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ブックマークの時代に『スピン』を愛したっていいじゃないか

栞紐を見れば、その本がどんなふうに読まれたかがわかる。

先がボロボロになるほど何度も読み返したんだなあ。こちらは美しく折りたたまれているから、買ったいきおいのまま読み切ったのだろう。いや、その割に表紙が擦れている。ほつれないよう大切に大切にページをめくったのかもしれない。おや、こちらは折れ目がついている。先を出しっぱなしで本棚に収めたにちがいない。


全ての本についているわけでなく、カバーや帯ほど目立つ存在ではないけれど、読み継いできた人たちの愛情を一心に体現するそれは、紙の本の楽しみの欠かせないひとつである。


このささやかながらけなげな本の栞紐を、専門用語で「スピン」と呼ぶ。

その名を冠した文芸誌が、2022年秋に創刊された。

2026年に140周年を迎える河出書房新社の記念企画として、年4回、限定16号で刊行される。その名のとおり、紙の本でしか得られないわくわくが、紙の本を大切にしてきた人たちの愛情が、ぎゅぎゅぎゅっと詰まっている。


POINT1▷持ち歩ける小宇宙


文芸誌というと350~600ページはあって、持っているだけで賢くなれるようなずっしり感が定番。感性に任せて気になるところだけを楽しんで、次の号へ移っていく。

だが、『スピン』はだいたい150ページくらい。手ごろな文量だからこそ、まるごと1冊読み切れちゃう。連載・短編小説あり、エッセイあり、書評あり。著名な作家から他のジャンルで活躍されている方まで、表紙に名を連ねる執筆陣の目を借りて、いろんな世界をのぞくことができる。かばんに入れれば、小宇宙を持ち歩いているような気分。


POINT2▷栞をはさむことはふたたびはじめること


入社前夜の緊張と不安の中、1冊の本が背中を押す青山美智子『ギフト』、休養のため帰省した作曲家と声の出ない少女の出会いと再生を描く斉藤壮馬『いさな』、連載小説の締め切りに間に合わなかった罰としてデビュー前の投稿作を振り返る中村文則のエッセイ『デビュー前の小説』、コミュニケーションの進化の過程をさかのぼり、歴史の廻転を試みる山極壽一の論考『踊る人類』……。

収録されている作品は「スピン(栞・回転・変化)」を連想させるものが多い。

わたしたちはふたたびそこからはじめるために、栞をはさんで小さな節目をつくる。少し時間をおいて、振り返ってみたり、気分を新たにしたりすることで、見えてくるものがある。一歩踏みだすときの清澄さ、積みあげてきたものがそばにある心強さ、いつもの景色が違って見えるおどろき。この1冊には、”栞をはさむ”という行為が与えてくれる発見と感動に満ちている。

そう考えると、”本を読む”こともまた人生に”栞をはさむ”ことなのかもしれない。この文芸誌そのものが”スピン”となり、ふたたび目の前の生活や将来をうごかすエネルギーをくれる。

POINT3▷目と脳と、肌で読んでいる


電子書籍にも、ページ数を記録しておくブックマーク機能はある。が、目的は同じでも本質は異なるように思う。紙にはさむ栞はむしろページ数を記憶する必要を省くための手段だからだ。

両手にかかる重みと厚みで、今、物語のどの地点にいるかを確かめながら、そのときの気分と一緒にはさみこむ。小休止のあとは、自然と紙が開く感覚をたよりに記憶と時間をつなぐ。ブックマークよりずっと触感と肉感がともなうのである。


だからこそ大切なのが紙。


『スピン』は紙の専門商社の竹尾とコラボしてつくられており、ページの役割に似合った紙が選ばれている。

淡いベージュの風合いとなだらかな手ざわりが心地よい表紙、画用紙を思わせるハリとぬくもりのあるもくじ、藁半紙のような灰色を帯びた、それでいて文字を際立たせる明るさが美しい本文紙。ページをめくるたび、指に伝わる感触の変化が楽しい。紙の質感と色味が、作品の世界観をつくりあげる手伝いをしてくれる。

使用した紙は巻末で詳しく紹介されている。普段ひとくくりにして呼んでいるひとつひとつにちゃんと名前があって、色ごとにさらに美しい名前で区別されている。説明によると、表紙と目次は現在庫限りという。『スピン』を手に取っていなければ、一生触れることがなかったかもしれない。紙との出会いも一期一会なのだ。

『スピン』は毎号違う紙でつくられるとのこと。紙が違えば、インクの色の出かたも、読んでいるときの印象も変わる。次号はどんな出会いがあるのか、発売が待ち遠しい。


POINT4▷新作を追う楽しみが300円


おどろくのは、これだけ執筆依頼をして、紙にこだわって、1冊300円!書店や取次の売り上げも……と考えたら、利益どころか原価も元を取れるかどうか。

読書は続けてみると意外とお金がかかる。古本や図書館をも利用するけれど、好きな作家や素敵な装丁の本は新刊でほしいし、手元に置いておきたい。そのためのスペースも確保しなければならない。本への愛は深まるほどに、支出に占める割合がどんどん大きくなっていく。

だけど、人生にはほかにお金が必要なときもある。夢のため、健康のため、大切な人のため、生活のため。そういうときこそ新刊が出る日を糧にしたいのに、ここではない世界に持っていかれたいのに。目まぐるしい日常の中で、気づけば読書から離れてしまう。

もちろん300円だって安くはない。だが、その1杯のコーヒーを我慢すれば、1駅分足をのばせば、ためこんだポイントを一思いにつぎこめば、新作を追う楽しみに、わたしだけの本を所有するときめきに手が届く。

この文芸誌がきっと、まだ本の魅力を知らないだれかの入り口になってくれる。この時代に紙の本を愛し続ける人の力になってくれるだろう。1冊でも多く読み手に届けて、その営みを未来へとつなごうとする河出書房新社の思いに心が震える。


◉『スピン 文藝2022年秋季号増刊』(河出書房新社)


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