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BRICS時代の選択: 26歳での人生最大の決断

こんにちは。@tsukasahiranoです。

今回は新卒で就職した会社での4年間の社会人生活の中で、ブラジル行きを決めるに至るまでの心境の変化について記してみます。


会社勤めで悶々とする日々

大学の卒業旅行で、幼少期の頃以来久しぶりにブラジルを訪れた私は、内定を得ていた会社に入社します。

配属された部署は、東京の本社にある、日本の官公庁を顧客とするシステムの営業部門でした。会社側の配慮があったのか、この部署は大学の卒論で研究した分野(交通経済学)とも近く、モチベーション高く望めたのはラッキーでした。

会社生活にも慣れていきます。官公庁に出入りし、社内の他部署との調整に奔走します。その間は、海外とは全く接点がありませんでした。

時には徹夜をしたり、休日出勤をしたり、深夜までシステム障害に関する顧客への報告に追われたり、上司との飲み会で午前様になったり、入札に参加したり、大型商談で営業部門の賞を受賞したりと、色んな経験を積めました。中には合わない人や、徹底的に反抗することにした上司なんかもいましたが、総じて周囲の人たちにも恵まれたと思います。

その一方で、この職場にずっと居続ける自分が想像できないというか、どこかで一歩引いて見ているような、自分に対する冷めた見方が心のどこかにあることも感じていました。

新人の私は、事務所のデスクの島の右端に座っていました。そこから左に席が移るほど、入社年次が上がっていきます。すぐ左隣の先輩が年次で10年上、その次が13年上、その次に主任がいて、その先に課長、部長がいます。単純に考えれば、今の席から隣の席に移るだけで10年の月日を要するのですから、気の遠くなるものを感じました。

とはいえ、周りに流されながら就職活動をし、その中で内定を得て働き始めた会社でしたから、自分にもまだ経験が少ないこともあり、いずれそこで働く意義というか、自分が納得できる理由もきっと見えてくるのかもしれない。自分にそう言い聞かせて、「3年間はここで働く。その時点で何を考えているかで次の手を打とう」と考えました。

しかしその3年が経って考えていたことは、ここは自分が自分が採った行動は「会社を辞めてブラジルでのインターンシップに臨む」というものでした。

会社を辞めるのは「もったいない」ことなのか

転職という行為が、また一般的なものとして捉えられていなかった2000年代前半でのこの決断は、周りからすると、驚きや眉をひそめさせるものであったことと思います。

勤め先が大手企業であったために、職場の同僚からは「もったいない」とも言われました。その時は、その言葉を発する人が何を大切にしているのかがこの反応に如実に表れるものだな、と考えたものでした。この時、自分にとってもったいないのは「時間」でした。

同じことは親からも言われました。せっかく大企業に入ったのに、なぜそこを辞めるのかと。この時期は、超就職氷河期でもありました。

また、ブラジルに行くために応募したとあるプログラム(後述)の面談でも、面接官だった大学教授にわざわざ会社を辞めていくのは理解しがたいと言われました。それには「失礼ながら、あなたはその会社を中から見たことがあるのですか?」と返しました。

事務所のデスクを、1つ横移動するのに何年もかかる会社は、確かに大きくて立派かもしれないが、長くいる場所ではないという明確な答えが自分の中にできていました。

ならば、その居場所とはどこなのか?恐らくここではないか、というのが、ブラジルでした。

会社を辞めてブラジルに行くのは、端から見れば私が一大決心をしたように見えていたかもしれません。

しかし、私にとってはごく自然に導かれた選択で、自己陶酔に浸って浮つくこともなく、落ち着いて決めたものでした。

決められたレールを行くか行かないか

当時は26歳。会社を辞めて、ブラジルに行くとして、その後のことは何も考えていませんでした。

まだ第2新卒という言葉もあまり一般的ではない時代でした。

それでも、恐らく何とかなるだろうという妙な自信がありました。他の人が全く想像もできないブラジルという世界について、すでに少しでも知っていることが自信に繋がっていたと思います。とはいえ、当時は言語化説明できたわけではありませんでした。

周りからは勇気のある決断であるように見えたと思いますが、いざ決断した時には、実際のところ勇気がそこまで必要だったわけではなく、むしろ自分にとって納得のいく決断を下したのが、端からはそう見えたのだと思います。

ブラジルに行くための手段として選んだのは、日本の若者にブラジルの企業や団体での1年間の研修、つまりインターンシップの機会を提供する団体のプログラムでした(現在のブラジル日本交流協会)。

私はそのプログラムに応募するだけしてしておいて、その団体がどのようなインターン先を紹介してくれるのかを待っていました。

年度末の2月中旬、団体から通知された派遣先は、ブラジルの首都ブラジリアにあるコンサルティング会社だというものでした。業務内容を聞くと、日本とブラジルをつなぐビジネスを担い、CO2の排出権取引に関係するプロジェクトもあるなど。

何よりブラジリアと言えば、ブラジルの政治の中枢であり、日本で言うならば霞ヶ関です。そこに官庁営業をしていたため、不思議な縁を感じました。

団体からは、派遣先は必ずしも希望通りとはならないと聞いていたものの、そのマッチングは申し分のないものでした。その連絡を受けた翌日、3月末で辞職するための辞表を会社に提出しました。直後の4月からはブラジルです。

ブラジルでのこの1年間がどのようなものになるか分からないし、インターン後に日本に戻ってきたときにどんな道を進むかも分からない。

でも、ブラジルで働いてみたいと動いてみただけで、大きなチャンスが転がり込んできた気がしました。

この決断は、自分が「決められたレール」に従うのか、自らの意思で新たな道を切り拓くのかの選択を、自分の人生で初めて行なった瞬間でもありました。

この時、ブラジルでの経験を通じて、何らかの分野でブラジルの専門家になりたいと考えました。

人生において決断する時、周りの意見や流れに流されることがよくありますが、やはり自分の心の声に耳を傾け、自分が納得できる道を選ぶことが大切です。私は恥ずかしながら26歳にして初めて、そのように言える決断を下せたのでした。


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