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ショートショート。のようなもの#7『家猫』

 私は、近年の不況の煽りを受けて会社を首になった。
 そして、唯一の心の拠り所だった家族にも愛想を尽かされて、女房は二人の子供を連れて実家へ帰ってしまった。
 こうなると、新たに職を探す気にもなれず半年も経たないうちに、僅かにあった貯金も切り崩してしまい、家賃は払えなくなり、何もかもを失った私は、ついに今日、ホームレスとなった─。

 いかにも新入りのホームレスという感じのスーツ姿の私は、お決まりのように雨風を凌げる橋の下に段ボールとブルーシートで建てたマイホームで一週間程過ごしていた。

 きょうも、段ボールや空き缶を探して街をフラフラと彷徨っていた。
 私は、ふと考えた。そういえば、この地域には私の他にホームレスっていないのだろうか?橋の下や公園に住居を構えてるのは、私だけだ。
 いや、でもそれらしき人はいっぱい見かけるぞ…。
現に今も目の前で私が狙っていた獲物を根こそぎいかれている。
 それもかなりベテランと見えて、慣れた手つきだ。
 しかも、生活に余裕があるのか?“猫”まで連れているではないか。
 みんなどこを住居にしてるんだろう?一週間が過ぎて、孤独に苛まれていたこともあってか、そんな疑問が浮かんできた。
  恥も外聞もない。何かの参考になるかもしれない。聞いてみよう。

「すみません。あのー、私、この度、この辺りの地域でホームレスを始めた者なのですが。この地域のホームレスの方はみなさんどこに住んでらっしゃるのですか?」
 恐る恐る言葉を選んだつもりだったが、目の前のおじさんをホームレスだと断定したような質問になってしまった。

「ん?あー、新人さんか。はじめまして、よろしく頼んます」
 正解だったみたいだ。
 改めて聞いてみた。
「あなたは、どのあたりに住んでらっしゃるのですか?私は橋の下に、段ボールで家を作って住み始めたのですが、私一人なので、どうも心細くて」
「あー、住んでるところ?それはバラバラやけどね。段ボールでは作ってないね」
「え?段ボールで作ってない?ブルーシートでもない?じゃあ何で家を作ってらっしゃるのですか?参考にさせてください」
「まぁ、教えたってもええけど、そもそも作ってるわけやないねん。こいつに住んどるからね」
 そう言いながら、じいさんは、首輪に繋がれた猫をチラッと見た。

「…はい?」
「猫や、猫。住んどるとこやろ?“家猫”」
「…えーっと。何の話ですか?」
「家やろ?この猫が家になっとるの。家が猫になっとるんか、どっちやわからんけど」
 あっ、なるほど。会話が成り立たないタイプのお方なのか、話しかけた私が間違っていた。
 軽く会釈だけして、その場から立ち去ろうとしたそのとき、私の目に飛び込んできたのは驚愕の光景だった。

「こんな感じで“家猫”になっとんねん」
 そう言いながら、じいさんはポケットからママタビを取り出し、猫の口元に差し出したかと思うと猫の口が大きく開くと同時に、じいさんの体が小さくなり「ただいま~」と言いながら、猫の口に吸い込まれていったのだ。
 何が起こったのか?信じられない。
 呆然と立ち尽くしてると、今度は「いってきまーす」と言いながら、猫の肛門からスッと出て来て、また元のじいさんの大きさに戻った。

「まぁ、そういうこっちゃ。」

 何が起こったんだ?
 私はしばらく、状況が飲み込めずにいた。
 すると、じいさんが少し自慢げにしゃべり始めた。
「いま見てもろた通り、こいつが家になっとんねん。見た目は、どこにでもおる野良猫やけどな、猫っちゅうのは化け猫という言葉があるくらいに不思議な力を秘めとる生き物でな。この“家猫”っちゅう種類の猫は、文字通り家にもなる猫なんや、せやから、この体ん中には生活できるように、家具やなんやも揃たーるねんで。最近、子供を産みよったさかいによかったら兄ちゃんにもやるで」

 ほとんど理解できてなかったが、じいさんの真っ直ぐな目は妙に信憑性があった。
 それにホームレスとなった今や、なにも失うものなんか何もない、どうなってもいいと。
 じいさんについていって、何匹がいる中から、白地に黒と茶色の斑模様の“子家猫”をもらって橋の下まで帰ってきた。
 試しにじいさんに教わった通りに、マタタビを口にかざすと口が開いた。鍵の代わりになってるみたいだ。
 そして、勇気を振り絞り「ただいま」と言いながら“家猫”の中へ飛び込んでみた。

  …ん?どうなったんだ?本当に猫の体内に入ったのか?いや、そんなことがあるわけない…。

 うずくまっていた私は、恐る恐る目を開けると、そこには、うねうねと動くピンク色の世界があった。
 そして、ものすごくヌメヌメしていて立ち上がれない。…ひょっとして、ここは猫の食道か?

 四つん這いで進んでいくのがやっとで、ベトベトになりながら前進していくと、少し広いところへ出た。胃袋だろうか?

