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新海誠は「この世界のことを好きだと思う」からこそアニメを作る

【新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで】

昨年末に東京で開催されていた時に行くことができなかったので、先月、大阪まで足を伸ばして見てきた。

展示ブースの出口にて、これまでの新海作品の名シーンを編集した3分ほどのクロージングムービーが上映されていた。その最後に映し出された一行の言葉が、いつまでも頭から離れない。

「この世界のことを 好きだと思う。」

新海作品に共通するテーマとして、「男女の切ない恋」「時間と距離」「すれ違うふたり」がよく挙げられる。たしかにどれも一貫しているし、決して間違いではないと思う。それでも、それだけでは新海作品に特有の匂い、肌ざわり、温度のようなものを言い表せている気がしなかった。

もっと根底に流れている通奏低音のようなものがあるとずっと感じていて、だからこそ、それをたった一行で言い表したこの言葉にとても心が震えた。

世界はこんなにも広くて、こんなにも美しく輝いている。だからこそ、この世界は生きるに値する。

その力強い意志に裏付けられた「肯定」こそが、新海監督の表現の出発点であり、同時に目指すべき帰着点になっている。


そして今回改めて感じたのは、『君の名は。』が現時点での新海監督の集大成的な作品であったということ。だからこそ、あの作品が生まれたのは偶然ではなく必然であった、ということだ。

極めて私小説的な作品であった『ほしのこえ』から始まった新海監督の映画作りは、作品を重ねるごとに、「自分の伝えたいもの、表現したいもの」と「観客が求めているもの」の重なりに丁寧に輪郭を与えていく方法に変わっていった。

自らの作家性を客観的に認識した上で、時代の流れを読み解きながら、謙虚な姿勢で市場と向き合い、観客に求められているものを、自分にしかできない方法とクオリティで差し出す。

そして『君の名は。』が生まれた。

この作品が、集大成でありながら、同時に全く新しいメッセージを放っていたことに、数々の展示物を見て気付くことができた。

それまで新海監督は、「運命」と対峙しながら物語を紡いできた。「運命」の信じ方、受け入れ方、静かな抗い方、というように、絶対的なものとして表されるそれは、だからこそ神秘的な魅力を放っていたとも言える。

しかし、『君の名は。』で描かれた「運命」は、単に受け入れるだけのものではなかった。あの作品のメッセージとは「運命は運命を変えられる」という力強い「肯定」であり、そうした物語が現代の日本において強く求められていたことは、天文学的な観客動員数が証明している。

新海監督のクリエイターとしての正しさの理由に迫ることのできる、とても濃密な展示会だった。


※本記事は、2018年4月21日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

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