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ちいかわ事件 -43歳 vs 3歳のたたかい- #051

「ちいかわーー、ほしい!」

3歳の姪は「ちいかわ」の人形(本当はハチワレ)を一心に見つめながら声の限り、泣き叫んでいた。

「これは…、ダメなんだ。…あげられない!」

私も負けずに言い返した。私は43歳である。車の中で、43歳と3歳のたたかいは熾烈を極めていた。姪と妹夫妻、妻と私の5人は我が家から最寄りの駅に車で向かっていた。

「ちいかわ、ちいかわ、ちいかわーー」

この世の終わりのような声で、姪は「ちいかわ」を連呼している。私は大人として譲るべきなのだろうか。悩みつつも、地獄のような状況が続いていた。


夫の転勤で近畿地方に住んでいた妹は、そこで姪を出産した。当時はコロナ禍の真っただ中。関東に住んでいる私たちは、一度は乳児の姪と顔合わせしたものの、定期的に妹夫婦や姪に会うことはかなわなかった。

次の転勤でたまたま関東に転居した妹は、3歳になった姪と夫と一緒に遊びに来た。ほぼ初対面の姪は、天真爛漫でかわいく、うちにあったぬいぐるみをかき集めて話しかけたり、4匹いる猫と交流しようと頑張っていた。幸いなことにあまり人見知りをしないので、私は彼女とすぐ仲良くなったのだった。

1泊した帰り、車で駅まで向かう途中で昼食に回転寿司に寄ることになった。大人が食べている間飽きないようにと、私はあろうことか、家からハチワレの人形を持って行ってしまった。大人同士で話しながら寿司を堪能していた私は、寿司屋にいる間姪がハチワレを握りしめていたことに気づかなかった。そして店から駅に向かう車の中で、事件は起きたのだった。

私は言った。

「また遊びに来てね! …はい、じゃあこの子はおうちに連れて帰るね」

「!? …ちいかわ。ちいかわ。ちいかわーーーー!」

姪は突然地獄の窯を開いたかのように泣き出した。

「ちいかわ、ほしい!ちいかわーーーーー」

このちいかわ(ハチワレ)は私の誕生日に、ある友人から小包が届き、お菓子の詰め合わせの中にぽつんと入っていたものだった。普段ニュースやテレビなどを見ない私は、ちいかわをよく知らなかったのだが、私が猫好きだと知っていた友人はネコのような(※)ハチワレの人形を私のために入れてくれたのだった。だからこれは私にとって大事なちいかわなのだった。

「…ちいかわ、ほしいよね。でも、ごめんね、これは友達がくれたものなんだ」

昨日あんなに仲良くなった姪っ子が、声の限りに泣き叫んでいることに動揺し、少なからず心を痛めてた私は説明した。しかし、そんなことはもちろん通用しない。

「ちいかわ、ほしいーーーーーー。ちいかわ、ちいかわーー!」

実は対面してゆっくり話したのが姪と同じく初めてだった妹の夫は、この小さな人形を決して譲ろうとしない43歳の義兄をどう思っているのだろうか。「この子はいつも何か欲しいとこうなるけど。すぐ忘れるし、買っても飽きちゃうから」と平然と笑いながら言う妹も、妻も、私を心の狭い大人だと、思っているのかもしれない。

私は心が折れかけた。しかし、研修講師をやるときにも心の支えとしてこっそり持ち歩いているちいかわ(ハチワレ)を、ここで失うわけにはいかない。私は頑張った。

「ごめんね、ごめんね」
「ちいかわ、ちいかわ、ちいかわーーーー」

泣き叫ぶ姪を車から降ろし、「ちいかわ、おもちゃ屋で探そうね」と声をかけなだめようとする妹夫婦を、私は半ば放心しながら見送った。


自宅への帰り道、私は「欲しいものでも手に入らないことがある経験も大事だ」「人はそうやって大人になっていくんだ」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。決して単に私が大人げないとか、けちなわけではないことが妻に伝われ、と思いながら。

きっと姪は、このちいかわをめぐる本気のたたかいを今やもう忘れていることだろう。

「ちいかわをくれなかったケチなおじさん」と姪に思われていたらどうしよう。

心配しつつも私は、次は何をして遊ぼうか、とも思っているのだった。

(※注)
ハチワレはどうやら猫ではないらしい。 あるサイトによると作者のナガノ氏は「ハチワレはねこではないので、たまねぎやチョコも食べています」と言っておられたらしい。ハチワレは草むしり検定5級で、ギターが弾け、カメラが趣味。かわいい🐾

(後日談1)
この記事を読んだ妻が「この時どう思っていたか言っていい?」と言った。ドキドキしながら私は感想を聞いた。妻は「やり取りを聞いていた時は、大人げないなと思ったんだけど、友達にもらったものだからあげられないんだとか、欲しいものを我慢する経験も大事だとか聞いて、ただ大人げないだけじゃないんだと思った」と言う。やっぱり大人げないと思われていたんだな、と内心思いつつも、大人ぶって理由を説明しておいてよかった、と私は思ったのだった。

(後日談2)
妹夫婦は駅ビルでちいかわの人形を見つけたが、見つからないようにうまく誘導し、アイスを食べようとごまかして帰ったという。私はちいかわの人形を買って姪にプレゼントしようかとも思ったが、きっともう忘れているだろうと思って贈らなかった。私は部屋にあるちいかわの人形を見るたびに姪の「ちいかわーーーー!」を思い出すようになってしまった。

(後日談3 2024/11/20追記)
このエッセイを読んだ妹(姪の母)から「すっかりちいかわのことは忘れているよ笑 この前ガチャガチャでハチワレのおもちゃが当たってたけど数日でどっか行ったし」とコメントが来た。

友人とけいさんについて

40を過ぎた私の誕生日に段ボール一杯のお菓子と一緒に、光るハチワレの人形を贈ってくれたとけいさんは、私が「つなまよ日記-平和な変人世界遺産-」を書き残そうと思ったきっかけの友人だ。彼女は素敵な小学校の先生なのだが、よくうんちを踏んだり、手からぞうきんのにおいをさせていたりするちょっと残念な人でもある。こういう人がいると知ると、ちょっと幸せになるかもしれない。ぜひ以下ご一読を。

2024年11月7日執筆、2024年11月15日投稿

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