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住友春翠ノート

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住友春翠と、そのご子息の泉幸吉について、思うことを気軽に書いています。
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「バロン住友の美的生活」展第2部

茶臼山-現在、大阪市立美術館のある辺り-は、昔は住友家のお屋敷が建っていた。そこには大きな屏風が飾られ、絵が掛けられ、お客様がいらっしゃったら特注の食器でパーティー。そしてご主人様はお茶を点て、絵も書も篆刻も。

この夢のような生活は、しかし、わずか数年ほどで終わる。贅沢をし過ぎてお金が続かなくなったのでも、ご主人様に何かあったのでもない。ご主人様が、お屋敷のある土地を、美術館にすることを条件に大

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学歴について

住友春翠の最終学歴は、学習院の中途退学である。

良家の子女は、今なら名門幼稚園からエスカレーター式の私立の学校に入って、東大か慶応かそれとも留学?などと想像するが、住友春翠が生まれた江戸時代には、そんなルートはなかった。

しかし、それを考慮しても、春翠の経歴は少し風変わりな印象を受ける。彼は漢文や和歌を父親より学び、書道や茶事などの教養も身につけてゆく。明治時代になっても旧習を守る頑固な父親は

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住友春翠と『金色夜叉』

今朝の朝ドラ「あさが来た」で、田村宜が『金色夜叉』に夢中になっていた。

『金色夜叉』と言えば、住友春翠にもエピソードがある。エピソードというよりご子息寛一による暴露といったほうが正しいかもしれない。

 そもそも寛一の著書『Tへの手紙』自体が非売品で、まさか私などに読まれるとは想像もしていなかったに違いない。

 春翠が亡くなった後、寛一は別荘のあった熱海へ行き、机の引き出しに「金色夜叉」を見つ

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元治二年の三月三日

住友春翠は徳大寺家の出身だが、生まれてからずっと徳大寺家で育ったわけではない。

彼は元治元年の十二月に生まれたが、その翌年の一月には既に、東儀頼玄に預けられていた。何か深い事情があったわけではなく、当時の公家の世界はそういうものだったそうだ。頼玄の妻のつるが、隆麿(のちの春翠)の乳母となった。

隆麿が初めて徳大寺家に来たのは、元治二年の三月三日のことだった。父親である徳大寺公純の日記には「冱寒

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「バロン住友の美的生活」展 第1部

「バロン住友の美的生活」展 第1部

泉屋博古館分館にて「バロン住友の美的生活」展の第1部「バロン住友春翠-邸宅美術館の夢」が開催されている。その公開に先立ち、2月25日にWEB内覧会が行われた。

第1部は明治編。その中でも前期と後期で展示替えがあり、前期は青銅器特別展示がある。正直なところ、私はこの有難みが全く分かっていなかったのだが、ギャラリートークでお話を聞いて驚いた。京都本館の青銅器館の模様替えに合わせて実現したもので、なん

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住友春翠と日本女子大学

朝ドラ「あさが来た」が盛り上がっているが、日本女子大学については『住友春翠』p.364にもほんの少しだけ記載がある。

又、この東京滞在の間、日本女子大学校創設に関して、創立に尽瘁する某が毎日のごとくに助力を願って来訪するので、川島は漸く応接の態度が崩れ出した。春翠は態度を変えることを戒め、又、このような熱心がなければ事は成就しない、見習うがよいと訓えたという。

文中の「川島」とは、住友家で働く

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参考文献

本来、参考文献はその文章の末尾に書くものだと思うのだが、この「住友春翠ノート」については、これから参考にするかどうか未定のものもまとめて、ここに挙げさせていただくことにする。

公益財団法人泉屋博古館『住友春翠』2015年

「住友春翠」編纂委員会『住友春翠』1955年

住友吉左衛門『泉幸吉選歌集』1994年 ※第十七代

泉幸吉『歌集 途上』1994年 ※奥付には「住友吉左衛門」とあり。第十六

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泉幸吉と菓子

泉幸吉の歌に菓子を詠んだものはあるか。探していたところ、歌集『途上』に一首見つかった。

食べたしと母が欲りする菓子のたぐひ衢(ちまた)にいまは賣らずなりたり

昭和15年。父の春翠はすでに亡く、母の満寿は病の床にあった。彼女のことを伝える資料で私が目にできるものは春翠の伝記、住友寛一(春翠と満寿の長男)の文章、そして泉幸吉の短歌だが、とにかく物静かで自己主張をしない、おとなしい人だったようだ。春

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住友春翠と菓子

住友春翠は、大正8年12月に茶会を催している。12代住友吉左衛門友親の追善茶会である。友親は春翠の奥様の父親だが、おそらく春翠とは面識がない。春翠が住友家に入ったのは、友親とそのご子息友忠が相次いで亡くなっって跡継ぎに困っていたためなのだから。

さて、茶会には菓子が付きもの。この茶会で出されたお菓子は「銘初霜主好鶴屋八幡製」、干菓子は「紅白長生殿、京都虎屋製」だったことが、高橋箒庵の茶会記に記さ

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図録と伝記

図録と伝記

ハッシュタグ企画に便乗して、買ってよかったものを書くことにする。
画像の左側は、泉屋博古館で購入した図録。泉屋博古館では今年、住友春翠の生誕150周年を記念した展覧会が二度に渡って行われた。
住友春翠がどんな人かも知らずに出かけて行ったのだが、帰りには図録を手にしていた。それだけでなく、古本屋さんで伝記を探して買ってしまった。
学生の頃は歴史が好きだったので、西園寺公望の弟が住友に養子に行ったこと

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レクイエム

レクイエム

浜側に向かって歩く靴音も少し湿り気帯びて来たりし

迷いようもない気がしつつゆっくりと国道2号線を横切る

子どもらがボールを蹴りぬいにしえの御曹司らの生まれ変わりか

かつて山羊が飼われし庭に犬二匹目的もなく走り回りぬ

須磨海浜公園かつて洋館がありし温室も花園もありし

焼夷弾の炎のなかでうつくしく崩れてゆきしもののかずかず

レクイエムのようなさざなみいつの日か海を越えると言いし日もあり

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