月パイン

北米在住の、デジタルノマドになりたい、今のところは旅する医療従事者です。 「こんな日常…

月パイン

北米在住の、デジタルノマドになりたい、今のところは旅する医療従事者です。 「こんな日常」という雑記ブログを書いています。http://nichijyo251.com/

最近の記事

満員電車とスピリチュアル①

不登校の原因の一つとして、満員電車に乗れなかったからだ、とこちらの記事に書いたが、 30年前の、とある不登校児の一日① 30年前の、とある不登校児の一日② 不登校は大学に進学してからは解消されたが、相変わらず満員電車には乗れなかった。 ただ、大学は実家から近く、最初の就職先はラッシュと逆方向の勤務地だった…といった具合に、うまいこと満員電車からは逃れることができていた。 いよいよ再び、満員電車に向き合わなければいけなくなったのは、新卒で就職した会社をすぐに辞めて、しばら

    • カリフォルニア・セントラルコースト

      看護師としてずっと働きたかったカリフォルニアで、初めて働くことができた場所は、セントラルコーストにある小さな町だった。 ずっとアメリカに住んでいても、セントラルコーストという地域を表す名称をきいたことはなかったけれど、 サンフランシスコとロサンゼルスの中間、有名な町で言うとサンタバーバラなどがあると聞いて、納得した。 ロサンゼルス、サンフランシスコも住むには楽しそうだったけれど、家賃が高いだろうし、自分の車を持ち込むには、渋滞や駐車事情が大変だろうな、と思ったので、落ちつい

      • アメリカの田舎で受けたカルチャーショック②

        アメリカの田舎で受けたカルチャーショック①からの続き… 3,独特なローカルニュース アメリカに来てからずっとTVのない生活をしていたけれど、 モンタナで借りたアパートでは、家賃にケーブルテレビの代金が込みだったので、せっかくだし、地元を知るのにいいだろう、ということで久々にTVを買って、ローカルニュースをよくみていた。 治安も悪くなく、凶悪事件もほとんどなかったから、ローカルニュースはとても、のどかな感じだった 「どこどこの道路で、大きな穴があったと視聴者さんから連絡が

        • アメリカの田舎で受けたカルチャーショック①

          人生初めて田舎に住んで、適応障害になってしまったのは、こちらの記事に書かせてもらった。 グアム その後、仕事でモンタナへ引っ越すことになり、 モンタナ アメリカ本土の田舎に住むことになったのだが、この時は希望していた仕事につくこともでき、自ら望んで行ったわけなので、適応障害にはならなかった。 だが、いろいろ驚いたことがあったので、いくつか紹介させていただきたい。 1,銃がスーパー、ホームセンターに売っている これまで住んでいた州(ハワイ、カリフォルニア、NY,

        満員電車とスピリチュアル①

          30年前の、とある不登校児の一日②

          30年前の、とある不登校児の一日① からの続き… この日は、電車に乗っている途中で、今日は行けないな、という気になり、 一日、登校せずに時間をつぶすことを決めた。 まずは京浜東北線で、山手線に乗り換えできる駅へとすすむ。 山手線をぐるぐる回って、まずは車窓を楽しみ、 飽きてきたら、読書をする。 本も読み終わってしまうと、途中下車できる定期の範囲内の駅へと戻る。 途中下車して、お昼を食べたり、 駅前のデパートをウィンドンショッピングしたりする。 といっても、昔から洋服等に興

          30年前の、とある不登校児の一日②

          30年前の、とある不登校児の一日①

          今日の投稿の主人公は、 30年余り前の、平成の高校生。 高くもなければ、低くもない偏差値の、 神奈川県にある私立高校に通っている。 まだ発達障害とか、ADHDの認識が普及してない時代だったが、 もし診断されたなら、間違いなく該当していた不適応児だった。 週5日ほとんど、1時間目から登校できず、 3時間目ぐらいからの、お大名登校。 もしくは、家は出たけれど、学校にはいかないで一日を過ごし、 下校時に帰宅する、という日もあった。 今回は、そんな日をどう過ごしていたかを、思い出し

          30年前の、とある不登校児の一日①

          下戸が浴びるように呑んでいた7年間②

          ほどなくして、念願だった病院での正規採用の仕事で採用されて、モンタナへ引っ越すことになった。 私のストレスの原因は、就職がうまくいかない、ということが主だったので、これで酒量は減るのかと思った。 だが田舎で、どこへ行くにも車の移動だったし、友達付き合いもなかったので、やることと言ったら、家で呑むぐらいしかなかったから、相変わらずだった。 さらに、ニューオーリンズに引っ越してからは、仕事も希望通りの部署で働けることになり、一緒に出かけられる友達もできた。 だが、ニューオーリン

          下戸が浴びるように呑んでいた7年間②

          下戸が浴びるように吞んでいた7年間①

          長らく自分は酒に弱いと思っていた。 実際、ビールをちょっと飲んだだけで顔がかっと赤くなるし、 飲み会でチューハイを2,3杯飲めば、酔って気分がよくなる前に、 気持ち悪くなっていた。 アルハラ、といった言葉も概念もまだなかった時代に学生だったので、 春先になると、新歓コンパ(これも死語なのかも)で、一気飲みを強要された結果の死亡事故といったニュースを、幾度と耳にしていたと思う。 私本人も、安居酒屋で、体調の悪い時に激安チューハイを飲んで、意識が遠のいたことがあり、軽く(?)

