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あの日の私の心の叫び〜4月8日の私の日記の全文〜

皆さん、こんにちは。こんばんは。
本日も記事をご拝読いただいている方も
初めましての方も心より感謝申し上げます。

本日は、前回の記事で
「日記」についてのお話をしたと思うのですが
そちらの日記をそのまま記事にしようと思います。


自身で4月8日の日記を読み返していました。
およそ1ヶ月前の自分のものです。
悲痛な心の叫び、
あるいは強さや優しさ
そして弱さ
が綴られています。

今なら、受け入れることが出来ています。
自分が自分の1番の味方
なってあげたいものですね😌

それは、簡単なようで難しいです。
それでも、今は、あの日の自分を
そっと抱きしめている夜の繰り返しです。

「心配しなくても、未来の私は生きているよ」

※事前の注意※
かなり重たいワードや表現があったりします。
鬱期に書いておりますので、
乱文であることをご承知の上でお読みください。

(以下、全文。)

「生死について考えすぎた日」

今日は土曜日なので12時に起きた。
本当は10時半の時刻を目にした記憶があるが
2回目に起きたら12時だった。
昼まで寝てても親は何も言わなくなった。

いつもは開けないカーテンを開けて、窓を開けて
とても良い空気を感じた。うぐいすの声がした。

父と妹とお蕎麦を食べに行った。美味しかった。
その後、妹と少しテレビを見たのだが
15時から20時頃まで5時間も寝てしまった。
寝ること以外にすることがないわけではないけれど
何も考えずに入れる時間は間違いなく寝ている時間。

会社から傷病手当金の申請書の紙が届いたのだが
書くのが難しくて、見本もあるけれど分かりづらい。
週明けには前職と年金事務所へ連絡しないと。
忙しいのめんどくさいな。

仕事をちゃんとしている人は
羨ましくて格好良くて
私も早く復帰したいと思う反面で
それをずっと続ける自信がなくて
理想はあるけれど、
きっとなれないのではないか。

そう思い続けながら、
月日は過ぎ、人は死にゆく。
生きるって難しいな。
なんか「死んでしまいたい」人の気持ち
私、分かるよ。

誰かに酷いことをされたから
辛い訳じゃない。多分。
私よりも辛くて、苦しい人だって、沢山いる。
逃げずに向き合っている人もいる。
逃げられずに、助けを差し出されるのを
待っている人もいる。
世界には、本当に色んな人がいると思う。

でも、幸せや不幸せを世界共通の物差しで
測ってはいけないと思う。
誰かの苦しいこと。
私の苦しいこと。
あなたの苦しいこと。
数値やレベルで表してはいけない。
ちゃんと、全部、苦しいことだから。

私は、なんだかんだ、両親が何度も許してくれて
何とか今も生きている。生かされている。

受験だって、
大学を4年で卒業しなくちゃと焦ったのも
社会人として、正社員として
真っ当に働かなくてはいけない
と思っているのも全て。
最終的にそうでないと
両親から見放されるだろう

何より「娘」として守り続けてきた
自分が傷付くからだ。

働くことだって、生きることさえも
実のところどうしたいのか分からない。
本当の自分は働きたくもないし、
生きていたくもないんじゃないかと思う。

最終的に母親がストッパーになっている。
死んでしまったら、怒られるからね。
母への恐怖心のおかげで生きている。
生かされている。
死ねないでいいる。

生きていることに
決して絶望しているわけではない。
きっと、正論だから。
時を戻して、赤子に戻って、
正しく愛情の注がれる親元に育ち
正しく人格形成されて、良い子になるなんて
今更、出来ないんだから。

「まだ若いんだし、人生はいつからでもやり直せる」
と誰かが私にこう言った。
私自身もそう思い込んでいた。
でも、「死ぬ」ことでしか
やり直せないパターンがある
ことを知った。

