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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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#平成

平成の終わりと次の年号

令和という元号を初めて聞いたとき、僕はかなりの違和感を覚えました。しかし、5年以上経った今ではもうすっかり慣れてしまいました。令和になってからも、すでに大きな事件がいくつも起きています。 令和初期に平成を振り返ると、昭和の残り香にすがっていた時代だったのかなと思います。平成は大きなテクノロジー改革があったものの、日本の不況は続き、人権問題も大きな事件が起こるまで変わろうとしない姿勢が見受けられました。特にLGBTQに関しては、平成時代には大きな変化は見られなかったと感じます

テクノロジーとマイノリティ

2000年代から2010年にかけて、テクノロジーは僕たちの生活や社会に大きな影響を与えました。インターネットやスマートフォンの普及と、それがゲイコミュニティや僕自身の生活にどんな風に影響を与えたかを振り返ってみたいと思います。 2000年代中頃、インターネットはすでに多くの家庭に普及していました。家にはパソコンが一台はあって、インターネットを使うのが普通になっていました。また、携帯電話ではiモードを使って簡単なネットやメールのやり取りができるようになっていて、それだけでも普

20世紀の終わりに向けて

平成が始まり、バブルの華やかさが薄れていきます。それでも今振り返れば、まだまだ残り香はありました。今回は、平成の中期にあたる1990年代後半から2000年頃までの僕自身の変化と社会の動きを振り返ります。 新しい出会いと変化の始まり 中学生時代、僕は地元の中学校に通っていました。小学校時代は小さなクラスで過ごしていたため、隣町から来た大勢の生徒たちとの新しい出会いは刺激的でした。しかし、同時に先輩後輩の上下関係を意識するようになり、人間関係の複雑さを嫌でも学ぶ事になりました

希望と不安の狭間での幕開け

平成という時代が幕を開けた1989年は、僕たちにとって新たな時代の始まりを告げる年でした。昭和天皇の崩御に伴い、新しい天皇が即位し、日本全体が一つの時代の終わりと新しい時代の始まりを感じた瞬間でした。平成という元号は「平和が成り立つ」という願いを込めて選ばれましたが、その背後にはどんな変化が待っているのか、誰も予想することはできなかったでしょう。 平成元年、僕は14歳の中学生でした。親の仕事の関係で東京に住んでいた僕は、当時の熱気と活気を肌で感じていました。バブル経済の真っ

31→1

平成31年。 あと少しで平成が終わり、新しい年号になるという。 その年号が「令和」だと知ったのはネットで配信されたニュースだった。 Twitterでもその話題が流れていき、何やら万葉集が関係しているという。平成おじさんの時のように、現官房長官が発表したシーンはTwitter大喜利のネタにされてタイムラインをたくさん通過していった。 平成を振り返ると、まだやっぱり鬱々とした感情が起こる。 そんな悪かったことだけじゃないはずなのに、いいことだってきっとあっただろうに。思春期か

そっちとあっち、そして、こっちすら。

「うつは治らない病気です」と言われた時はビックリした。ガッカリした。 当時はうつは病気だとやっと認知し始められた頃。 怠けてるだとか、気合が足りないとか、そんなイメージがまだあった。 自分でさえそう思っていたんだから仕方がない。 「うつは治らない」は正しいけれど、正しくはない。 完治という言葉はないけれど、寛解と言う言葉がある。 完全には治らずに、症状がおさまった状態にはなる。 何かのきっかけでまたなることもある。 そんな感じ。 寛解状態になった自分は、また働き始める。

くすぶる男/フリする男

1995年に大きな事件が起こる。 阪神大震災。 受験生だったので、阪神大震災は大きな事件だったのはわかるけれどその時はピンとこなかった。テレビはとぶくすりとガキの使いくらいしか見ていなかった。新聞や食事中のテレビで被害が大きいのを知ってびっくりする。そして、それで受験に支障が出る人の話を聞いたりして気の毒だと思った。せっかく頑張ってきたのに。 大学合格。 本当に良かった。これでなんとかメンツが保たれる。怒られなくてすむ。一言でたとえるなら「安堵」だった。(色々とすり込まれ

