「環境」「チーム」脱退編②

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師匠、紹介者A、シェアハウスしているメンバーには事情を話さなければなりません。脱退者の経験談の中には、夜逃げ同然にシェアハウスを抜け出してばっくれたというものもありましたが、シェアハウス問題を解決するためには、師匠の協力が不可欠であったこと(シェアハウスするメンバーの差配も師匠の仕事でした)、そして何より、周到な勧誘の結果とはいえ自分から弟子入りを志願した責任として、筋を通したいという思いがありました。

師匠やAの目的が、自己投資という名の商品購入にあり、辞めると伝えれば引き留められるのは目に見えていました。だから先手を打ってチームサイトは退会し、とにかく「環境」の活動はもう行わないと繰り返す、と決めて、師匠とAのもとに向かいました。Aには予め事情を話した上で師匠とのアポイントを設定しているので、当然師匠も事情は承知しており、引き留める準備は万端のはずです。今までウキウキしながら足を踏み入れていた師匠のオフィスの入り口では、足の震えが止まりませんでした。

シェアハウス問題の解決のため、円満に脱退することを目指していた私は、「会社で地方転勤の辞令が出た。ついてはチームの活動は継続できず、辞めたい」というストーリーを立てていました。転勤の辞令を蹴った、といった話が、「環境」の活動第一を体現する武勇伝として語られるような「環境」の論理では、「そんなの蹴ればいい」と反論されることは明らかなので、加えて「自己投資の仕組みにどうしても納得できなかった」と説明することにしていました。

穏やかに話を聞いていた師匠でしたが、自己投資のくだりで怒りを見せました。「いや待てよ。それは自己投資のせいなのか?」答えに詰まる私に師匠は畳み掛けました。「仕組みや他の人のせいにするな、と常々言ってきたのに何を学んでいたんだ。要は自分のお金が無くなるのが怖いんだろう。本気で取り組む気なんて無くて、今の仕事やお金といった、目に見えるもので安心したいだけだろう」と。

「環境」の論理には色々と思うことはありますが「自分が源」という考え方は、「環境」を抜けた今も大切にしています。確かに「自己投資の仕組みがダメ」というのは、その考え方とは真逆のものです。私は「いえ、自分がここで成功する自信がないというのが本当の理由です。仕組みのせいにしたのは間違っていました」と言うことにしました。

そこからは罵倒の連続でした。弟子入りを志願して自分の都合で抜けるのは不義理、そもそも迷うのは負荷をかけていない証拠、どうせ社会人の自己啓発サークル程度の感覚でいたんだろう、などなど。自分と自分のビジネスパートナーが豊かになって幸せになる、という「環境」の中での自分の夢を否定された最後の言葉には反発心を覚えましたが、いくら罵倒されてもどうせ辞めるのだからと思って淡々と聞いていました。

最後に「このまま会社員を続けても、弟子入りを決めた時の不安や不満は解消しない。いずれまた不安や不満を感じて、自分の人生はこんなものではなかった、と思った時に、君は本当に後悔しないのか?」と尋ねられました。実際、「環境」での活動の影響で、会社でのパフォーマンスが落ちて評価が下がっているのを感じていた私に、この言葉は深く刺さりました。師匠のように自分の人間性の問題点をきちんと指摘してくれる人も、AやBのように明るく前向きで、苦楽をこれだけの熱量で共有できる仲間も、今の会社にはいないし、全く後悔なく「環境」を抜けられるか、と問われれば、私はそうではなかったのです。

「後悔なくやめられる、というのなら、お互いすっきりするんだけどなあ」と師匠が重ねて言いました。私は深く動揺しましたが、抜けるという自分の決意を信じて「後悔が無いと言えば嘘になります。でも私は、辞めて会社員として頑張ると決めたんです」と、なんとか言葉を絞り出しました。ようやく師匠も翻意を諦めたのか、そこからは淡々と退会の手続きを説明してくれました。シェアハウスについてもなんとかすると協力を約束してもらい、ようやく肩の荷が降りた心地がしました。

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