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街中で鳴く、うぐいす


朝、洗濯物を干していると、春らしい声がした。
ほぉー、ほけきょ。

次の日の朝も同じように、声がした。
ほぉー、ほけきょ。

その声を聞いただけで、心が弾んでくるから不思議。いつもの洗濯物干しなのに。パンパンとシワを伸ばす動作さえ、季節行事のように清々しく感じられる。

それにしても、上手いうぐいすだな。
毎朝、同じうぐいすなのかな。

子どもの練習中の鳴き声を聞くのも好きだけど、このうぐいすは完璧だ。
ほぉー、という入りの音の高さから、ほぉー、と、ほけきょ、の間の取り方、きょ、に残る余韻まで。非の打ちどころのない鳴き声だった。

手を止め顔を上げて、声の主を探すけれど見当たらない。

それもそうか。駅から徒歩2分。それなりに街中のこのベランダからは、森や林はおろか、大きな木一本も見つけられない。

うぐいすは、森の中や木々の生い茂ったところで鳴くものだと思い込んでいたから、こんな街中で綺麗な声が聞けるなんて思っていなかった。

立ち並ぶマンションが、まるでコンサートホールの反響板のようになって、美しい声をさらに美しく響かせてくれる。


***

田舎を出た時のことを、ふと思い出した。

高校を卒業し上京した頃の私は、なまっていた。
自分でも気がつかないくらいに自然に。
家族も高校までの友だちも皆同じ方言だったから、気づくタイミングがなかったのだ。

上京してすぐの頃、知り合った友人たちに「もう一度言って」と聞きかえされることが多かった。声が小さかったかなと思い、少し大きな声で言ってみるけど、やっぱりまた聞きかえされた。

ひとりの友人が、笑いながら言った。

「つきひちゃんって話すのがゆっくりすぎて、なに言っているのかわからない」

青天の霹靂とは、このこと。
私は彼女にそう言われるまで、微塵も気づいていなかった。私のアイデンティティ丸出しのコトバは、違う土地では伝わらないのだということに。

やさしい友人たちだったので、バカにしたり指摘したりしたわけではなくて、本当に言っていることがわからないのだと教えてくれただけだった。

それにしても、早すぎて(早口すぎて)わからないことはあるだろうけど、遅すぎてわからないって、なんなんだ! と、なんだか自分で笑ってしまったのを覚えている。


それから私は、方言と距離を置いた。
早口になった(本人比)。

家族と話す時などは方言に戻るけど、それ以外は標準語もどきのイントネーションに変えた。関西弁の人と話す時は、関西弁っぽくなった。

それでもやっぱり下手くそで、標準語のひとには標準語ではないと言われ、関西弁のひとには関西弁ではないと言われ、地元の方言もあやふやになり、私はいったい何語を話しているのだろうと、よく思った。

そんな時、大学の友人に「つきひちゃんは『つきひ語』やね」と言われた。私の匙加減で、ごちゃ混ぜにされたコトバ。


私のなかで、コトバと人格はよく関係していて、標準語だとちょっと余所行きのことを言ってしまう気がするし、怒りが込み上げるとなぜか関西弁になるし、方言だとどこか子どもに戻ったような気持ちになる。

単語ひとつでも、イメージが変わる。
方言だとイントネーションが後ろにあるから、例えば、おぎり、と、おにぎ(太字で上げる)とでは、私の中でのイメージが違う。

ぎりは、コンビニやスーパーで買ったスマートなもので、おにぎは、自分たちで収穫したお米を炊いて、塩を付けた手のひらで握った素朴なもの、それに近いもの。

おそろしく勝手なイメージ、ではある。

イントネーションで迷うたび、そうしたひとつひとつの単語のイメージが頭に浮かんで、またつまずく。自分でおかしさを感じたり、すかしたような気持ちになったり、本心じゃないような気がしたり。

そうして何も話せなくなり、口をつぐむことも、若い頃は多かったような気がする。


***

今年、地元で暮らした年数を、地元を離れた年数が追い越した。

方言は恥ずかしい。
若い頃、方言を隠そうとしていたこの意識の輪郭が、ぼんやりと薄れてきたのを感じる。今もやっぱり、標準語もどきや、似非関西弁や、方言が、ぐちゃぐちゃ混ざって、ぐらぐらに揺れながらコトバを放っているけれど、この一貫性のないコトバがどうやら自分のコトバなのだろうと、諦めにも開き直りにも似た思いが、胸にすとんと落ちている。


どこで鳴いたっていいよなあ、と思う。


朝のうぐいすのように、綺麗な声を響かせることはできないけれど、どんな場所でも自分の声で、自分のコトバで生きていけたら、それはそれでいいのかなあと思えるようになってきた。たまには口を閉ざしても、ブツブツとつぶやきながらででも、まあいいか。

姿の見えないうぐいすの声に勝手に励まされながら、青く晴れ渡った空を見上げた、最近の朝のことでした。












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