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『自由になるための技術リベラルアーツ』文句なしの★5つの本でした。【読書レビュ】

 おはようございます。 大橋です。 週末にラグビースクールの関係で柏に帰っておるのですが、そういうこともあって平日にレビュをアップすることになった三週目、最近日の出が早くなったこともあり朝の時間を有効に使えているので、平日の早朝で読み切ることができました。2021年3月の本、つまり新しい本なのだけれど、多くの古典を参照されていたり、対談形式でまさに知と知の「弱いつながりの強さ理論」ではないですけど、非常に勉強になりました。大変オススメの本です。 ではいってみましょう。


自由になるための技術リベラルアーツ
山口 周 著
2021年3月の本

 この本はやはり多くの方にお勧めしたい★5つの本でした。 山口周さんの本は複数読み進めてきて、その考え方とか論調とかが自分とあっているというところはもちろんある。 今回の本は「対談」の形式をとりながら、まさに知と知のかけあわせを表現してくださっているような形態であり、非常に造詣が深く、勉強になった。 


 新しい本は、その瞬間の時代を反映していることは多いが「リベラルアーツ」という数百年、数千年という時間のヤスリにかけられて残っている「人間の叡智」(本書より引用)を学んでいくことは重要だ、というメッセージは大変有益なものであった。 また新しい本、ということで、昨今のコロナ禍を反映してでの考察がなされているという観点も興味深いし、複数の達人の皆様との対談から出てくる古典の数々の本にもまた興味も持たされた(あぁもっともっと勉強しないと…)。

 またいつものように個人的な話をすると、「リベラルアーツ」に関しては、その言葉も少し気になっていた中で、自分の娘が学校で「リベラルアーツ」なるものを学んでいる講義があり、昨今の中学高校では、かなり興味深いことを教育しているのだな、と思ったところはある。 そんな中、アート思考とか(デザインシンキングとか)STEAM人材の本だとか、そういうところを読み進めるにあたって、そもそもリベラルアーツというものは、リベラル≒自由になるためのアート(アーツ:わざ/技術)なんだな、というところが自分の中で腹落ちしてきたところはある。


 そんな中、帯裏には 『過剰な情報に振り回されがちな現代社会。 私たちを縛り付ける固定観念、常識から解き放たれ、自らの価値基準を確立し行動するために必須の素養。』とある。 BeUniqueを自分の価値基準として生きてきた中で、大事にしたい本だと思った。  そして労働時間2,000時間では勉強する時間はないじゃないか、という文言に、(ほかの人とは比べ物にならないほどの)手触り感を感じつつ(ちなみに2020年度実稼働時間実績:2,037時間という記録あり)、あぁ、古典は勉強していかねばだな、と自分を戒める。 新しい本かつ古典も勉強になるという、お勧めの本です。


そしてまた、やっぱり「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」というメッセージに立ち戻り、また、その想いを胸に、これからも勉強しつつ生きて行こうと思う。(またそこかよ、という突っ込みもある)


以下、抜粋引用 (今回も皆さんにお伝えしたいことを意識していたら、かなり多めとなってしまった…)
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○はじめに
 そんな中、再び注目を集めているのが、「リベラルアーツ」です。日本語では「教養」と訳されることが多いのですが、本来意味するところは「“自由”になるための“手段”」に他なりません。己を縛り付ける固定観念や常識から解き放たれ、“自らに由(よ)って”考えながら、すなわち、自分自身の価値基準を持って動いていかなければ、新しい時代の価値は作り出せない。そんな時代を私たちは生きています。

はじめにに記載されたリベラルアーツの定義ですね

○P20
 VUCAの時代と言われるいまでも、多くの企業がコンサルティング会社や広告代理店に巨額の費用を支払って、「何年先にどうなるのか?」という未来予測を依頼しています。はっきり言ってそんな発想が時代遅れなのです。未来を他人に聞くのではなく、「あなたは、一体どうしたいのですか?」と、そろそろ問いそのものを変えなければならない時期に来ているのだと思います。

そう、「あなたは一体どうしたいのですか?」の時代になってきていると強く感じています。

○P90
 「ダイバーシティ」については説明するまでもないでしょう。経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが説くように、本来のイノベーションとは、「既存知の新結合」です。さらに既存知間の距離が遠ければ遠いほどおもしろいイノベーションが生まれることも経験則として実証されています。この既存知間の距離を遠くするのがダイバーシティです。多国籍の人が集まれば、それだけいいアイディアが生まれる可能性が高まるということです。ラグビーワールドカップのワンチームが示したように、「混ぜると強くなる」のです。

お、自分のかかわりの深いラグビーのアナロジーが出てきたぞ

○P106
 リーダーは組織を潰すこともできるし、トップダウンで世界を変えることもできる。人間社会を丁寧に見ていると、リーダーの役割の大きさに気づかされます。だからこそ、リーダーは謙虚な姿勢で、他人の5倍も10倍も学び続けなければいけないのだと思います。

