誰かの道具になりたくない
私は、二人でいるのにわざとボケをかます人がちょっと苦手です。なぜって、強制的にこちらにツッコミをさせようとしているから。
会社の飲み会で、女性社員に男性社員のお酌をさせる文化も、とても苦手です。社員同士対等なはずなのに、いつの間にか女性は男性を喜ばせる役回りにさせられる。
過去に好意を伝えてくれた男性に理由を問うたら「結婚するのに最適だと思ったから」というニュアンスのことを言われた時も、言葉にできない違和感を覚えました。
それらはなぜかというと「他者を自分の目的のための道具にしているから」。ツッコミ、接待、結婚相手。極端に言えば、どれも「ユーモアを誇示したい」「上に立った気持ちになりたい」「既婚者のステージに上りたい」みたいな目的が透けて見えてしまって、なんだか「ウッ」となるのです。
私は、「誰かの道具にされたくない」。これって結構みんな共通で理解できる気持ちなんじゃないかと思うのですが、反対に、知らずしらずのうちに相手のことを自分の目的のための手段や道具にしてしまっていること、ありませんか?私は、自分の過去の恋愛を思い返した時に結構あったな・・・と反省しています。一つ前の記事に綴ったことなのですが、チヤホヤしてくれるだとか、自分の欲求を満たす手段として見ていた節があるなと・・・。そして、「結婚と子供のために割り切って恋愛をする」ことも違和感があるのは、まさにこの「他者を手段にしている」からだなぁと気が付きました。
他にも例えば、東大卒の子供を自慢したい親。ハイスペックな彼氏を自分のステータスにしたい彼女。有名人と繋がっている優越感を味わいたいがための交友関係や、SNSのネタのためにペットを飼っている人もそうかもしれない。
「自分がされて嫌なことは、人にもしない」・・・これは幼稚園の頃から先生や親に言われてきて、今も大事にしている考え方の一つですが、改めて大切なことですね。自分が他人の道具にされている時に感じる「ウッ」となるあれを、身近な人に味わわせるわけにはいきません。
この文章に自戒を強く込めて。忘れそうになったら読み返そう。
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