見出し画像

蘇れ!手紙魔ウェルテル

突然ですが文通、お好きですか?
私は、好き。とても好き。

かわいい切手や便箋が手に入った時。
季節の変わり目や自分に大きな変化があった時。
ただ、なんとなく気が向いた時。

私はわくわくと、友だちや恩師、祖父母に手紙をしたためる。
たとえすでに彼ら、彼女らとLINEやTwitter、FacebookにInstagramとあまたのSNSで繋がっていようとも。
電波一本でどこにでも情報が届けられる今、私的な手紙は「連絡手段」というよりも「趣味」に分類されるものなのかもしれない。

私はきっと、手紙に宿る「緊急じゃない感」や「でも、気にかけている感」が好きなのだと思う。
気まぐれに手紙を書き、のんびりと返事を待つ。
そうしてへろへろに疲れた日にポストに手紙を見つけた瞬間に、ぱあっと疲労が霧散したりして。

がまくんとかえるくんの『おてがみ』を読んだ時には子ども心に「かたつむりなんかに大事な手紙を託すんじゃない!」と激昂した私だが、今では手紙を待つ間の時間の豊かさも楽しめるようになった。

そんなことを書いているくせに、最近全然手紙を書く心のゆとりがない。
どんどん積み上がってゆく伝えたいことを書き留めながら、もう少し、もう少し落ち着いたら書こう……と歯がゆく思っている今日この頃です。


そんな現代から遡ること247年、ゲーテの書いた書簡体小説『若きウェルテルの悩み』は発表された。
この「精神的インフルエンザの病原体」の流行は自殺者を生み、ウェルテルは「恋する純情多感な青年の代名詞」となったという。
そんな煽り文句を受けて『若きウェルテル〜』を初めて読んだのは、高校生の頃だった。

残念なことに、一ミリも共感できなかった。


当時の私は恋愛経験もほぼなく、想像力も枯渇していたからかもしれない。

これ読んで自殺に踏み切るなんて、ドイツ人ってどんだけ勇敢というかロマンチストというか……。
国が違うだけでこうも恋愛体験も変わるのかと驚いた。

初めから婚約者がいるって、叶わぬ恋ってわかってんだから、どこかで折り合いつけなさいよ。
未練がましいなぁ。
私はウェルテルに対して、呆れ以上の感情を持てなかった。

ちなみに高木亮さんの偽本バージョン、『若きテルテルの悩み』は、なんともいえない素朴な顔をしたテルテルが主人公である。
原作のアイタタ感は微塵もなく、空を見上げる哀愁漂う表情にきゅんと胸が締めつけられる。

このテルテルを受けて、『ウェルテル』を最近読み返してみた。
やはり高校生の頃とは少しだけ印象が変わる。
直情的かつ自己陶酔型の主人公ウェルテルに対するヤバめな印象は変わらない。
けれどそれ以上に引いたのは、彼の手紙を書く頻度だった。

最初の手紙は5月4日。
その次は5月10日、そしてその次は5月12日。翌13日、15日、17日……。

しかも内容は、どっからどう読んでも不要不急。
にもかかわらず、このスパンの短さ。
しかも一通一通もそこそこの長さ。
ウェルテルって、無職だっけ?

絵を描いたり、ギリシア語をかじっている
……一応、絵描きさんなのね?
絵を描くより圧倒的に文字を書いているようだけど、本業は絵描きさんなのね?

さらにすごいことに、この膨大な手紙を受け取る人間はほぼ一人。
彼の親友のウィルヘルムである
彼はこの手紙を、ちゃんと読んでいるのだろうか。

読んでいたら今度はウィルヘルムも無職の暇人なのかと不安になるし、読むことなくこの手紙で芋でも焼いていたら、それはそれでウェルテルが気の毒な気もする。
なんだか字面が似ていて紛らわしいので、以降ウェルテルは「テル」、ウィルヘルムは「ウィル」と呼ぶことにする

読み進めると、ウィルもそこそこきちんと返事をしていることが判明した。必ずしもテルの一方通行でないことがわかって、ホッと胸をなでおろす。

でもこの手紙の頻度、私ならちょっとご遠慮願いたい。
書かれているのは、たいてい恋バナ。
しかものっけからモテ自慢。
ムカついてか親切心からか蔵書を届けてやろうかと申し出たら「冗談じゃない、勘弁してくれたまえよ」だと。
ふざけるなニート
おまけに大好きだった幼馴染の女性を失ったばかりだというのに、もう別の女性に心奪われていやがる。
なーにが「天使、かな」だよ。
気障ったらしいんだよ、サブイボ立ったわ!!

