログラミングで全国大会に出場し、上位にランクインするエネルギーに転化すれば、
それなりの結果が出やすいように。

努力すべきことを見誤らない

このことが大切だと思います。


やっても報われないことに貴重な時間もお金も体力も浪費し、
気づけば人生の大半が過ぎていた、ということにならないよう、

見極め、あきらめも、人生の戦略だと思います。


■まだまだある、検証されていない”洗脳用語”

私たちの価値観は、おおむね自分の体験や経験したことから得たことが多いです。

そしてその中には、目上や影響力のある人に言われた、

依然パワーをもったまま、検証をされていないような常識

が頭にこびりついていたりします。

「全員一丸となれば道は開ける」
(足並みをそろえたとき、玉砕のリスクも高まる)

「リーダーは背中を見せてついて来させる」
(言葉で語れないリーダーの、常套的な逃げ口上)

「誰もがリーダーになれる」
(誰もがリーダーになったら、実務部隊がいなくなる)

などなど。

疑わしき常識は、以前そのパワーをもったまま、検証されないで語り継がれています。

一方で、パラダイムシフトは待ったなしで、私たちに「変容しなさい」と訴えてきています。

自分たちの口から何も考えないで思わず出てしまう、”旧ノーマル”の常套句には、よくよく注意が必要です。


言葉にはパワーがあります。

検証し、選択していきましょう。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


皆様の心穏やかな年末年始を祈りつつ。

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

老人はよい教訓を言いたがるが、
それは、もう悪い手本を示す年ではなくなったことを、
ひそかに自慰するためである。


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