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こんな時だからこそ、僕は「音楽」の可能性を信じ続けたい

【BUMP OF CHICKEN/『天体観測』】

もし、日本のロックシーンに、BUMP OF CHICKENがいなかったら。僕たちにとって「ロック」は、もっと遠い存在になっていたかもしれない。

長い間、「ロック」が果たすべき役割は、自己実現、もしくは、社会へのメッセージを問いかける手段として捉えられがちだった。ロック=カリスマの象徴であり、だからこそ、少しだけ、その存在は敷居の高いものであったのかもしれない。

しかし、藤原基央の紡ぐ言葉、メロディ、メンバー4人で編み出す黄金のバンドアンサンブルは、僕たちに、新たなロック観を提示してくれた。

《見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ/静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ/明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった/「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた》

僕と君を包む半径1メートルの宇宙、日々の生活の気分、願いと祈り、そして、巡り行く過去と未来、今を讃える温かな手ざわりのブルース。

そう、BUMP OF CHICKENの「ロック」は、まるで同じソファーに座る親愛なる友人が奏でているように思えるほど、圧倒的に等身大なものだった。

その意味で、かつてビートルズが革命を巻き起こしたように、ゼロ年代の音楽シーンにおいて、BUMPの4人は、もう一度、この国における「ロック」の民主化を成し遂げたとさえ言える。

そんな彼らの音楽に触れる度に、いつも思うことがある。

「ロック」とは、コミュニケーションの回路、つまり、アーティストと僕、そしてあなたを繋ぐ、感情の「メディア」なのだ。

感動、哀しみ、切なさ、孤独。「ロック」は、そうした全ての感情を等しく包み、優しく、時に爆音として、「僕たちの唄」を響かせてくれる。

だからこそ僕たちは、ライブで、ロックフェスで、名前も年代もその会場に来た理由も分からない誰かと、一つの同じ気持ちを共有することができるのだ。

そして、その音を通したコミュニケーションは、「時代」さえも超えていく。

この現象に、涙が止まらない。

「ロック」の、「歌」の、いや、「音楽」の本質は、僕はここにあると思う。





※本テキストは、「【永久保存版】 僕たちを「次の時代」に導いた平成の邦楽30曲」の一部を抜粋・再編集したものです。


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