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12年前の佐藤ツヨシ 卒論の要旨「教育の基礎としてのシュタイナー思想による人間理解の研究」

教育の基礎としてのシュタイナー思想による人間理解の研究

4年 佐藤剛

序において、シュタイナーの思想に私が興味を覚えたきっかけと、日本でのその教育と思想の捉えられ方を述べる。シュタイナーの教育が日本において注目を浴びながら、その思想はオカルト的思想と考えられ取り扱われることがない。シュタイナーの思想を深く理解することが必要であるのは、シュタイナー思想を深く理解することなしではその教育実践を理解することはできないと考えたからである。
 また、シュタイナーの思想はオカルト的なのではなく、自然科学が取りこぼした部分を含んだ精神科学が土台とした科学的な思想であり、十分に現代科学との繋がりを考えることができることを述べた。
 序章の最後において、私の全体的な姿勢や研究方法、各章の概略を述べた。

第1章 ルドルフ・シュタイナーの生涯

シュタイナーによる自伝『シュタイナー自伝Ⅰ』、および『シュタイナー自伝Ⅱ』を参考にし、ルドルフ・シュタイナーの生涯を綴っていく。シュタイナーの生涯を追いながら、その思想が形成されていく過程を捉えていく。
 シュタイナーは哲学者、教育者として順調にその道を進んだのではなかった。はじめはウィーン工科大学において出会ったゲーテの作品とその思想に触れ、ゲーテ研究者として活動を始めることになる。
 ゲーテ研究を始めとする独自の哲学研究から得た思想を、シュタイナーは神智学協会においてはじめて語ることができると感じた。これ以降、神智学協会の一員としてシュタイナーは神智学者として活動をはじめ、この頃より、主要著書の刊行や重要な講演を行っていく。神智学と袂を分かち、人智学協会、一般人智学協会として独立したシュタイナーは、死に至る直前まで講演をはじめとする自身の活動を続ける。シュタイナーは多くの叡智を著書と講演に残して64歳の生涯を閉じることになる。

第2章

シュタイナーがその思想で捉える人間の構成要素は複雑であり、耳慣れない表現ばかりである。しかし、それぞれの用語を十分に理解することによって、深い人間理解と、それに基づく人間の発達の理解が可能である。
第2章では、人間の構成要素を肉体、エーテル体、アストラル体、自我という基本構成要素4つとさらに高次の霊我、生命霊、霊人という高次構成要素3つの計7つの構成要素に分けて考え、シュタイナーによる人間理解を深めていく。
これは肉体に生命力(=エーテル体)が宿り、感情(=アストラル体)が宿り、理性(=自我)が宿る。このように基本構成要素は我々の考える「意識」であると捉えることができる。これに対して高次構成要素は、精神界の顕現であり、直観を伝えるものであるとシュタイナーは考える。これらは我々の考える「無意識」であると捉えることができる。
この章において教育によって育成されていく人間がどのような要素から成るかを理解し、それについて考察していった結果、シュタイナー思想による人間構成要素は身体と意識と無意識からなる、というように自然科学的視点からも捉えられることを述べた。

第3章

人間が外界を知覚し関係を持ったのは、感覚の働きによってである。シュタイナーがその思想で捉えている人間が持つ諸感覚は、通常私たちが言う「五感」よりも複雑である。シュタイナーが捉える感覚は3つの自己認識感覚、7つの外界認識感覚、3つの高次認識感覚の計13の感覚である。自己認識感覚は自己の身体についての感覚である。体の調子や運動の仕方、バランスを感覚であり、人間にとって、もっとも基本的な感覚である。外界認識感覚は人間が事物について認識する感覚である。外界認識感覚は大きく2つのグループに分けられており、1つは「触れる感覚」として考えられている。シュタイナーの思想においては独立した「触覚」が設定されていないのも特徴である。もう一つのグループは「理解する感覚」である。高次認識感覚は2章で述べた、精神界の顕現である直観を認識する感覚であり、霊視感覚、霊聴感覚、霊的合一感覚の3つがそれである。

第4章

2章で述べた人間の構成要素と3章で述べた人間の持つ諸感覚によって、人間の理解が可能になる。シュタイナーの考える輪廻の思想も踏まえながら、個人の発達を前回の生から次回の生へと繋がる連続的な発達を捉え、また、シュタイナーの捉えた人間理解を彼の思想による7年周期の人間発達に則しながら現在存在する個人としての人間の発達を捉えていく。そして、彼の考える輪廻の思想も踏まえ、個人の発達を捉えていく。
 また、シュタイナーの思想がオカルト思想の中に組み入れられてしまう原因を、その思想において使われている用語の訳の使い方から考えていく。自然科学を深く学んだシュタイナーの精神科学は、決してオカルトなのではなく、自然科学が取りこぼしたものをシュタイナーは取り残さずに科学の範囲に入れて考えられた科学なのである。
 最後に、私が教育を理解するための基礎としてシュタイナーが捉えた思想を考えるのはなぜか、を中心に私の考えを述べていく。教育において社会を生きる人間を育成していくためにその教育の中に強固な目標と指針を作らなければならず、形だけを真似たシュタイナーの思想を理解した上でその人間理解を基に行われる教育が、真の意味でのシュタイナー教育なのではないかと私は考えた。

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