私たちの修造モード
つい先日まで、私はとき子さんの新刊『にじいろの「はなじ」』に寄せるあとがきの原稿を、とき子さんは私たちが大阪文フリで売る予定の『つるる&とき子のぬか床日和』の原稿を書こうと奮闘していた。
なんだか、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」感がある。
「つるはあとがきの原稿を、とき子はぬか漬けの原稿を」、お互いに頑張っていたある日のこと。
書きたいことは山ほどあるはずなのに、原稿は遅々として進まなかった。
理由は明白、「いいこといいたい病」にかかってしまったからである。
とき子さんが自分で書くのは照れちゃうような、はたまた自分では気づいていないような素敵な言葉であとがきを書いて、「きゃあ、つるちゃんに頼んでよかった!」って思われたい。
今回の新刊で初めてとき子さんを知ったかわいそうな人たち(かわいそうとか言うな)に「へっへー、おもしろいでしょう!我らがとき子、すごいでしょう!」ってめっちゃドヤりたい。
そんな欲のもと下書きにはとき子さんを称える文章の切れっぱしがどんどん溜まっていくのに、一向に一本の文章にまとまる気配がないのである。
しかも自分の文章を読んでとき子さんの魅力がしっかり伝わるかと言われると、まだ熱が足りないような、もうちょっと温めたらいい言葉が見つかりそうな、そんな予感もする。
心はこんなに熱いのに!
その熱をそのまま文章で伝えようとすると、「ヒューヒューとき子!」になってしまう。
ヒューヒューとき子!は、いかん。「いいこといいたい病」はどこへ行った。
とき子さんが、私のあとがきを待っている。
私も、とき子さんのぬか床エッセイを待っている。
なんだか、メロスとセリヌンティウスみたい。
私たちはお互いにメロスで、セリヌンティウスだ。
完走、しなくては。日が沈む前に。
だから、こんなところでつまずいていてはいけない。
とりあえず、とき子さんに校正を送ろう。
そのメールに、こんなことを書いた。
熱い情熱の象徴、修造。
するととき子さんから、こんなお返事が来た。
ちょっと待って。
「私のなかの修造」って打ったら、「私の修造」が返ってきたよ?
私たちの修造……?
とき子さんのなかでも修造が燃えていると聞いたら、なんだかホッとしてしまった。
私も私の修造を出し惜しみせずに、燃え尽きる勢いで『にじいろの「はなじ」』への思いをぶつけるのだ!
ありったけの修造を込めて、『にじいろの「はなじ」』の感想を打ち込んでいく。
「あそこがよかった」「この決め台詞に笑った」「この描写力を見よ」「そもそも私ととき子さんの出会いは~」……。
そうして出し尽くした膨大な下書きから離れて、アイスを食べて、寝る。
そして翌朝、下書きを見直すと。
ああ、私が一番伝えたいとき子さんの文章の魅力はこれだ。
そう確信できる一文が、上澄みのように浮かび上がっていた。
その一文を中心に文章を組み上げていくと、あれほど悩んでいたのが嘘のように、すらすらとあとがきができあがっていった。
熱く熱く思いを書いた末に、文章がすらっと現れる瞬間。
その瞬間に立ち会えるなら、私は修造になった甲斐があった。
そうして書いた文章を読み返していたら、とき子さんから『つるる&とき子のぬか床日和』の原稿が届いた。同じテーマで書いているのに、私とは違った、おもしろさや熱さが伝わる文章だった。
ほとんど同時に修造モードに入った私たちは、ほとんど同時に原稿を書き上げたらしい。
修造仲間にもほどがある。
ちなみに実は、私はそれほど松岡修造に詳しいわけではない。
私の実家にまだテレビがあったころ(地デジ化とともに滅びた)、中学生か高校生くらいの男の子にテニスを教える番組(?)があって、そこで「君ならできる!!!」とやたら熱くアドバイスをしていたのが動く修造を観た最後だった。
静止する修造は、友だちの家で『まいにち、修造!』の日めくりを見たのが最後である。
友だちは、ビタミン剤でも勧めるようなノリで「けっこう効くよ」と言っていた。
とき子さんの『にじいろの「はなじ」』も、『まいにち、修造!』並みに元気が出る一冊です。
だって、二人の修造のありったけの修造がこもっているんですから。
↓『にじいろの「はなじ」』詳細がアップされましたよ~!!
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【おまけの修造】
私たちの愛する修造。
愛しすぎて、ちょっと使い方が迷子になってきてしまった修造。
私ととき子さんの記事で「修造」と検索してみたら、これまでの記事で私は2回、とき子さんは3回彼を登場させていることが判明した。
私たち、本当に修造が好きね!
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