嵐の新曲"カイト"に宿る、あまりにも特別な意義について。
【嵐/『カイト』】
この"カイト"という楽曲について、もっと言えば、嵐と米津玄師の「邂逅」の必然については、1月に公開されたこの記事の中で、僕の想いを綴っている。
その上で、まずは、この楽曲が無事にリリースされたことが何よりも嬉しい。
というのも、本来であればこの"カイト"という楽曲は、東京オリンピック2020のNHKテーマソングであったからだ。オリンピックの延期が決まったことで、テレビにおける同曲の露出量は大きく減ってしまったが、今回、(おそらく当初からの予定通りの時期に)フィジカルリリースが実現した。
2020年末をもってして、嵐は活動を休止することを発表している。だからこそ、今このタイミングでリリースされる新曲には、どうしても特別な意義が宿るのだと思う。
大胆にラップをフィーチャーした"A・RA・SHI"で鮮烈なデビューを果たした嵐。それから5人は、ロックやエレクトロなど無数のジャンルを軽やかに経由しながら、J-POPのスタンダードを絶え間なく更新し続けてきた。そしてついに、まさに「新時代のクラシック」と呼ぶにふさわしい荘厳な一曲"カイト"へ辿り着いた。
たとえ、どのような楽曲を授けられたとしても、5人が歌えば嵐の曲になる。"カイト"は、その揺るぎない証左のような楽曲だ。
これが「フィナーレ」であるとは決して思いたくはないが、嵐が"カイト"に辿り着くまでの20年以上にわたる歴史には、とても言葉では表しきれないほどに深く、輝かしい意義がある。
だからこそ、なのだろうか。
数々の音楽番組で、彼ら5人が横一列に並び、言葉の一つ一つを誠実に歌い届ける姿を観るたびに、僕は強く心を震わせられてしまう。
《嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ/悲しみを越えてどこまでも行こう/そして帰ろう その糸の繋がった先まで》
いつになるかは分からないけれど、嵐がまた帰ってきた後、そしてその先のいくつもの時代を超えて、"カイト"が歌われ続けていく未来を信じたい。
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