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未来予測よりも大切なこと

こんにちは。

まさに、三寒四温。
一日ごとの気温差が激しい今日この頃ですが、この先にはあの穏やかな春の陽気が待っています。
体調に気をつけながら、春の到来を待ちたいものです。

今回のテーマですが、それ方面の人からは苦言をもらいそうですが、
「未来予測の不毛さ」について、考察してみました。


■またぞろ「占い」ブームの到来

コロナ禍のように、世の中の先行きが見えなくなると、必ず「スピリチュアル」な話が身の回りで増えてきます。

中でも、ここ数年鎮静化していた「占い」が、ブームになっているようです。
なんとゴールデンタイムでテレビ番組なっているくらい。

有名人などに声をかけて、頼んでもいないのに占いをする、というスタンスを見ると、
これまでのスピリチュアル番組よりも、アグレッシブさを感じてしまいます。


世の中が不安定になってくると、誰だってこう思うはずです。
「この先どうなるのだろう?」と。

そして、なんとか未来を予測する手がかりはないかと、
それらしい情報がありそうなウェブ上のサイトを訪れたり、
本を買ったり、
多少詳しそうな知人に不安を打ち明けたり、
先に述べたように占い師に相談したりします。

かくいう私も、古代東洋思想の「陰陽五行」を永年勉強していますが、
こちらは占いではなく、「万物の変化の法則」の読み解き方、というニュアンスに近いものです。


■VUCAの時代に、”予測”なんてできるのか?

さらに言えば、かくいう私も、
「VUCAの時代」という言葉にフォーカスが当たるようになってからは特に、
来年を予測する」といった類いの本を、毎年、暮れになると買っては読んでいました。

近未来の世界情勢はどうなる?というタイトルを見れば、やはり気になります。
コンサルタントという職業柄、「来年は、どんなキーワードをもとに社会は動いていくんだろう」といったことは、押さえておきたいものです。

しかし、じつは、そうした予測本を読むことを、ここ2~3年でやめてしまいました。
特にここ10年ほどで発刊された、主な未来予測本には、残念ながらあまり内容に新鮮味を感じなくなったのです。


■私が未来予測の本を読まなくなった理由

なぜだろうと考えてみると、だいたいこんな理由です。

まず、内容が、前の年までの焼き直し程度でしかない、ということです。

そのこと、去年も言ってなかったっけ?それなら、もう知ってるんだけど
といった既視感を覚えることが、やたらと目立つようになってきたのです。

また、もう一つの理由として、
世の中の変化の速度が、人が予測するよりもはるかに速くなってきた
と実感しているからです。

いつの間にか、私たちは「想定外ばかりが起きる時代」に生きています。もっと言えば、「想定外が起きることが普通の時代」です。
もちろん、「想定外」というくらいですから、そもそも予測はできないことなのかもしれません。

とはいえ、特にパンデミックについて、
「来年は、世界中に新型ウィルスが蔓延するかも」などといった情報を、
はたしてどの本が予測していたでしょうか。

私が知るかぎりでは、なかったように思います。

つまり、「昨年はまったく予測できなかった今年」という現象が何度も起きているうちに、こうした「予測本」に、個人的にはあまり価値を感じなくなったというのが、正直なところです。


■みんなが信じる、あの常識はどうなるのか?

そんな風に私が言ったところで、相変わらず世の中には、こういう常套句が根強く残っています。
未来を予測し、今できることから備えよ」。
よく聞きませんか?

もはや、このセリフを書きながら、勝手にニヤついてしまうくらい、説得力がありません。

にしても、どうでしょう。本当にそんなことは可能なのでしょうか。

今私たちの身の回りに起きていることの数々。
それらを見れば見るほど、「未来を予測し、」という言葉が、どこか空々しく聞こえてしまいませんか?

専門家ですら、予測を外しまくっているのが現実です。
私たちのような街場のビジネスマンが予測する未来とは、どれほど現実味があるのでしょう。

だから、私は最近こう思うようになりました。
「未来を予測することに、たいした意味はない」と。


■デフォルトが”想定外”の時代のシアワセとは?

私たちが生きている時代は想定外だらけです。
パンデミック、自然災害、はたまたテロやクーデターなど、味わったことのないほどのショッキングな出来事が、次から次へと起きるのが、今の世の中なのです。

予測して備えるどころか、実際にそれが起きてしまってから右往左往する、ということが常となっているのではないでしょうか。

それが現実だからこそ、最近の人々の気持ちにも変化があるように感じます。

つまり、そんな時代に生きる私たちはこれまでになく、
「生きる」という生々しい感覚に、
敏感に、そして真剣に考え始めている、

ということです。

病気や災害、良くない出来事などが、実際に自分や身近な人に迫ってくるような感覚を味わい、
そのことで、「命の尊さ」というものを、他人事や知識だけはなく、体感としてかみしめているのではないでしょうか。


■未来予測よりも大切なこと

未来を予測するよりも、
身近な人の安全や自分の周りの環境と向き合って、
「どうやって生きていこうか」と、
自分なりに考えて行動することが、自然になってきているのです。

そういうご時世というのは、えてして
「今日はなにも起きなくて良かったね」
言い合えることが、じつは貴重だったりします。

そのことに、私たちはうすうす気づき始めているはずです。

明日をも知れない世の中とは、よく言われることです。
そんななかで、
「未来を憂うより、今日、確実に実感できる幸せをかみしめる」
という風潮は、
これからますますハッキリしてくるのではないかと思います。

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

あまり利口でない人たちは、
一般に自分のおよび得ない事柄については
なんでもけなす


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