はい、5倍も10倍も学ばなきゃですね。

○P116
 この「開かれてあること」という知的態度は、現在のようにさまざまな定説や常識が急速に陳腐化していく時代にあって、個人の知的生命力の根幹をなすものだと言えるでしょう。200年前の啓蒙時代、リベラルの元祖とも言えるイギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルは代表作である『自由論』において、次のように指摘しています。
 「誰かある人の判断が本当に信頼に値するという場合、どうしてそう言えるのか。その彼が自分の精神を、彼の意見と行為についての批判に対して、開いたままにしていたからである。(中略)人間というものが、ある主題の全体を知ることに、幾らかでも接近しうる唯一の道は、あらゆる多様な意見を持つ人々がその主題について言いうる限りのことを聞き、あらゆる性格の精神が、その主題について考察しうる限りのことをすべて考察することだと、彼が感じていたからである。これ以外のやり方で、彼の賢明さを獲得した賢人は、かつていなかったし、ほかのやり方で賢明になるということは、人間性の本性の中にはないのである」
 このミルの指摘を読めば、あからさまな反論や議論が歓迎されず、空気を読むことの巧拙が出世に大きく影響するような社会や組織が知的に停滞していくのは当たり前のことだろうと思わされます。

そうなんだよな。「オープンネス」これものすごく重要なことだと思う。

○P148
 言葉によって、目の前で起きていることだけでなく、知覚できないこと、例えば、自分が参加していない会合で何が語られたのか、私が生まれる前に何が起こったのか、そういういろいろなことを理解できる。言葉を使うことによって、自分の世界を言葉の到達する範囲まで広げることができます。これは人間に与えられたとても大きな能力ですね。だから人間は、言葉を使って物事を考えることによって自分を超えていきたいと考えるわけです。
 ただし、よく考えてみるとここには矛盾があります。言葉で考えている以上は、自分の頭で考えているわけだから、自分を超えてはいけないことになります。しかし、その言葉は自分の中から出てきたものなのか。何かの本に書いてあった、誰かが言っていたということであれば、他の人の頭の中にあった言葉が形を変えて自分の中に入ってきていることになります。 本当に自分を超える可能性というのは、そこにしかないのです。ですから、いまの自分を超えてもっと大きな世界に行きたい、より正しく、より多くの人々の役に立つことを考え、実行したいというのであれば、本などで他の人の言葉に触れるということが必ず必要になります。

言葉を用いて考える限界も意識しながら、アート思考もあるんだろうと。

○P170
 お釈迦様は悟りを開いとき、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」、生きとし生けるものはみんな生まれながらにして仏になり得るとおっしゃいました。しかし、いろいろな煩悩や固まった心が、内なる仏の存在に気づくことを妨げているのです。それらを修行によって取り除いていけば、いちばん底に仏が残るということに気づく。ここがやはり仏教である禅の精神の核です。
 ころころ転がるから、「心(こころ)」なのだとも言われますが、心は水のように形を変える自由自在なものです。それを好き嫌いや損得、是非や善悪で呪縛して、嬉しい、悲しい、苦しい、といった状態で固めてしまうから不自由になる。その固まりをほどく方法を教えてくれるのが、仏教であり、禅であると考えています。

これものすごく衝撃が走った!仏とはほどくこと、なるほど。。
(続きの章では「一心」の話もありました)

○P177
 セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。現在、多くの教育機関・研究機関でもセルフアウェアネスの重要性は高まっており、例えばスタンフォード大学のビジネススクールでは、教授陣が構成する評議会において「これからのビジネスリーダーの素養として、最も重要な要素は何か」というテーマで議論したところ、満場一致で「それはセルフアウェアネスである」という結論に至っています。そして、これこそまさに平井住職のおっしゃられた「自分のことがわかる」ということなのです。
 さらに加えれば「禅」と「マネジメント」と「リベラルアーツ」の三叉交差点で考えてみた場合、平井住職のおっしゃられていた「仏とはほどけること」という言葉も、私にはとても重いものに思えました。本書第一章において中西輝政先生は「リベラルアーツ」の「リベラル」を「縛りがないこと」と定義されておられます。「縛りがない」というのはまさに「ほどける」ということと同義です。国際政治と臨済宗という、まったく異なる領域で道を歩んで来たお二人が、究極の知性のあり方としてほぼ同じアナロジーを用いていることには驚かされます。

「縛りがない」≒「ほどくこと」自分の中のもっともよいものが残るようマインドフルネスもあり、というところですね。これずどーんとなった。

○P252
 今回のパンデミックのように行動が制限されるようなことが起きたとき、普段から多様なものを受け入れて寛容性や臨機応変性を培っている人々は、「まぁこういうこともあるよね」と冷静に向き合える可能性が高い。物事は思い通りにならないとわかっていれば、もっと楽に受け入れられる。ところが、異質なものや自分の気に入らないものを排除することに懸命になりすぎると、生きにくくなるだけでなく、危機への対応力も下がると思うのです。

ダイバーシティがない世の中は生きにくいです。

○P263
 以前、早稲田大学の入山章栄先生とお話をさせていただいた際、先生は「創造性は人生における累積の移動距離に相関する」とおっしゃられていました。その言葉を今回、ヤマザキマリさんとお話をさせていただいた際に改めて思い出しました。これまでにも述べた通り、「リベラルアーツ」とは自分を縛る固定観念や無意識的な規範から自由になるための思考技術を指しています。これは密接に、自分がいまいる場所、時間における常識を相対比できるかという論点と関わっています。累積の移動距離が長いということは、「いま、ここ」という場所以外の場所をたくさん知っているということです。だからこそ「いま、ここ」でしか通用しない常識や規範から自由になれるのです。出口治明さんが学びの契機として「旅」を挙げておられるのも基本的には同じ考えによるのでしょう。
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入山先生、いつものなるほどだなぁ、だから修学旅行は「旅」なのかとも。



ずいぶんと長文の引用ボリュームともなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。これはゴールデンウイークに買ってでも読んでよい本だと個人的には思っています。 オススメの本です。

いつものブクログをリンクさせておきます。


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