 じいさんは家具やなんやがあると言っていたが、何もなかった、ただただヌメヌメのピンク色の世界が広がっているだけだ。

 とにかく、入ってしまったからには、もう一度出ないとダメだ。
 本当に出られるのか不安だったが、何も失うものはない。入るときよりも、さらに勇気を出して、来た道の反対方向の細くなっているところを四つん這いで進んで行った。臭いがして来そうな感じがしたので、呼吸を止めながら、急いだ。
 すると、僅かに外からの光が射し込んできてるのが確認できた。
 
「あそこだ!よし、いけー!」

…むにゅーーーん。

 転がりながら、吐き出された私は無事に外の世界へ戻って来られたみたいだ。そこにはさっきまでいた草と粗大ゴミの同居した橋の下があった。

「なるほど、そういうことか。これが“家猫”」

 それから私は、じいさんから“家猫”について色々聞いてみた。
 まだ赤ちゃんだから、家具がないけど、大きくなるにつれて家具が生えてくること。
 これは、どうやら人間が産まれたときは歯が生えてないが徐々に生えてくるのと同じ原理だとか。
 だから家具は基本的に全て、骨が変形して出来るものだと。
 私はまだ半信半疑だったが、それから二週間ほどしたら、なんと、本当に小さなちゃぶ台のようなモノが生えてきたのだ。私は感動を覚えた。

 そこから、日に日に、我が家に家具が増えていった。大きめのダイニングテーブルやタンス、さらには便器なども生えてきた。
  ついに、胃袋の天井から蛍光灯が生えてきたかと思うと、なんと、パッと電気がついたのである。

 さすがに驚いて、じいさんに報告しにいったら、これに関しては、デンキウナギが体内に電気を持ってるいたり、蛍のお尻が光るとの同じ原理だと教えてくれた。
 さらに、猫の種類によっては、もっと大きな“団地猫”や“タワマン猫”などもいて、自分の猫が何猫かは育ててみないとわからないと、じいさんは言っていた。
 本当かどうかはわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。とにかく私は、毎日をわくわくしてすごした。

「こいつはどんな“家猫”になっていくのだろうか…?」

  他にも、週に一回くらいのペースで毛玉を吐き出すので掃除の手間がかからなかったり…。
 肉球があるお陰で地震が来ても、肉球のクッションでぷるぷるっと耐震になるとか。
 魅力が沢山ある。何と言っても、一番は見た目がかわいい。
 家も家族も、全てを失った私の心を癒してくれた。
 でも、絶対に注意しないといけないことがある。
 それは、家の中で過ごしてる間に“家猫”がフラフラとどこか知らない土地へいってしまってることがあるので、少しかわいそうだけど、しっかりと首輪をしておかないといけないということ…。
 そんなことくらいは、心得てたはずなのに、私としたことが…。

 私は、大変な失態を犯してしまった。 
 あろうことか、例によって空き缶を拾いにいっていたほんの少しの間に“家猫”を逃がしてしまったのだ。気の緩みからか、首輪を繋いでいなかった私のミスだ。

 ホームレスになって以来、荒んでいた私の心を癒してくれた“家猫”。
 やっと見つけられたマイホームであり、パートナー…。
 来る日も来る日も、懸命に家猫を探して、街を歩き回った。電信柱や、地域の掲示板に貼り紙もして、とにかく探し回った。
  あの、じいさんにも協力してもらって一緒に探し回った。
「あいつは、“相当大きな家猫”やったから、こうしてる間にも“すくすくと成長していってる”やろうし、恐らく心配せんでもええで」

 そんな言葉をかけてくれたが、私の頭の中は、この数ヶ月間、“家猫”と過ごした日々が蘇ってきた。
 そして思い出すたびに、早く見つけ出して会いたくて仕方なかった。

─それから一年ほどが経った、ある日。もうダメかもしれないと、半ば諦めの気持ちも芽生えながら、寝食も忘れ、精根尽きはてて、街中を亡霊のように彷徨い歩いていた。
 朦朧とするいしきの中、私は、足を滑らせ仰向けに転んだ─。

 その滑らせたときの感触が、何故か懐かしかった。あのときのヌメヌメした感触だった。
“家猫”の胃袋の中の、あの感触だった。

 仰向けに倒れた私は、静かに目を開けると、その視線の先には、確かに“家猫”の蛍光灯が光っていたのだ。
「どういうことだ?ここは外だろ?なんで?地面はヌメヌメで、上空には蛍光灯があるんだ?私は幻覚を見ているのか…?」

 しばらく考えて私は、遠のく意識の中で悟った。「あっ、そういうことだったのか」
 いつの間にか、もう、あいつを見つけていたのだ。そして、私は、ずっとあいつの中で暮らしていたんだ。
 いつまでも、子どものままの小さな“家猫”だと思っていたあいつは、私が知らない間に、すくすく…すくすく…。すくすく…すくすく…と成長していた。
 そして、“私たち”のことを包んでくれていたんだ。とっても大きな、“地域猫”となって……。

       
                ~Fin~

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