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夢がなければ宝くじを買って


幼い頃、おばあちゃんがよく宝くじを買っていた。

「ちぇっ。ぜーんぶハズレ。きやくそわるう(東濃弁:気分が悪い)」

「なかなか当たんないね」

「おばあちゃん何回買っても当たんないよ」

「こっちも削っていい?」

宝くじを削ることは大好きだったけど、本当に当たるなんて思っていなかった。初めて5000円が当たったときも、さほど嬉しくはなかった。何とも現実的な子供時代。さすがに当たったときくらい喜んでも良かったと今更ながら思う。


先日、大学生になって初めて宝くじを買った。多分、小学生以来だ。その頃と大きく違うのは、「自分で働いたお金で買った」ということ。

東京に来てから宝くじの売店を見かけることが多くなった気がする。「いつか買ってみたい」なんて思ってはいた。でも、いざ買おうとすると「どうせ当たらないからもったいない」と思ってしまい、なかなか買えずにいたのだ。


「今日でこの街ともお別れだし、最後に買っとくか」

一緒に買い物に来ていた友人にも背中を押してもらった。あとは、自分自身が勇気を出すだけ。

「いらっしゃい。何にする?」

「え〜と、スクラッチのこれでお願いします」

「何枚?」

「じゃあ、4枚でお願いします」

ケチってしまった・・・「きっちり5枚で1000円分買っていたら」と今になって思うがもう遅い。

「はい。じゃあこれ4枚ね」

「ありがとうございます」

手にした瞬間ドキドキした。「もしかしたら」なんて思ってしまうのだ。とりあえず財布にしまって、家で削ることにした。

「当たるといいね〜」

「本当に。うわー、当たってーーーー」

「ちなみに、100万円当たったら何に使う?」

人類が誕生して何度この会話がされてきたかわからない。でも、平成生まれの私と友人はその歴史的文化に逆らうことなく、令和の時代でも「宝くじが当たったら」という夢の続きを語る。

「え〜私はなんだろうな、とりあえず貯金かな。りょうは?」

「現実的すぎるな。俺は10万貯金して、あとの90万でもう一回宝くじ買うよ」

「それはアホだよ」

友人はわからないけど、少なくともこのときの私は「本当に当たるかもしれない」という気持ちになっていた。どこにそんな根拠があるのやら。子供時代の何倍も宝くじにワクワクし、明日の自分を想像していた。そして、こういう話をしてるときって本当に楽しい。


その夜、バイトの副店長と夜ご飯を食べに行った。

「今日宝くじ買ったんですよ」

「おっ。本当に?ここで削りな」

「え〜〜。家に帰ってから削ります」

「なんでだよ」

「だって100万円当たったら副店長に奪われるかもしれないし」

二人で爆笑した。宝くじはいとも簡単に私たちを笑顔にしてくれる。実のところ、当たったときは独り占めしたい気持ちでいっぱいだったから、それで家に帰ってから削ると決めていたのだ。


帰宅後、すぐに財布の中から夢の詰まった4枚の紙と10円玉を取り出した。

「お願いします」と声に出して祈り、一枚ずつ削っていく。

ハズレ

ハズレ

ハズレ

「嘘でしょ。何で」何でもくそもない。宝くじなんてものはそう簡単に当たるわけがないのだ。徐々に思考が元に戻ってきた。

最後の一枚をゆっくり、丁寧に削る。

でも、結果はハズレだった。

「あ〜。まあそうだよね」

引越しの準備の段ボールでいっぱいの部屋に虚しさが漂った。耳をすませても何も聞こえない。座りながら呆然とした。


気付いたら、いつもの自分だった。

「また買おう」

宝くじを買っただけなのに、たくさん笑ってワクワクして、それだけで少し特別な一日であったような気がした。

宝くじは"なくなっても困らない他人のお金"ではなく、"自分が必死に働いて稼いだお金"で買って欲しい。でなきゃ、このワクワクした気持ちは得ることができないだろう。子供時代の私のように。まだ、アルバイトができないのであれば、お小遣いでもお年玉でもいい。所有権が自分自身にあるのであれば、そのお金でまずは1枚買ってみて欲しい。

そして、「当たったら何に使おう」と明日の自分と少し先の未来を想像してみてほしい。家族や友人と一緒に想像するのもいい。

ある子供が自分で貯めたお小遣いで宝くじを買ったとき、「もし当たったら、おもちゃがたくさん欲しい」と思うかもしれない。

またある子供は「もし当たったら、宇宙に行ってみたい」と思うかもしれない。

想像したことが必ずしもお金で実現できるわけではないけれど、その想像は当人に気づきを与えてくれる可能性がある。

「100万円当たったら何したい?」の答えこそ、その子が将来なりたいもの、手に入れたいものの正体だってことも大いにある。


でも、一番大切なことはそこではないと思う。

私は宝くじを買ったとき、大人になって自分の夢を見つけ、輝く自分を想像し、それに向かって突き進むときに感じるワクワクと宝くじの当たりを想像するときに生まれるワクワクは同じであるように感じた。


だから、私が思う一番大切なこととはその想像をしたときに生まれるワクワクこそ、自分にとって本当になりたいものや手に入れたいものができたときに感じる感情と同じであるということを”知る”ことだ。


まだ自分の夢が見つからないという人たちには宝くじを買ってみて欲しい。


そうして、まずは”将来の夢”とやらを見つけたときのワクワク、それに向かって歩む人生のワクワクを感じてみることから始めてみてほしい。





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