「ニューノーマルについて思うこと」今年最後のコラム
こんにちは。
あと2日もすれば、2021年を迎えますね。
今回のコラムは今年最後、この特異な一年を振りかえり、来年のことを考えてみました。
2020年を振り返って
今年はわが社においても、規模が小さいながらも
リモートワーク環境下におけるコミュニケーションのあり方を追求し、
また、サービスモデルそのものも進化させるなど、
これまでにない取り組みを試みた一年でもありました。
ただ、今年を振り返るに、看過できない違和感を覚えたのはたしかで、そのことについて綴ってみたいと思います。
「ニューノーマルについて思うこと」
大げさでなく、今年、世界にとって最大の衝撃だったのは、
コロナ拡大ではなく、
コミュニケーションの制限が設けられてしまったこと
だと思います。
20万年前にホモサピエンスが誕生して以来、人類の生命維持
には、「代謝」と「コミュニケーション」というしくみが
根幹にあると言われてきました。
その一つが奪われることになったのは、人類史上初のことだと
思います。
いずれやってくる生命の危機とも言えるのではないでしょうか。
世間では、ともするとそれをニューノーマルとして受け入れる
べきといった一部風潮もあります。
しかし、
マスクで表情も見えない
モニター越しで相手の考えが読めない
言いたいことが伝わらない
といったストレスもあり、
ハラスメントやメンタル不調が発症するケースはむしろ増えています。
また、もっと心配なのは、
離乳食にさしかかった子供が、「咀嚼」の仕方がわからなかったり、
笑顔を知らない乳児がいたり、
あるいは、
同級生ができない学生や、家族に会えない老人
といったお話を聞きます。
「心の距離」までが生まれてしまう時代が、もしニューノーマル
のであるのなら、
それはあくまで一時的な「措置」であり、
未来永劫に続く標準としては、けっして受け入れてはいけないもので
あると思っています。
言うまでもなく、コミュニケーションの目的は
「意思疎通」でも「伝達」でもありません。
それは、
双方の「心のつながり」を実感し、深めることにあります。
生身の人間として
たしかにリモワク時代のコミュニケーションはそれだけで目新しく、
それに乗っかることが時代に適応しているようにも見えますが、
本質は問題だらけです。
「新しいからニューノーマルであり、それらは無条件で受け入れるべき」
という姿勢は今後生きていくうえで、たいへん危険な思考です。
なぜ私たちがここにストレスを抱えているのか、
なぜ心が離れていく気がするのか、
なぜ気持ちが相手に伝わらないのか、という、
「生身の人間としての実感」と向き合うことが大切です。
今年は、コミュニケーション開発の専門的な立場からしても、
パンデミックより怖い現象を目の当たりにした思いでした。
経営者、リーダーの皆様には、これからのコミュニケーション
のあり方について、ぜひ思いを巡らしてみていただければ
たいへん幸いです。
来年は「辛丑」
来年2021年は、どのような年になるのでしょうか。
干支は「辛丑」。
ムダを省き、選択集中し、果断ながらも平常心をたもつ。
がキーワードとして見えてきます。
今年得た教訓を棚卸し、2021年はより人にとって優しい
社会環境を共創できれば、これ以上の理想はありませんね。
「エグゼクティブ開発」を専門とする当社としては、
あらためて心のつながりを具体的に実感し合えるような
取り組みを進めて参ります。
ゆくゆくは、エグゼクティブやリーダーにとっての
「総合エンタメ」企業になりたい
と、私個人の夢も描いています。
皆様のこれからの想い、夢を、次にお会いした時はぜひお聞かせください。
あらためて、本年はたいへんお世話になりました。
皆様にとって心穏やかで、幸多き年明けとなりますよう、祈念申し上げています。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
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