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わたしは“ちゃんと”お金を使いたい

遅まきながら、新年あけましておめでとうございます。平成最後の年が明けましたね。で、昨夜TVで平成ネット史特集だったのかな、そのなかでmixiが取り上げられたんですね。そのことをわたしが知って思うのはこんなことだったりします。

そもそもこのnoteの有料会員でもないわたしが言うのも説得力がないんですが、mixiのなにが画期的で、または罪だったかのかと言えば、今から思えばですが「無料」だったことではないかと思うのです。(プレミアム会員はありますが)。あれだけの気軽に使えて、豊富なサービスを誇るSNSがほぼ無料で使い放題だった。わたしは見知らぬひとと気軽に知り合えるSNSの世界にも驚いたけど、やっぱり最初の驚きは「え?これタダでやっていいの?」というものだったと記憶しています。それから十幾年。いろんなSNSが出来、消えては行きましたが、代表的といえるSNS、TwitterやFBなどもタダで使えるものが殆ど。
結果、わたしたちとそのあとの世代は、「基本、サービスとはお金がかからないもの」と思い込まされてしまった感があります。

これがわたしにはじわじわと今、こわい。
節約・倹約という言葉をタテに、サービスはあってあたりまえ、無償で提供されて当たり前、という風潮が当たり前になり、そして結果として有償であるはず、有償ではないと成り立たないはずのあらゆるサービスにも「え?なんでタダでないの?」とまず疑問を投げかけるようになってしまった。
(ここで語ると長くなるのでやめてはおきますが、昨年の「ヒルナンデス」から派生した「ハンドメイドは安価なものである、材料費だけで売れ事件」にもこのような風潮の下地があってこそかと思います)

そしてそれが、他者だけでなく、自分たちの労働や何かしらの行動のコストの価値をも、結果として下げていってしまっているように思えてならないのです。

はっきり言ってわたしはビンボーです。お金持ちでも何でもない、フリーランスのライターであり、弱小ギャラリーの主でしかありません。しかもハンドメイド作品に目がないハンドメイド変態です。それでも、言いたい。お金をかけるところ・かけるべきところを見極めよう。自分にとってこれが必要、価値があると思えるものにはなるべくお金をかけよう。それがまわりまわって自分のためになると思うのです。経済が回る、とかいう大局的な視野もありますが、もっと身近な、他者と自身を等しく尊重する視野を得るためにも、まずはそろそろ「サービスはタダでいい」という意識を変えないと、と思うのです。この世に無償の愛など、無いように。

繰り返しますが、ほんとにわたしは金がない。でも、だからこそ、そう思うのです。

それは、相対的に、自分を安売りしない意識にも通じることですから。そのために稼ぎ、お金を使い、またそのために稼ぎ…というループを今年は作りたい。そうすれば、苦しいこともままある労働の意義も、少なからず見えてくるのではないかと。またわたしがよくハンドメイド作品の魅力を語るときに言う「もの向こうにはひとがいる」ということにも通じます。ものの向こうの見えない「他者」の価値を、見つめ直そうよ、そういうことでもあるから。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。