ピーク

自分の人生のピークはいつだっただろうか。 振り返れば自分の人生のピークは中学3年ごろだったかもしれない。 かといって、モテていたわけではなく。 お金がたくさんあったわけではなく。 じゃぁ、何か。それは、希望。 これからの人生に対して希望があった。 田舎の小童が中学に入って猛者達に揉まれる。 負けたらいけない、負けたら怒られる。 その一心で歯を食いしばって頑張った。 中学3年生になる頃には部活のおかげか体も大きくなって 満員電車でも自分の場所を踏ん張れるようになっていた。

64→1

平成元年。 新しい年号が「ヘイセイ」になったと知ったのは塾でだった。 2月上旬に中学受験を控える受験生で、冬期講習の真っ最中。 塾の先生が教えてくれたけど漢字を見たわけではないので 「ヘイセイ」が「平成」だと知ったのは夜に家に帰ってからだった。 正直なところ受験でそれどころではなかったので 「そうなんだ。」くらいにしか思わなかったけれど、 その前から感じている独特な雰囲気は察していたように思う。 少し前には国鉄がJRになって、海をまたぐ瀬戸大橋もできた。 もう少し前のつ

形にしきれないので下書きを。進んで入稿、11月なかば。

少し、遅くなりました。 遅くなったので、他の皆さんの話を読んでから書けたのですが、意外と前向きな人が多いようで勝手に感心していました。 つまりは、後ろ向きな私が前に進むための話を綴るということです。ゲイとして。 前回に書いたように、自己課題の話。 と、その前に今の私。平成改め令和元年、5月の30日。 これまでに紆余曲折を経て天職と思えるものを見つけ、その資格を得るために専門学校に通わせていただいています。人そのもの、そして人の心に向き合う分野に足を踏み入れ、勉強が

L'amour

前回の冒頭の引用、ちょっと伝わりにくいかも知れないあの台詞には続きがあって、 「愛のないセックスは気楽だけど、セックスのない愛は辛い。」 というようなことが書かれている。御意。 それでは、セックスとイコールであるところの愛について。 これまで登場したKだのHだの、当然俺の中ではノーカンなわけですよ。 ノーカン組は他にもいて、 ・決定的なことは絶対に自分から口にせず相手に言わせるように仕向けるK(2号機) ・W不倫なのに遠距離なのをいいことに乗り換え前提で俺の生活に支障が出

平成を振り返る season4

第四回。これは4/25の締め切りのものだ。 しかしもうそれも過去の話。私は今を生きる。 今回も長くなってしまった。 〜〜〜 season4ということで、20歳〜30歳の話です。 平成後期。私は大学生だったり社会人だったりでした。 入学も進学も人より倍も時間がかかり、20〜28歳まで学生でした。 29歳になってようやく社会人、晴れて東京デビューです。 もともと東京で働くって気持ちはほとんどなくて、関西・東海エリアで就活をしていました。 そんな私が何故東京で就職したかと言

宗教

早いもので平成が終わって1ヶ月経ちますね。 前回申し訳ない事に第4回目をアップできなかったので、私にとっての平成後半~今の部分までまとめて書かせて頂きます。 高校卒業してからは札幌のデザイン系の専門学校に通い、 20歳で千葉のデザイン系とは全く関係ない会社で働き始めました。 当時はリーマンショックがあり就職氷河期と言われてた時代。 デザイン系の仕事になかなか就職できず、もはやなんでもいいから働かないと!っていう気持ちがあり、 最終的になんと、親の繋がりで〔宗教法人〕に就

Re:終わりと始まり

令和元年。 レコードを聞きながらこれを書いている。 ちょうど平成が始まった頃に音楽メディアの主役の座をCDに奪われたレコード。 紆余曲折を経て、平成の終わり頃から再び生産枚数が伸びているらしい。かく言う僕も半年ほど前から興味が出て来て、中古のプレーヤーやアンプ、スピーカーを一通り揃え、二束三文で売られていたジャンク品のレコードを漁って楽しんでいる。 トレイにポンと載せるかスロットへ挿入して再生ボタンを押すだけ、のCDに比べて、レコードは音が出るまでとにかく面倒なことが多い