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【ニートとパートが激高】      ~アルツとレビー . あかるいニート~

アルツハイマー型認知症の母と、レビー小体型認知症の父を我が家に引き取り、父が転倒して入院してから1年と数か月が過ぎた。t

母は変わりなくデイサービスに通っている。父は様態も落ち着き病院から老健に移った。私も今の生活にもだいぶ慣れ、母がデイサービスに行っている間、パートでコールセンターに勤めている。弟は相変わらずニートだ。

そんな中コロナの流行だ。父の施設は面会禁止になり、母が通うデイサービスも神経を使いピリピリしている様子だった。私はしばらくは会社に出勤していたが有難いことにテレワークをさせてもらえるようになった。

弟はと言うと、変わらずで母に会いに来た時も

弟  「俺さあ。コロナで自粛しないとなーって思ったけど.....」 

   「結局いつもと同じやん!って気づいた。ハハハ」

私は少し笑っちゃったけど.................笑えない。皆が不安を感じているさ中にこの人はどこまで楽観的なんだと、なかば感心すらした。

弟は鬱の状態も良くなってきてこの頃は実家の庭の剪定や草むしり。とにかく家を綺麗にしている。台風が過ぎた後、屋根の瓦がずれたり玄関の前の雨よけの上がボロボロになっていたことがわかり、どうしたものかと悩んでいると、お隣のご主人(父と同年代)が手伝ってくれて修理したそうだ。

弟  「昔オレ悪かったからさ。きっと近所の人から良く思われていないん
    だろうなー。って思ってたけど。ありがたいよ。」

   「なんかあったら相談しにこい!って言ってもらった時は嬉しくて
    泣きそうやった。」

と本当に嬉しそうに話していた。今になってもこの様な付き合いができるのは母が子どもの時からどんな状態でも近所の人には挨拶をしなさい!と口酸っぱく言ってきたお陰ではないかと良く弟と話す。

そんな感じで弟は元気を取り戻しつつあり、私は身体はきつかったが働ける喜びで充実していた。それから暫くして11月にはコロナが少し落ち着いたこともあり予約制で20分ではあるが父との面会が許された。私と夫。母と、近くに住むいとこで会いに行った。弟は来ていない。

父は車椅子で現れ身体は以前の半分位に痩せていた。言葉は上手く出てこないのだが明らかに泣いていた。目をギュウっとつむり口を開けて声にならない声で泣いていた。8か月ぶりに見る父の姿である。母は最初お父さんじゃない!と言っていたが、その内マスクを下にさげて バァーー!とおどけて見せた。父が笑った...............皆が泣いた.......。

いとこを送った後、車の中で夫から何故弟は父に会いに行かないのか?
と聞かれた。母には会いに来るのに父のお見舞いは最初1度病院に来ただけだ。もう1年半以上会っていない。夫のこの疑問は以前私も持っていて弟にぶつけた事がある。

私  「たまにはお父さんに会いに行かんね!いっつも、あんたのこと聞く
    とよ!」

   「私もさぁ。お母さんの世話できついときもあるとよ。あんたが会い
    に行けばお父さんも喜ぶし私も助かるんだけど!」

弟  「..............」

私  「エッ!なに?」

弟  「行かないじゃなくて........行けないんだよ.......」

私  「なんで?......行けないって何?」

弟  「父さんに会った後の自分に自信ないいんだよ!!」

弟はポツリポツリ話し始めた。

弟  「あんなに介護はもう嫌だ、一人になりたいって思ってたけど .....」

   「下に降りて行ったらあたりまえだけどさ。誰もいないんだよ......」

   「さみしくて、さみしくて何回も泣いたよ」

   「母さんがああなってから喧嘩しながらでもお父さんと二人で料理も
    家事も母さんの世話も助け合ってきたんだよ!」

   「でも.........   ........ でも........」

弟は泣いている............私も泣いている............

弟  「あの時にもっと手伝ってあげれば良かった。こうしてたら良かった
    んじゃないか?なんで気付かなかったんだって後悔ばかりだよ」

   「だから........会ったら....家に帰って来て自分が耐えられるか........」

弟はうなだれた。

(そうだったのか)

私は母が58歳で倒れた時は上の娘が4歳で下の子が1歳だった。子供を産んで親のありがたさが分かった頃で母に子育ての話を聞きたかったし頼りたかった。だからショックは大きかった。

しかし父は83歳で、元気でいてくれる事に越したことはないないが、年齢的に仕方ないととらえていた。でも父と弟の間には親子というより同士のような関係性があったのかもしれない。親であり同士である父がいなくなったことは弟本人が想像した以上に喪失感があったのだろう。


私  「わかった。もう会いに行けとは言わない」

   「でも、後悔しない?...........」

弟  「わからん..........」


その話を夫にすると、少し考えていたが、それでも会いに行くべきだと言った。

そんなこともあったが彼は元気だ。母には毎月何回か会いに来る。あっ!ひとつは生活費をもらうために15日年金の日に来る。先日は

弟  「この頃、昼夜逆転しちゃってさぁ!オレはやっぱり夜型なんだなぁ
    ってつくづく思ったんだよねー」

政治の話も良くする。再給付金に関しても

弟  「オレが言うから反対なのか?」

私  「違うね!もっと困っている人に、困っている場所にお金は使うべき
    ってこと!」

とニートとパートがゼイゼイ激高し討論するのだ。

父の蓄えは減っていき不安もあるし弟は48歳で独身である。まさに8050問題に直面しておりどこに相談に行けばよいのか?心配は絶えないが

元気があればなんでもできる!

できることからコツコツと!

あきらめたら試合終了!

多くの師匠の名言を肝に銘じて前に進んでいきたいと考えている!

きっと私も明るいパートであ~る



   


ハリーポッターの作者が子どもが寝た後に物語を考えたように、私は母が休んだ後に記事の内容考えたり、皆さんの記事を読ませて頂いてます! 温かいお気持ち、力になります!(^^)!