いかんいかん、ついウィルが乗り移ってしまった。

一方、意中の人ロッテと趣味が合うことがわかって狂喜乱舞するテル。
が、ロッテ本人からいいなづけがいることを告げられて大ショックを受ける。
さっき他の人たちからそう聞かされていたじゃん、なんてツッコミは通じない。

そんなロッテと出会い、言葉を交わし、踊り、許婚の存在にガーンとなった6月16日の手紙は、めちゃめちゃに長い。
あまりにも手紙が長いので、各日の行数を数えてみた。
やばい。私も相当に暇人だ。

テルテル


問題の6月16日は、やはり作中においてもダントツに長い。
ここが物語の肝だよ!!と全身全霊で主張しているようなページの割かれ方である。
ウィルはテルからのこの手紙をもらって、「んなこと日記に書いとけよ…」とは思わなかったのだろうか。
人妻との恋、いいじゃん!もっと聞かせてくれよ!」と目を輝かせて読んだのだろうか。
ウィルの反応が気になるところだが、残念ながら特に反応は書かれていない。

その後頻繁にロッテを訪ねるようになったテルは、ウィルが心配した通り本業の絵を怠けていた。
7月30日に初めてアルベルトに会い、その非の打ち所のなさに打ちのめされたテルはロッテから離れて宮仕えをする。
いけ好かない公使とうまくいかず恥をかかされた彼は仕事を辞めて戦争に行こうとして止められ、彼を気に入った公爵のところに身を寄せる。
しかしそこでの暮らしに早々に退屈した彼は「ただ少しでもまたロッテの近くに行きたい」と鉱山に出かける予定であることをウィルに打ち明ける。

その後はまた、ロッテのもとを頻繁に訪ねる日々。鉱山で働いている様子はない。
しかしアルベルトと倫理観を巡って対立し彼に冷遇され、ロッテからもやんわりと拒絶されると、テルは一気に自死への道へと突き進む。

ロッテ宛の遺書の書き出しは、「決心しました。ロッテ、ぼくは死にます」。
こんな手紙、絶対に受け取りたくない。
ていうか彼の死って、ものすごく一方的なんですよね。
「この世では一緒になれなかったけど、あの世では一緒だよ」なんて、ストーカーの言葉にしか聞こえない。

ロッテの身になって考えてみると、ただただ気の毒である。
普通婚約者の存在を告げたら、まさか友だち以上になろうとしてくるとは思わないじゃん。
にもかかわらず、テルはすんげぇぐいぐいくる。周囲に噂されるほど、アルベルトを不安に陥れるほどに。


趣味の合う友だちとして彼に親しみを抱いていたとはいえども、こんな距離の詰め方をされたら、私がロッテならドン引きだ。
そうやって散々二人の暮らしをかき乱した挙句テルは死に、ロッテは彼の死に命を落としそうなほどショックを受ける。

なんというか、ここでどうしても私はムッとしてしまう。
テルは自分の死を「自分で自分を罰する」とかいい感じに言っているけれど、本当にロッテのことが好きなら絶対生きているべきなんじゃないの?
だってこんなことされたら本気で夢見が悪いじゃない。
ロッテの人生をなんだと思ってんだよ、こんの自己中野郎。

恋に夢中で周りが見えなくなってしまうのはわかるけれど。
でも、でもさあ。
どうしたって、テルの死亡による甚大な被害を考えてしまう。

ロッテはショックで瀕死だし。
アルベルトは「俺との口論が原因か…?」と自責の念に駆られるだろうし。
ウィルは「テルを無理にでもこちらに連れ戻しておけば…!」と後悔するだろうし。

テルが生きてさえいれば、こんな悲劇は回避できたのだ。
そこで私は、テル生存ルートを本気で探った。
やはりカギとなるのはウィルだろう。
辛抱強く手紙を読んでくれていたウィルは、彼の恋の顛末を誰よりも知っている。
彼の恋心の深さや失恋の痛手を知り尽くしているウィルになら、テルも気取ることなく弱音を吐けるはずだ。テルがロッテとアルベルトとギクシャクした段階でウィルが誘いをかけ、二人でしばらく旅に出たらどうだろう。
二人でやけビールしたり、気が済むまでロッテの似顔絵描いたり、好き放題を読んだり、ヴルスト齧ったり、新しい恋をしちゃったり。そんなことをしているうちに、テルに生きる気力が戻ってくるかもしれない。その後の人生をはつらつと楽しむことだってできるはずだ。

だってテルには、ウィルがいるんだもの。
それにテルは、けっこう惚れっぽいんだもの。
きっと、友と時間がなんとかしてくれたんじゃないのかなぁ。
そんな失恋から蘇ってくるところこそを、私は読んでみたかった。


この記事が参加している募集

読書感想文

海外文学のススメ

お読みいただきありがとうございました😆