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Re:終わりと始まり

令和元年。
レコードを聞きながらこれを書いている。

ちょうど平成が始まった頃に音楽メディアの主役の座をCDに奪われたレコード。
紆余曲折を経て、平成の終わり頃から再び生産枚数が伸びているらしい。かく言う僕も半年ほど前から興味が出て来て、中古のプレーヤーやアンプ、スピーカーを一通り揃え、二束三文で売られていたジャンク品のレコードを漁って楽しんでいる。

トレイにポンと載せるかスロットへ挿入して再生ボタンを押すだけ、のCDに比べて、レコードは音が出るまでとにかく面倒なことが多い。面倒なことを無くすことで利便性が上がり、そうやっていろいろなものが変化して来た。CDだって、今じゃサブスクリプションサービスに押されて売上枚数は減る一方で、それはやはり物理的なメディアを扱うことの面倒さを無くすための変化にほかならない。

それ以前の30年に比べ、平成の30年間における様々な変化の度合いは桁違いだったんじゃないかと思う。その中でも僕が主に30代を過ごした平成最後の10年は、何と言ってもSNSがエポックメイキングな存在感を見せつけた。SNSの繋がりを発端に行動することが増え、こうやって文章を書いているこの瞬間だってSNSがきっかけだ。

あれはきっと平成18年とか19年頃かな。ガラケーの新機種が出るたびにときめいた時代。インターネットで人と交流する」ことに漠然とした不安感を抱いていたまま始めたmixiで、その不安感を拭えずにコミュニティにすらなかなか登録しなかったのが嘘のように思える。その頃は、と言うかmixiに参加する前からblogを書いていたので、mixiの日記はblogにリンクさせていた。直接mixiに日記を書き込むよりそのほうがイケてる気がした。こういう妙ちくりんな拘りはそれまでもこの時も、今に至るまで僕の人生にプラスに働くこともあるけれど、大抵マイナスに終わることが多いけど、まぁそれはそれで。

SNSで出会った人、その人の友達、さらにその友達やお知り合い、みたいな感じで繋がった人たちの数は、それ以前の交友関係の人数を大幅に越え、元来人付き合いが苦手な僕の人生に一石を投じてくれた。その人達と過ごした時間が30代のほぼすべてと言っても過言ではないくらいだ。そうこうしているうちに海外からも様々なSNSが上陸し始め、iPhoneをはじめとしたスマホが世を席巻し、24時間365日インターネットを経由して何かしらと繋がっている世界になった。それまでとは違った交友関係の上に、更に新たな世界が広がったような気がして、僕はすっかりSNSにハマった。その中でもとりわけTwitterに熱を上げた。今この瞬間を世界と共有できるTwitterは、基本がログである以上共有するものは過去だったblogの楽しさとは趣を異にしていて、病みつきになった。

「みんな違ってみんないい」とか「もともと特別なオンリーワン」とか、そういう文部省認定みたいな字面はもともと得意じゃなかったけど、実体験としてここまでいろいろな人がいるんだと思い知ったのは新鮮だった。初対面の人と何を話せばいいのか、上手く話せなかったら嫌われるんじゃないか、上手く話せたところでそれはそれでウザがられるんじゃないか、何より自分がゲイであることがバレるんじゃないかと思って積極的に人と交流できなかった僕にとって、出会う人がみなゲイである前提で広がっていく世界、その上で様々な意見を持って生きている人たちと交流することが楽しくて仕方なかった。

時を同じくして登場した所謂「出会系アプリ」も僕の世界を変えた。この頃はすっかり買わなくなっていたけど、かつてゲイ雑誌の文通欄を使って誰かと会ってみたいけれど勇気がなかった身としては、顔写真付きのプロフィールを、スマホの画面で好きな時に閲覧して、あわよくば今夜にでもその人と出会えることが衝撃だった。ご多分に漏れずこちらも大いに活用し、主に夜の交流経験において僕の人生を彩ってくれた。最近では男女間の出会系アプリも盛んに利用されているようだけど、男女のアヴァンチュールが成功するまでに相応の時間と費用が掛かるといった話も聞くので、そういう点では時間も費用もそこまで掛からずに成功出来るゲイで良かったなと思ったりもする。邪念すら人生のエッセンスとして楽しめるようになったのも隔世の感がある。

10代から20代は、世間体や周囲の人の目を気にして言いたいこともやりたいことも極力抑えた結果、自分を大切にする気持ちよりも他人の顔色ばかり伺うことを覚えていたことに気づいた。些か暴論を吐くかもしれないけど、ストレスのない毎日を送りたいのなら生きる世界は自分を中心に回すべきだ。徹底的に自分を守り、自分を大切にする。それによって迷惑を被ったり、嫌な思いをする人もいるかもしれないなんてことは気にする必要がない。そういう発想になった時点で、十分その人達に配慮した行動が取れているし、それによって離れていく人もいれば新たに繋がる人もいて、いずれ自分に適した関係性だけが残る。何より、自分を守れない人が他人のことは守れない。

人生で初めて、「毎日を自分らしく」といったどこぞの小さな駅ビルのキャッチコピーが聞こえてきそうな世界で有意義な30代を過ごし、その中で学んだのは他人は変えられないということだ。それはつまり、他人から見た自分も変わらないということ。自分を他人に合わせて変える必要も変わる道理もない。そんな考えを持てるようになったのもSNSを通じて出会った人たちから得た刺激の賜物。

30年前は淘汰される未来しかなかったレコードが、30年後も無くならずむしろ人気が高まっているなんてことは想像できなかった。スマホを使っていることも株情報を見ていることも、株価の並びに「男性同士の本気の出会いをサポート」なる謳い文句の広告が挟まって出て来ることも想像できなかった。平成の最終日をゲイの人達10数人と、それも東京でジンギスカンを食べながら過ごすなんてことも、日本全国が喪に服していた昭和の最終日とは対照的だったし、これだってゲイなんて自分一人しかいないと思っていた頃には想像できなかった。でもこれってきっとどの時代でもどんな出来事にも通じる話で、諸行無常とはよく言ったものだ。

自分の人生の4分の3を占める平成が終わった。
さて、次は何しよう。

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