見出し画像

ゴーヤたちのゴール

それから彼らは、末永く幸せに暮らしましたとさ」という結びに、胡散臭さを覚えるタイプの子どもだった。
特に話の展開がシンプルな昔話は、子ども心にもツッコミどころが満載で。

自分の顔すら覚えていなかった王子と結婚して、シンデレラは本当に幸せに暮らせたのだろうか。
自分を助けるためとはいえ残虐な行為に手を染めた祖母と、赤ずきんはその後も睦まじくいられるのだろうか。
突然兄二匹を失った末っ子豚は家の隣の更地を見て、寂寞とした思いにとらわれることはないのだろうか。

「それから彼らは末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

めでたいわけ、ないじゃないか。勝手に物語を終わらせるんじゃないわい。
そうしてひとり憤然とその続きを妄想して、想像を超える悲劇の連鎖に悲しくなったり、予想外の展開に胸を躍らせたりした。

末永く幸せ」なんて平坦な暮らしはつまらないし、実際にそんな暮らしを送っている人はほとんどいないのではないかと思う。
我が家のゴーヤたちだって、そうだ。

なに急にゴーヤの話始めてんだコイツと思われていることと思いますが、どうかぐっとこらえてお読みください。

少し前に、我が家のゴーヤの一株が炭疽病にかかってしまい薬を撒いた話を書いた。

そしてその後、Twitterでプーチンが実をつけた写真を上げつつ「ゴーヤたちも元気になりました」と書き添えた。
これを読んだみなさまは、「めでたしめでたし」と思ったことだろう。

ところが、そうは問屋が卸さないのだ!

その数日後に私は、スーパーゴーヤのスーちゃんの葉に黒い斑点を見つけた。
ゾンビの群れから全力疾走で逃げてきてやっとの思いで安全な部屋に駆け込み鉄扉を閉めて、ふうと振り返った瞬間に室内に潜んでいたゾンビがゆらりと立ち上がった時のような、そんな絶望にくらりとした。

スーちゃん!!お前もか!

とはいえ一度経験したことなので、もうそれほどショックは受けない。
淡々とスーちゃん、フーちゃんの両株に丹念に薬を撒いた。
が、スーちゃんにはフーちゃんほど薬が効かなかった。品種が違うからだろうか。
斑点の出た葉は容赦なく切り落とし、毎朝「負けないで もう少し〜最後まで 走り抜けて〜」とZARDの「負けないで」を歌っても、スーちゃんの容態はあまりよくはならなくて。日に日に黄色い葉っぱが増えていった。

友だちが最初に言った通り、フーちゃんが発病した段階で廃棄しておけばスーちゃんに感染することはなかったのだろう。
おそらくそれが最善の策だとわかっていても、結局悲しいやら悔しいやらでできなかったのだからもう仕方がないのだけれど。

そんなわけで今は、新しく生えてきた元気な葉に希望を託して、ひたすらに見守る日々である。
そして、完治したかに見えたフーちゃんにも、実は少し変化があった。
心なしか実が熟すのが早くなったのである。
近所の農家で売っているゴーヤは小学生の筆箱くらいの大きさなのに、フーちゃんはiPhone SEサイズの段階で熟し始めてしまうのだ。
やむを得ず今は、黄色くなりかけた段階でどんどん収穫して食べている。

先日は宝石のような赤くて甘い種を食べた後の、熟したゴーヤの皮をぬか床に漬けてみた。
漬ける時からやや心許ない薄っぺらさだったので、短めに一日だけ漬ける。
翌朝ぬか床から取り出したゴーヤの皮はマンゴーみたいにペラペラで、慎重に扱わないとホロリとちぎれてしまいそうだった。そんな見た目にもかかわらず、味は相変わらず苦かった。

画像1

一方、プチトマトのプーチンは絶好調である。
ついに実が赤くなり始めたので早速摘み取りぬか漬けにした。
ぬか仲間から事前に得た情報に従い、尻に十字を入れてから漬ける。
二日漬けて食べてみたら、プチトマトのマリネのような小洒落た雰囲気だった。
これはおいしい。チーズと一緒に出してワインをクルクル気取りたい感じ。あいにく我が家には木綿豆腐のぬか漬けと発泡酒しかないけれど。

画像2

そんな新しい食材を加えて、久しぶりにぬか床表をきちんとまとめてみる。
ずいぶんとたくさん漬けてきたものだなぁと、しみじみしてしまう。

画像4


今日から9月。
秋が匍匐前進で近づいてくるような、少しずつ季節の変化を感じ始めた頃である。
そんな季節の変わり目で、次に何を植えようかとぼんやりとネットサーフィンをしている。
やっぱりカブとかイチゴとか、実のなるものがいいな。

でもまずは、ゴーヤたちのゴールを見届けなければならない。
「めでたしめでたし」とはいかなかったけれど、君らと過ごした数ヶ月、たしかに私は幸せでした。

画像3


↑ 第一弾はこの話



この記事が参加している募集

最近の学び

買ってよかったもの

夏の思い出

お読みいただきありがとうございました😆