「いじめ」のように外から付けられた傷や
環境が故に犯した罪ならば
環境を変えることや時が経つことで
おそらく変われると思う。
生き直すことが出来るし、
明るい未来も待っていると思う。

ただ、周りはむしろ優しい人で溢れているのに
自分の中の何かが、何度も何度も暴れ出して
失敗を繰り返していては「自分」として
生きている限りでは変われないのだと思う。

これが「死ぬ」ことでしかやり直せないパターンだ。

だから、私の人生
結局死ぬまで楽になれないと思うし
自分のために生きれないと思う。

死ねもせず、上手に生きることも出来ずに
私はどうやって死ぬまで生きていけば良いんだろう。

でも果てはある。永遠には続かない。終わりは来る。
どんなに頑張ったって、頑張らなくたって
人は必ず死ぬ。

(ここまでが全文です)

私が伝えたいのは、そうですね。
人が鬱期になるとここまで考え込むんですよ。
そんなネガティブにならないで!
なんて言葉は通用しないくらい
真っ暗闇にいるんです。

だから無理矢理、
引きずり出そうとかしないであげてほしい
むしろ、そうかそうか、と
ただ、寄り添ってあげてほしい。

自分が前を向いている時って
後ろを向いている人に
「前を向きなよ」
って声をかけたくなると
思うんですけども。
(あなたの優しさに乾杯)
でも、その人にとっては
自分の向いている方向が前なのですよ。

私の好きなアーティストの
みきなつみのウシロマエという曲の歌詞に

” 後ろに進む1歩でも
あなたにとっての前進だといいな "


という歌詞があるんです。
後ろに進むことを前進だと寄り添ってくれる
彼女の言葉のセンスに感激したことがあります。

そして、我ながら良い言葉だなと思ったのは
人の幸せや不幸せを
世界共通の物差しで測ってはいけない

という言葉ですかね…。

誰かにとっては
「それくらいのこと」
がその人にとってはどれだけ
大きいことなのか
って
分かってあげること。受け止めてあげること。
自分の普通が相手も同じだとは限りませんから。

正義の対義語は悪ではなくて
正義の対義語は正義なんですよ。
誰かにとっての正義は
誰かにとって悪と感じ
相手にとっては自分たちの正義を
守り抜いているだけなんですよ。
争いって、そういうことです。どちらかが妥協するのではなくて
そうであることを認め合えると
きっと素晴らしいのではないか
と思ったりしています。

それでは、本日はこれにて。
長文をご拝読いただいて誠に感謝申し上げます。


▶︎簡潔プロフィール
親族コミュニティ運営担当  芙優(ふゆう)
「おとなの保健室」保健委員長
1998年4月16日生 / A型 / 神奈川県在住

私本人のイケちゃってる写真

【活動団体の理念】
人と人の繋がりで生まれる
幸せと幸せを与える幸せを築いていく💞

◎親族コミュニティ活性化事業
親族との縁や繋がりを大切にしながら、それぞれが日常的に、助け合いや支え合いが出来るコミュニティへの活性化を促す。
⭐️期待される効果⭐️
→高齢者の孤立化や緊急時の対処の簡易化
→家族の枠組みを超えた繋がりによって、相談できる人を身近に作ることが期待される。

◎おとなの保健室を作ろうプロジェクト
トイレで体の要らないものを排泄物として出して、スッキリするように、「保健室」で心の毒を出してスッキリしよう。大人でいることを休める場所。人のぬくもりに守られる居場所作り。
⭐️期待される効果⭐️
→社会人として働ける心身の健康を守り続けることで、企業としても個人としても生産性を維持する。または上げていく。
→金銭を気にして病院に行けない、行けなくなったなどの理由で孤立したり自死する人の防止。
→「〜しなきゃいけない」「〜してはいけない」公的な場では抑えている欲などを抱え込ませずにケアすることで性犯罪などの防止に繋げる。

代表の連絡先💌
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