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ショートショート。のようなもの#20『足の魚(あしのうお)』

 私は、きょう一日の疲れを癒すために自宅の湯船に浸かっていた。
 すると、私の“足元”で何かが泳ぐのに気がついた。
 “足元”と言っても、所謂“足の傍”という意味ではなく私の“足、そのもの”が泳いでいると言ったほうが適切ではないだろうか。
 もっと言うと、お寿司用の醤油が入ってるプラスチック容器くらいの大きさの“魚”が、私の左足の裏から生えてきている。
 そして、この“魚”が胴体の7割くらいを私の足の裏から覗かせてピチピチとお湯の中を泳いでいるのである─。

 一ヶ月くらい前に、皮膚科の医者が言っていたのはこういうことだったのか。
それなら、もっと強く言っておいてほしかった。

「あー、これは“魚の目”ですねー。放っておくとどんどん大きくなって大変なことになりますよー。すぐに切除することは出来ますが、少し痛みを伴います。しばらく塗り薬で様子を見てみますか?如何なさいますかー?」

 痛いのが苦手な私は「では、とりあえず塗り薬で」そう言って病院を後にした。
 始めの二、三日で塗り薬を塗ることすら邪魔臭くなってしまい、“魚の目”を放置していた。それが、この結果となってしまった。

『“魚の目”が“大きくなって”大変なことになる』
 確かに医者はそう言っていた。

 恐らく、文字通り、“魚の目”が大きくなって“目”だけでなく、“魚の顔”になり“魚の胴体”にまで成長してしまったのだろう。
 そんなことで、私の左足の裏には、今や“魚”ができてしまったようだ。
 “足の魚”は、とても気持ち良さそうに、左足を連れてスイスイと泳ぎ回っている。
 それを眺めているうちに、いつもより長風呂になり、のぼせそうになっていたことを扉の向こうから心配をして妻がかけてくれた声で気がついた。
 急いで湯船から出て、ふらふらする目まいに耐えながら、体を拭いて脱衣所から出た。
 上手く歩けるのか?と不安だったが、私の“魚”はどうやら幸いなことにトビウオだったようで、左足が着地するたびにピチピチッと床を蹴ってくれるので、歩行が心持ちか楽なくらいだ。
 長風呂を心配した妻に事情を説明すると、妻は不思議と「“足”に、“魚”が…?あら、そうー」とすぐに納得してくれた。
 まるで、ご馳走でも見るかのように私の“足の魚”をじーっと見つめて、涎を垂らしながら…。
 そして妻は、目の前にある、冷たく“冷ました”コーンスープを静かに啜った─。

 その後、私は、今までお世話になった会社を退社して水族館で働き始めた。
 何故なら、“足の魚”が更に成長して、今やイルカくらいの大きさにまでなってしまったからだ。
 もっぱら私は、一日中水槽の中でイルカサイズの“足の魚”が泳ぐのに引っ張り回される日々なのだ。
 そして、次第に私の“足の魚”は注目を集め、瞬く間に水族館の人気者になった。
“足の魚ショー”なるものまで、やらされた。
 所謂、イルカショーのような要領で水中からバシャーン!と出て来てフラフープを潜ったり、ボールをヘディングしたりするのだ。
 あくまでも、水中を得意とするのは“足の魚”だけであって、私はただの中年男だ。
 なので、ショーは私にとっては拷問のようだった。
 鼻や耳に水は入るわ、呼吸は苦しいわ、フラフープでアゴとかグーンてなるし、ボールが顔面に当たって鼻血は出るし!で私は終始泣きべそをかいていた。
 更に、“足の魚”のぬいぐるみや、クッキーまで作られてお土産売り場で大いに利益に貢献したのだようだ。
 正直、辛いことは辛かったが、収入はサラリーマン生活のときと比べると桁違いに良いし、世間の注目を浴びてスター気分を味わえるのも決して悪い気はしなかった。

