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書店員最後の1週間の日記

1月某日(月)
最後の出勤まで1週間を切った。ここ数年、シフトは遅番固定だったので、久しぶりにしてラストの早番。


入社からの2年で施設内のコピー機5台が示し合わせたように順次再起不能となり、ついに全撤去が決まった。スマホで写真を撮れば解決するケースも増え、USB接続のできないコピー機の利用は減っている。技術の進歩の中で静かに取って代わられるものを、抗いながら見送るのも書店の仕事なのかもしれない。機械の中にセットされた釣銭を回収し、膨大な小銭をちゃらちゃら弔うように数えた。


合わない釣銭と格闘する合間に立ったレジで、韓国語と簿記のテキストを販売する。ああ、私も年末に買ったまま手をつけずにいる。話しかけるわけでもないのだけど、ひっそりと学びの仲間を見つけ、怠惰な自分を鼓舞できるのは書店員のいいところ。


せっかく早く上がれたので、近くのショッピングモールに寄る。歩ける距離とは知っていたが、遅番のあとに買い物する気力もお金もなくスルーしてきた。最後の冒険にわくわく。大きな本屋もあったし、毛糸の品揃えが充実したseriaも見つけた。こんなパラダイスがそばにあったのか。コットン糸をいくつか買う。辺鄙ゆえ、退職後に来るのは難しかろう。せっかくの発見は思い出の中に閉じ込めて。


1月某日(火)
退職後に出社するのも億劫なので、入社時に貸与されたエプロンを最終日に返却できるよう洗濯に出した。自前のものを持ってきたが、つけ慣れない。しゃがむとがばがばともたつく。ふと気づくとひもがほどけている。いよいよなんだと実感がわく。


短縮営業ではあるが、業務量は変わらないのでむしろ普段以上に忙しい。大口の客注も入ってバタバタ。業務の間にごみ出しに外へ出ると、降り続いていた雪がやみ、施設内の噴水に虹がかかっていた。


1月某日(水)
書店員が最初に覚える仕事のひとつが返品なのだが、いきなり経理に抜擢されたためなにかと免除されてきた。久しぶりに任されて、バラバラのサイズの本をうまくたくさん詰めるのに時間を要する。


退職関係の書類のことで少しごたごたし、不安にもたげながら帰り道を歩く。後ろから走ってきた自転車に「お疲れさまでーす!」と軽快に挨拶される。反射で「お疲れさ」と口走るが、わざわざマスクを外して見せてくれた女の人の顔に覚えがなさすぎて、しりすぼみになってしまう。どうやら私は彼女の知り合いの誰かに激似らしい。女性の笑みが凍りついて、気まずい空気が流れる。追い越していく背中を眺めながら、せめて気持ちよく挨拶を返せばよかったと申し訳ない気持ちになる。


1月某日(木)
ここ数日のあわただしさはどこへやら。急にやることがなくなる。接客をしながら、入荷をチェックしたり、備品のチェックをしたりする。


こんなにゆっくりできることもないので、一日早いがお礼の紅茶を帰り際に渡したら、餞別のプレゼントをいただいて驚いた。最後にものをいただけるということは、ちゃんと働いてきた証拠だろう。


前職の出版社は心身がパンクし、突然辞めざるを得なくなった。働くどころか起き上がることもままならなかった日々から、こうしてきちんと書店員として認められて、終わりを迎えることができる。


経営が傾き人件費が削られて、これからは少数精鋭で回していかなければならない。その上、システム変更で伝票処理関連はめしっちゃかめっちゃか。私の辞めるという選択はこの状況で残るメンバーには負担に違いない。それでも私の将来を思い、背中を押してくれた同僚に感謝の気持ちを抱えながらバスに揺られる。



1月某日(金)
最終出勤日。3時間勤務だけど。敬意を込めて爪を切ってから家を出る。職場へのバスは一番後ろの窓際の席にだけひじかけがある。時々、そこに座ってくつろぐのが自分へのささやかなご褒美だった。いつも始業より早く着くので、店の外のテラス席でネタ帳を書く。この席に座るのも最後かもと思うと離れるのがちょっと惜しくなる。

そこここに散らばる「これでラスト」に揺さぶれる出勤前と打って変わって、営業中は感慨にふけるひまもない。ようやく入口のドアを閉め、閉店札を下げる。レジを数えて、売上金を金庫に入れ、ふいに初めてこの書店を訪れた時のことを思い出す。バックヤードでの面接だったが、足を踏み入れた瞬間、マスク越しでも新鮮な本の香りが鼻をかすめた。狭いけれど古い本と新しい本が役割に応じて循環しているいい本屋であると一瞬で分かった。途端に寂しくなって、こみ上げる涙を堪える。


同僚に「芥川賞と直木賞のPOPを張りたいんやけど」と相談を受け、書影の入った簡単な掲示物を作成し、入口正面の棚に貼ったのが書店員としての最後の仕事となった。「これからは自分で作らなあかんなあ。都村さんに頼りっぱなしやったからどうしよう」とこぼす同僚に涙ぐむ。最後のお疲れさまはうまく言えなくて、深くお辞儀して別れた。

本屋を続けることは難しかった。正社員の見込みのない女性が一人で生き抜いていける社会でもなかった。不安で押しつぶされそうな日もあった。不満でぱんぱんに膨れた日もあった。結果、離れるという選択を取らざるを得なかった。好きな仕事を手放さなければいけない苦しみを味わうことになった。


それでも、私を本屋さんにしてくれたのはほかでもなくこの本屋さんだ。バスの車窓から激闘の地を最後に一目収める。本と人との出会いをたくさんつくることができた夢のように幸せな2年間だった。


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