          下戸が浴びるように吞んでいた7年間①

          ニューオーリンズ

          3年間はモンタナにいるはずだったが、私が勤めていた部署(リハビリ部)が、老人ホームチェーンを経営する他の会社に買収されてしまったため、 その時点で職を失うことになってしまった。 正確に言うと、買収先の会社で働くように頼まれたけれど、 病院で働くためにわざわざNYから引っ越してきたというのに、 何が悲しくてモンタナの老人ホームで働かなければならないのか… ということで、お断りして、次の職を探すことにした。 計2か月間の転職活動、そのうち1か月の失業期間を経て、 奇跡的にも、別

          ニューオーリンズ

          モンタナ

          トランプが大統領に選ばれて間もなく、感謝祭の日に、8年間住んだNYを離れた。 向かった先は、モンタナ州。 モンタナの病院に、正規雇用で採用されたからだった。 看護学校を卒業し、看護免許を取得して以来ずっと、 病院で正規雇用で働きたかった。 しかし、当時は病院勤務の経験がなければ、NY周辺では決して採用されなかった。 なので、過疎地の病院なら新卒でも雇ってもらえると聞いたので、 州外の人口の少ない地域にある病院の求人に、無数に(手あたり次第)応募していた。 しかし、「梨の礫」

          モンタナ

          日本、アメリカ、非正規雇用それぞれ

          就職氷河期で、新卒で入った会社を3か月辞めて以来、 非正規雇用でほぼ働いてきた。 いや、正規採用で働いていた期間もそれなりにあった。 ただ、薄給のブラック企業だったので、 非正規雇用で働いていた時よりも、暮らし向きは悪かったので、 あえて含めないでおく。 そんな生活を数年しつつ、カナダを経てアメリカで暮らし始めたわけだが、 ニューヨークで暮らした8年間、やはりずっと非正規雇用であった。 前述したように、日本で非正規雇用で働いていた時は、 さほどデメリットは感じなかった。

          日本、アメリカ、非正規雇用それぞれ

          ニューヨークでの住まい、あれこれ

          数えてみたら、ニューヨークに住んでいる8年の間に、実に12回も引っ越していた。 スタッテン島、ブロンクスには住まなかったけれど、 マンハッタン、ブルックリン、クイーンズのNYCの3つの区に住み、ニュージャージーにも何回か住んでいた。 今から20年弱前でも、NYの家賃はバカ高くて、 学生はもちろんのこと、薄給の社会人にとっても、一人暮らしなど夢のまた夢であった。 なので、ルームシェアをするのだが、3人のルームメートでトイレ・バス一つをシェアしたとしても、月々800ドル以上の

          ニューヨークでの住まい、あれこれ

          ニューヨークでのリーマンショック

          このタイトルで、当時の金融事情とかウォール街での出来事についての記事なのか、と思わせてしまったら申し訳ない。 内容は、当時アラサーの負け組が、どうリーマンショックに影響されたかについてとなる。 リーマンショックが起こったのは、NYに来る直前だった。 ローン会社や、自分が口座を持っていた銀行も次々と倒産して、 求職中の身としては、大いに先行きに不安をおぼえて、 NYの派遣会社に「求人への影響はどうでしょうか?」と、きいてみた。 すると、「今のところは特に出ていません」との回答

          ニューヨークでのリーマンショック

          上京物語、としてのニューヨーク

          離婚後、南カリフォルニアの日系企業に就職できたものの、 当時のガソリン価格の暴騰などのせいで、生活が立ち行かなくなり、 引っ越した先はNYであった。 車がなくても暮らしていける町は、アメリカではごく少数になってしまうが、一番の候補に挙がるのは、NYであろう。 しかし当時の私はNY、シカゴ、シアトルの3つの間で、どこへ引っ越そうかと散々悩んでいた。 何故NYにすぐ行こうと決められなかったというと、生活コストの高さ、住宅事情の悪さ、町の汚さのために、気が進まなかったのだ。

          上京物語、としてのニューヨーク

          南カリフォルニア

          グアムで離婚し、向かったのはロサンゼルスの郊外の町へだった。 大手の日系旅行代理店のアウトバウンドの仕事に採用されたからだ。 グアムでの旅行代理店の仕事がとても楽しく快適だったし、 ロス近郊という都会にも住めるので、新しい生活に期待も希望もいっぱいだった。 しかし、私のこれまでの人生が一筋縄では行かなかったように、 今回も蓋をあければ、「こんなはずじゃなかった」ということのオンパレードだった。 まずは、就職したのは日本人なら誰でも知っている大手の旅行代理店だった。 よ

          南カリフォルニア

          グアム

          結婚してハワイに移り住み半年ほどたった後、 旦那の転勤で、今度はグアムに引っ越すことになった。 新婚であるにもかかわらず、ハワイにいた時点で夫婦仲はひどい状態になっていた。 場所を変えて心機一転したら、万が一にも状況は好転するかもしれない、とみる向きもあったが、見事に反して、さらに悪化していったのだった。 私自身のセラピーを受け、マリッジカウンセリングを2人で受けたり、 一応は努力はしたが、カウンセラー、本人たちともに、 この時点で口には出さないものの、修復不可能なんじゃ