学歴について

住友春翠の最終学歴は、学習院の中途退学である。

良家の子女は、今なら名門幼稚園からエスカレーター式の私立の学校に入って、東大か慶応かそれとも留学?などと想像するが、住友春翠が生まれた江戸時代には、そんなルートはなかった。

しかし、それを考慮しても、春翠の経歴は少し風変わりな印象を受ける。彼は漢文や和歌を父親より学び、書道や茶事などの教養も身につけてゆく。明治時代になっても旧習を守る頑固な父親は、春翠に外の世界を見せようとはしなかった。春翠が学習院に入学したのは、その父親の没後、明治17年のことで、彼は21歳になっていた。

伝記『住友春翠』によると、春翠の学習院での成績も分かっているらしい。偉い人は大変である。ただし彼の場合は、知られては困るような成績ではなく、それどころかいつも上位の成績を保ち続け、その人柄もあって学生部長に選ばれたりもした。

やがて彼は、住友家に請われて養嗣子となり、学習院は退学することになった。明治25年のことだった。卒業間近だったが、彼の卒業を待つ余裕はなかったのか。それとも、卒業することにそれほど価値が置かれていない時代だったのだろうか。

住友寛一は著書『Tへの手紙』で「神経質な父は重役よりも学力のない事を気にしていた」と書いている。私などからみると、学生時代の成績が優秀で、財閥のトップになったのだからそれで充分ではないかと思うのだが、本人にとってはそうではなかった。しかしその気持ちは、学歴を一見重視しているようだが、たとえば「卒業したかった」とか「東大に進みたかった」ということとは違うように思われる。学力とは?教養とは?終わりのない問いなのかもしれない。

#住友春翠 #卒業したい





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