嫌なコトを嫌と言うことがなぜ大切なのか
5歳の娘と話していて、最近思ったことがあります。
娘:今日お友達がね、おてて洗ったあと、うーちゃんの首、触ってきて「やめて」って言ったの。でも、やめてくれなくて悲しかった。
私:えぇっ。冷たいし嫌だね。なんでそんなことするんだろうね
でもちゃんと「やめて」って言えたのはすごくよかったね。
娘:「やめて」って言ってもやめてくらなかったよ?うーちゃん悲しかった。
私:「やめて」って言って、相手がやめてくれなくても、「やめて」って言うことはとても大切なことだよ。
やめてくれないからって、言うことをやめちゃうと、それでいいと思われるかもしれないから、嫌なことを嫌って言うことってとても大切なんだ。
言わないとわからないしね。
こんなことは他にもあって、
例えば、このコロナ禍で、園では唾を飛ぶことを防ぐため、お昼ご飯の時間はおしゃべりせず静かに食べることになっている。
同じテーブルのお友達がおしゃべりをしていて、娘は「静か(にするん)だよ」と言っても、「なんだよ」とか、「お前もしゃべってるだろ」と言われたことがあったらしい。
他にも、使いたいパズルの順番をかわってくれなくて、同じパズルを独り占めされて、遊べなくて悲しかった、とか。
子どもの世界もいろいろである。
ルールを守ることもあれば、守ってくれないこともある。大人の世界と同じように、理不尽なことだってあるかもしれない。
そして、ふと思った。
自分が言っても相手がやめてくれなかったり、自分がしてほしい動きをしてくれないことが続くと、言うことをやめてしまうこともある。
言ってもも無駄だ、と。
でも、自分の思いを伝える、言葉に出すことは大事なことだ。自分の思いをなかったことにしたくない。
『効果を得るために言う』
それはそうなのだが、そのためだけでもない、
ということに気づいた。
嫌なことがあって、嫌だと言う、やめてと言う、
ここまでは自分の領域、
そのあと相手がやめるか、やめないか、
それは相手の領域
やめてくれないから言うのをやめるなら、
相手の領域のために自分の領域をあきらめる
相手のために、自分をあきらめる
その必要はない。
自分は自分、その人はその人、
別の人間なのだから、『違う』がベース。
相手のために自分の領域を右往左往することは、相手を自分より優先させることにもなっていると思ったのだ。しかし、私は娘には娘自身を最上位に、自分を一番大切にしてほしい。
自分にとって一番大切なのは自分
だから、自分のために「イヤだ」とか「やめて」ということは、とても意味がある。例え、その後が期待する結果にならなかったとしても、期待する結果になる可能性を手放すことはない。
そして思った、
では私はできているのか
大人になると、他の人の気持ちも、その背景もわかるようになってくる。ただストレートに気持ちを出すより、もうちょっと複雑なこともできるようになる。
ただ、根底は「自分のために自分の今の気持ちを言う」
できているかなぁ。できていない時もあるなぁ...
近しい人であるほど気を遣ったり、いろいろ考えてしまったり... 難しいよね。
とはいえ、
「自分のために、自分を大切にしよう」と思った出来事でもありました。日々学びであります
じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