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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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2019年1月の記事一覧

64→1

平成元年。 新しい年号が「ヘイセイ」になったと知ったのは塾でだった。 2月上旬に中学受験を控える受験生で、冬期講習の真っ最中。 塾の先生が教えてくれたけど漢字を見たわけではないので 「ヘイセイ」が「平成」だと知ったのは夜に家に帰ってからだった。 正直なところ受験でそれどころではなかったので 「そうなんだ。」くらいにしか思わなかったけれど、 その前から感じている独特な雰囲気は察していたように思う。 少し前には国鉄がJRになって、海をまたぐ瀬戸大橋もできた。 もう少し前のつ

思案

平成元年、生まれる10年前。 思いを馳せてみる。 歴史や社会や情勢には疎いので表面的に。 西暦にすると1989年。80年代。感覚的には大昔。 ネットの普及はwin95の台頭からと聞いている。 それ以前のゲイの出会いといえば、数少ないゲイ雑誌の投書欄から手紙のやり取りをし、遠く離れた街まで行き待ち合わせをする。あの頃は会うだけで一大イベントという事で、その人の見た目がどうなんていうのはさほど重要ではなく、長い文通で培った関係性が恋そのものであったと聞いたことがある。 19

平成を振り返る第一弾

平成が終わるということで、色々思い返してみようという企画。 第一弾は平成元年です。振り返るとなればやはり最初からですね。 平成元年は2歳でした。2歳て。 正確には1歳と数ヶ月だったわけですけど、まぁ2歳になる歳でした。 その頃の記憶なんてものはあるようなないような感じで、振り返るとなると困難です。催眠術とかで幼児退行して昔の記憶を拾ってみたい。幼児プレイもしたい。嘘です。 振り返り用のネタ探しのため、我々はサバンナの奥深くへ向かった。 色々ネタはありそうなのだけど

平成個人史#1 基礎編(仮)

 平成が終わろうとしている今、こうして振り返る機会をいただけたのはとてもありがたいことです。普段は元号といえば書類に記入するとき和暦と西暦どちらで記入するのかという我々を惑わすものの一つ程度の認識でしかありませんでした。いざ終わろうとすると名残惜しいという気持ちに……なっていないですね。ただただ通り過ぎていくんだな という思いしかありません。それはやはり自分が生きてきた、自分を自分として作り上げたほとんどだったからでしょう。あることが当然で、それ以外を知らない。  けれども、

終わりと始まり

昭和64年1月7日。 中学受験を間近に控えて、通っていた塾の冬期講習最終日。 まだその人のことをよく理解していなかった、教科書に出て来る眼鏡を掛けたおじいちゃん。その人が何なのかイマイチ掴みにくいけれどいつもそこにいたっぽい人が亡くなったとテレビが伝えていた。 映像には涙を浮かべる大人が映っていたけれど、ついこないだまで同級生にからかわれては度々泣いていた僕でもその程度の認識しかない人が亡くなったところで涙が出て来るはずもなく、「7日しかない昭和64年の硬貨は数が少ないか

ヤマメとサクラマス

平成元年。 当時は中学一年生。 それまでにいた小学校は稀有なマンモス校で、全校生徒は約2000人もいた。 一方で、入学した中学校は全校生徒でも500人程度だ。 これまでは給食センターでわしゃーっと一斉に洗われていたじゃがいもが、ホテルの厨房でそこそこに洗われるようになった感じだ。基本的には、じゃがいもとしての自覚がある良い子ちゃんだったと思う。 自分は肌がとても白かったので、外見的には目立っていた。今は40代となり、それなりに薄汚れているが、当時は驚きの白さ。 小学校の卒

平成元年

平成元年 昭和64年、平成元年。 昭和の終わり、平成の始まり。 私はまだ0歳だったので、何も覚えていない。 平成元年に起こった出来事を改めて確認してみても、歴史の教科書に載ってたような気がする出来事ばかりで。 まさか平成元年から消費税制度が始まっていたなんて。 まさか平成元年にゲームボーイが発売されていたなんて。 平成元年に限った事じゃないですけど、調べたらキリがないですね。 自分の職業に関する事を調べてみると結構面白かったです。 横浜アリーナ開業、横浜ベイブリッ

ガイジンと呼ばれた自分と『自分ルール』の芽生え

平成元年。14歳。 西暦で言うと何年になるんだ。 あらやだ、1989年ですって。いまが2019年だから何年経過したのかしら。 繰り下がりのある引き算むずかしいし、レディーに年齢を聞くのってヤボだと思う。いまが平成31年なんだから、平成元年からならすぐわかるだろって?いやよいや、マコはそんな無粋なことしたくないっ!マコはいやっ! 放っておくとこうしてわたしの文章はどんどん脱線していくので、きちんとここで本題に戻りたい。第1回の共通テーマ『平成元年』を振り返るにあたって、まずは

平成元年

このシリーズ、寄稿するにあたっては平成に起こった出来事を、いいことも悪いことも思い出していかなきゃならないのだよね。 ややネタばらしになるけど、思い返せば面白いもので、平成の前半・後半でなんというか人生の浮き沈みみたいなのがキッチリ分かれてて、以降のストーリーはだいたいそんな内容になる。多分きっとおそらく。 平成前半はなかなかの地獄で、それらを思い出すことは俺的には自傷行為ではある。 なれどその地獄を乗り越えてきたからこその平成後半があると思っているので、もとい、思い込んでい

一般的な家庭

平成元年、 恐らく私はまだ精〇にもなっていない。 私の誕生日からトツキトオカを逆算してみると、私は平成元年の7月くらいに、顔も分からない父の精巣から母の子宮に移動したのだろう・・・・。 私は基本的には振り返らない質で、何も考えず、過去はどんどん忘れてく方なのだ。 何故なら怖いから。 平成元年までは、まだ一般平均的な"家庭"ではあったのだ。 私が産まれて父と母が離婚した。 私を含めた男3人(私は三男)母に引き取られ、 女手一つで育ててくれた。 でも、やはり父親が居な

夢と希望だらけの平成元年

平成元年。 俺は大学1年生。 見栄っ張りでミーハーだった自分がバブル時代に大学生。 とにかく「女の子」にモテたくて必死だった。 華やかな大学生生活に憧れ、それを実行するのに必死だった。 女の子から「かっこいいね」と言われることがご褒美だった。 自分のセクシャリティについても、将来についても「なんとかなるんじゃね?」くらいの気持ちで生きていたし、世の中もそういう風潮があって「バブル世代はダメ」と言われる所以がそんなところにあるのかな。とにかく夢と希望にしか目を向けていなかっ

平成元年

平成元年。 当時、僕は5歳ということで、記憶はほとんどない。 うっすらと覚えているのは、昭和天皇の崩御によりテレビがすべての局で数日間特別番組に変わり、CMも自粛され、子供心にも「なにか尋常じゃない自体が起きている。」という雰囲気は感じ取ることができた。 今になって想像してみると、震災直後の自粛ムードの空気に近かったのかもしれない。 昭和が終わり、平成が始まる。 そんなことは当然、5歳の子供の生活には何の影響も無く、地方の平々凡々とした家庭で日常を過ごしていました。

つれづれつづるルール

つれづれつづる上でのルールは ・自分のことを ・等身大の自分で ・なるべく自分に向けて ・正直に ・楽しんで です。 このルールを守りやすいように表現として ・匿名で というルールも付け加えました。