記事一覧
満員電車とスピリチュアル②
満員電車とスピリチュアル① からの続き…
新たな展開が来たのは、アメリカで看護学校に通っていた時だった。
実習で、いろいろな病院の様々な部署を訪れていたが、
とある病院の精神病棟で、日本の満員電車に乗った時と全く同じ感覚に襲われたのだ。
最初は、単に貧血の発作が起きたのか、と思ったけれど、
その実習先には週1回、1か月、合計4回行ったのだが、毎回同じように血の気が引いて、ふらふらしてしまったの
カリフォルニア・セントラルコースト
看護師としてずっと働きたかったカリフォルニアで、初めて働くことができた場所は、セントラルコーストにある小さな町だった。
ずっとアメリカに住んでいても、セントラルコーストという地域を表す名称をきいたことはなかったけれど、
サンフランシスコとロサンゼルスの中間、有名な町で言うとサンタバーバラなどがあると聞いて、納得した。
ロサンゼルス、サンフランシスコも住むには楽しそうだったけれど、家賃が高いだろう
アメリカの田舎で受けたカルチャーショック②
アメリカの田舎で受けたカルチャーショック①からの続き…
3,独特なローカルニュース
アメリカに来てからずっとTVのない生活をしていたけれど、
モンタナで借りたアパートでは、家賃にケーブルテレビの代金が込みだったので、せっかくだし、地元を知るのにいいだろう、ということで久々にTVを買って、ローカルニュースをよくみていた。
治安も悪くなく、凶悪事件もほとんどなかったから、ローカルニュースはとても
アメリカの田舎で受けたカルチャーショック①
人生初めて田舎に住んで、適応障害になってしまったのは、こちらの記事に書かせてもらった。
グアム
その後、仕事でモンタナへ引っ越すことになり、
モンタナ
アメリカ本土の田舎に住むことになったのだが、この時は希望していた仕事につくこともでき、自ら望んで行ったわけなので、適応障害にはならなかった。
だが、いろいろ驚いたことがあったので、いくつか紹介させていただきたい。
1,銃がスーパー、ホー
30年前の、とある不登校児の一日②
30年前の、とある不登校児の一日①
からの続き…
この日は、電車に乗っている途中で、今日は行けないな、という気になり、
一日、登校せずに時間をつぶすことを決めた。
まずは京浜東北線で、山手線に乗り換えできる駅へとすすむ。
山手線をぐるぐる回って、まずは車窓を楽しみ、
飽きてきたら、読書をする。
本も読み終わってしまうと、途中下車できる定期の範囲内の駅へと戻る。
途中下車して、お昼を食べたり、
ニューヨークでの住まい、あれこれ
数えてみたら、ニューヨークに住んでいる8年の間に、実に12回も引っ越していた。
スタッテン島、ブロンクスには住まなかったけれど、
マンハッタン、ブルックリン、クイーンズのNYCの3つの区に住み、ニュージャージーにも何回か住んでいた。
今から20年弱前でも、NYの家賃はバカ高くて、
学生はもちろんのこと、薄給の社会人にとっても、一人暮らしなど夢のまた夢であった。
なので、ルームシェアをするのだが
ニューヨークでのリーマンショック
このタイトルで、当時の金融事情とかウォール街での出来事についての記事なのか、と思わせてしまったら申し訳ない。
内容は、当時アラサーの負け組が、どうリーマンショックに影響されたかについてとなる。
リーマンショックが起こったのは、NYに来る直前だった。
ローン会社や、自分が口座を持っていた銀行も次々と倒産して、
求職中の身としては、大いに先行きに不安をおぼえて、
NYの派遣会社に「求人への影響はどう
上京物語、としてのニューヨーク
離婚後、南カリフォルニアの日系企業に就職できたものの、
当時のガソリン価格の暴騰などのせいで、生活が立ち行かなくなり、
引っ越した先はNYであった。
車がなくても暮らしていける町は、アメリカではごく少数になってしまうが、一番の候補に挙がるのは、NYであろう。
しかし当時の私はNY、シカゴ、シアトルの3つの間で、どこへ引っ越そうかと散々悩んでいた。
何故NYにすぐ行こうと決められなかったという