 しかし、そんな生活もそう長くは続かなかった─。 私の“足の魚”は更に更に大きくなり水槽内に収まりきらないサイズにまでなってしまったのだ。

 数ヶ月前まで、足の裏に出来た小さな小さな“魚の目”だったモノが今や、“クジラ”くらいにまで成長した。
 そして、この“足の魚”に愛着が芽生えていた私は、今更、皮膚科で切除してもらう気にもなれなかった。
 まぁ、そんな気になったところで医者の手に負える代物ではないのだが…。

 だから、私は妻と真剣に話し合い、その結果、私は“足の魚”が伸び伸びと自由に生きられるように、海で生活をすることをした。
 このとき妻は、どんなに辛かったのだろうか?計り知ることすら出来ない。
 妻は、ただただ黙って私の“足の魚”をじーっと見つめながら涎を垂らしていた…。

─海での生活は、充実していた。
 天気のいい日は、真っ青な澄んだ空を眺めながら“足の魚”に水面を泳いでもらう。
 燦々と降りそそぐ太陽の日差しを全身で浴びながら、鼻腔で感じる潮風はとても気持ちよかった。
 夕方になると、燃えるような夕陽が水平線に沈んでいるのを“足の魚”の上で三角座りをしながら、いつまでも眺めていた。
 夜は、“足の魚”に寝そべりながら、真っ暗な世界にキラキラと輝く星々と友達になった。
 どんなに幻想的な景色を見ようとも、いつも思うことは、愛する妻のことだった。

「今どうしてるのだろうか?生活はできてるのだろうか?ちゃんとご飯は食べているのか?元気でいるのかな……」

 どれだけ問いかけてみても、返事を返してくれるのは、太平洋の潮騒だけだった─。

 そんな生活がどれくらい続いただろうか?
 さすがに独りでの寂しさに耐えきれなくなった私は、妻に、会いにいこうと決心した。“足の魚”がどこまで地上に適応してくれるか不安だったが、背に腹はかえられない。

 次の日、空は少し曇っていた。どこまでも青い太平洋の大海原を、元いた家の近くの海岸を目指して“足の魚”を泳がせる…。

 半日くらい経った頃だろうか?
 ようやく目的の海岸線が見えてきた。

 すると、私の目に飛び込んできたのは、砂浜で夕陽を浴びながらポツンと佇む、妻の姿だった。
 数ヶ月ぶり会う妻は、明らかに最後に別れたときと比べるとかなり痩せていた。
 頼りにしていた夫の収入が急になくなったのだ。無理もないだろう。申し訳ない気持ちで胸が詰まった。
 それにしても、何故、私の帰りを知らない妻が、あそこにいるのだろう?
 私に会うために、ずーっとここで待っていてくれたのだろうか?こんな、浜辺なんかで…。

 そんなことを想っているうちに、私を連れた“足の魚”が妻の待つ砂浜に着いた。

 すると、私から声をかける間もなく、途端に妻は、私のほうへダッシュしてきたかと思うと、大きな口を開けて「ガブリッ!」と私の“足の魚”にかぶりついたのだ。
 一瞬、私は、妻が何をしているのかわからなかった。
 動揺する私を尻目に、妻は、そのまま“足の魚”を食べ尽さん勢いで、一心不乱にむしゃむしゃと口を動かしている…。
 その魚まみれになった妻の口元を凝視して私は、愕然とした。
 なんと、私の“足の魚”に喰らいついていたのは、妻自身ではなく、妻の“舌”だったのだ…。
 見る限り、妻の意思に反して“舌”だけが独りでに動いているように見える。

「…ん!?なんだこれは!?なにが起こっているんだ?…なんで“舌”が?…独りでに動き出している?どういうことなんだ!?」
 思わず、私は妻に問いかけた。
  すると妻は、私に向かって、はにかんだように“舌”をペロッと出して
「やだ~、忘れたの?わたしって、昔から、かなりの“猫舌”だったでしょ……。」


                ~Fin~

 




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