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写真日記

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スナップと日記です。
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#この街がすき

無二

無二

何時、何処で、何をするのかは事前に決めないほうが楽しい。そう思えるのは時にも場所にも左右されない道具を所持しているからだ。確かに以前よりは行動の自由度が高くなったが、ものに頼っていることは否めない。完全に身ひとつで済ますことは不可能だろうが、より自由で無二な存在になるためには今しがみついているものを手放さなければならない。

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東京

東京

触れたいものがすぐ側にあり、簡単に見聞きすることができる環境に不満なんてあるはずがなかった。地方から上京したばかりの時、溢れんばかりの人と物の動きの中で目を回していたが、今やその速度に慣れ、東京の景色に浸るようになっている。そんな街並みや生活の目新しさや煌びやかさを創出していたのが都会人ではなく、都会人になりたがる者だったのだと分かったのはつい最近の話だ。競争社会では自己生産能力の有無が問われるの

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冬

酒を飲んだ冬の帰り道は肩を窄めて一人で歩く。火照った頬に刺さる空気は湯上りの散歩のように心地良い。だんだんと寒さが勝り、コートの襟に顔を埋めると、服に染み付いた煙草、燻煙や鼻腔に残るアルコールに束の間の宴を想起させられる。だから匂いが薄れて自然に消えるまで決して手を加えることはしない。

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歓楽街

歓楽街

欲を一括りにして、ある人は赴くままに過ごし、ある人は野蛮だと侮蔑している。実際に歓楽街を歩くとギラギラした看板の光が人々の目玉を輝かせる様子が見てとれる。この街並みを心底嫌い、アーケードを潜ることを強く拒む人間も少なくない。両者の主張は容易に理解できるが、夜の本当の暗さを体感したことがある人間はほぼいないだろう。孤独な暗闇では一本の蝋燭に慰められることさえあるのだ。救いを求めている人、それを虐げよ

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垣根

垣根

どうせ見るなら美しい方がいいというのは誰しもが望むところだろう。ただし想像を超えていなければ心の底から美しいと思うことはできない。だから都合の良い巡り合わせは滅多にないはずだが、人間はそんな光景を作り出し、任意に欲求を満たすことができる。提示された美しさをただ眺めるために長蛇の列を成す人々とは垣根を隔て、漏れ出した光に目を細める。造られたものを見ていることには変わりないが、自分なりの見方を肯定する

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老若男女

老若男女

誰に対しても分け隔てなく接することは分かりやすい美徳とされている。裏表のない素直さには何処か安堵感があり、いつのまにか魅了されてしまう。一方で、そこに善悪の思想が混じると途端に胡散臭さが増してしまう。老若男女問わず、誰もが見返りのない調和を求める社会は間違いなく不幸の只中に位置する。

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光

今まではただ眺めるだけだった光へ近づき、手で触れるところにまで差し迫っている。選択があるだけでも恵まれているが、実際に掴んで運用しなければ何の価値も示すことができない。素手で触れたら身が焼け爛れるであろう崇高な領域で生き抜くためには幾らかの保護具を纏わなくてはならない。

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保険

保険

責任の大きさはリスクの大きさと捉えることができる。時代とともに一個人が要するエネルギーが増え、比較的消費が落ち着いた先進国でさえ一世紀前の水準に抑えるのは困難を極める。完全な循環を実現できない消費社会は責任を未来に蓄積し続け、リスクを被ることを恐れる人々はありとあらゆる保険にあやかっている。その保険の数が責任の大きさと見做されるようになる時こそが人生の価値を見失う瞬間だろう。

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眼

たとえ同じ時と場所を共有していても、景色の見方は人それぞれで異なる。街を象徴するランドマークを眺めたり、コンクリートに埋もれた季節感や前時代の名残を探したり、夕陽が生む美しいグラデーションを見上げたり、鮮やかなネオンが灯るのを待ったり、景色に潜むパターンを発見したり、角度を計算して陰影を捉えたりと、行動だけでも多岐にわたる。個人の感受性の違いが眼に写る影像の多様性を育むのだろう。

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感情

感情

日本人は他国と比較して感情表現が苦手と言われるが、それはあくまで日本人が構築する外的要因によるものであって、表現の素養がないはずがない。我ら日本人の間には極めてアナログな監視社会が根付いており、例え相手が親兄弟でも疑心暗鬼になることがあり、日々それを恐れている。だから大多数は他人の様子を見てから一挙手一投足を示すのだ。そんな環境だからこそ些細な感情表現で十分な効果が得られるのではないだろうか。思っ

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自由

自由

他人の自由が見えた途端に羨んだり妬んだりする人間が一定数存在する。自分を卑下することで他人を尊敬することは良好な人間関係を築く上で妥当性があると思うが、いちいちそんな反応をしていると逆に哀れな人間に見られてしまう。自由は責任と引き換えに手に入るものだからだ。責任を観測できない人間と連んで滅びるのは我が身だ。そこに係る選択もまた自由だと言える。

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1/30s

欺瞞

欺瞞

抽象化された比喩表現は言い表し難いことを伝達する場合に重宝する。その一方で回りくどすぎて理解を得られず、違う意味で受け止められてしまうことも多い。「一人の生命は、全地球よりも重い」という一節は昨今でも教育の場で用いられている。生命の尊さを語りたいがために持ち出すのだろうが、冷静に考えて全生命の源である地球の尊さが一個人の尊さに劣るはずがない。わざわざ質量としての地球の重さと比較しているのは、命を蔑

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恐怖

恐怖

身近な恐怖の正体を探ってみると、そのほとんどは己の知識不足や、予測不能な事象といった未知が原因だという論理に帰結する。つまり、恐怖から解放されるには全知全能になる必要がある。そうなることが不可能だという事実に限っては誰しもが理解するところだ。そう考えるといちいち向き合うことが酷く馬鹿馬鹿しい行為に思えてくる。何処にでもあり、いつも身体に取り込んでいる空気程度に瑣末なものとでも認識していようか。

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情

人に対する評価基準は今と昔では大きく異なるのではないかと感じている。昔は人柄さえ良く見せれば他人を騙すことが容易だったのか、情に基づく付き合いを多様な場面に持ち出すことが散見されたようだ。現在は人が創り上げた役割に組み込むことで人をものとして扱うことができ、居場所を得るために物事の処理能力で優劣を競っている。ものとしての扱われ方には優劣がないのだが。

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