見出し画像

弱さを認めたその先には何がある?

 今日ずっと考えていたことがあります。「自分の弱さを認めたら、その先は何があるのだろう?」と。答えは出ていません。今は、今日のこの思考を記しておこうという気持ちだけでキーボードを叩いていますので、これといった結論もなくとりとめのない文章になると思います。

 これまでの私は、他人より優れていたいという気持ちで生きてきましたし、常に強くありたかったですし、周りから強い人に見えるように振る舞っていました。でも、自分の弱さを受け入れたとなると、そんなふうに強く見せる必要はもうないと理解したことになります。

 他人よりも優れて、強く、負けないこと。それを目的に勉強も仕事も頑張ってきたのだから、それがなくなったら頑張る理由もなく、ひいては生きていく理由もよく分かりません。

 生きている理由なんていうのは答えが出ませんから、はじめから考えないほうがいいと思ってはいるのですが、それでもたまに考えてしまいます。もちろん、答えは出ません。とはいえ、死なない理由だけは、家族や親友が悲しむからというたった一つだけ今は持っているので、つまりはそれが生きている理由と言えるかもしれませんね。

 ただ、この先の長い人生の時間をどうやって使ったらいいのか。絶望でもなく、ネガティブでもなく、ただただ純粋に分かりません。

 燃え尽き症候群みたいなものなのでしょうか?私は20代までのうちに、勉強も仕事も遊びも、恋愛も結婚も離婚も、思いっきり、時には派手に、時には失敗もして、やり尽くしてしまった感があります。東京に生まれて、どのコミュニティにいても少し目立つ方でしたし、仕事もそれなりの成功体験を積んできました。・・・だって、必死だったから。頑張りすぎていました。

 もう頑張りすぎるようなことは何もしたくありません。それでいいと思っています。繊細で弱い自分の心を許してあげることにしたのです。

 でも、そうなると何を目的に、社会で何かをすればよいというのでしょう?私は、自分の力で社会問題を解決しようとか、経済や企業を動かす一員になりたいだとか、そういう思いは今は全く持てていません。そんな大それたことを掲げられるような人間ではないと、認めたのですから。

 日常のふとした小さな幸せに目を向けて、深呼吸しながらのんびり生きる。そういうことの大切さもよく分かっています。大切な人がいて、死なない理由がある、それだけでいいじゃないかという自分の心の声も聞こえてきます。

 でも。あまりにも長い人生。それだけじゃ過ごせないよ・・・と思ってしまうのは、まだまだ欲がある証拠でしょうか?まだ自分にどこか期待したいのでしょうか?私はもともと刺激を求めてしまう性格をしているので、そのせいかもしれません。

 あぁ、自分と向き合うことはいくら時間があっても足りませんね。こんな深夜にnoteを書いているのは初めてなので、朝になって読み返したら恥ずかしいかもしれません。さて、そろそろ、寝ようと思います。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?