見出し画像

BRICS時代の選択: 会社を辞めて途上国に渡る判断で重視したこと

こんにちは。@tsukasahiranoです。

勤めていた会社を辞めてブラジルに行こう ── そのように決めること自体はすんなりできたものの、果たしてその選択が望ましいものなのか、いくつかの点でやはり考えました。

今回は渡航の決断の前に、一体どういう点について何を考えたのかを記してみます。


先進国?不安定な発展途上国?

2004年当時、ブラジルは世界から注目され始めていました。

BRICsという、これから発展の期待される4ヶ国(ブラジル、ロシア、インド、中国。後に南アフリカも加わる)の1つに、ブラジルが挙がっていたためでした。

日系企業もブラジルに目を向け始めていました。それはブラジル単独で注目を集めたというわけでもなく、中国で高まる反日感情や2008年の北京オリンピック後の同国の経済の先行きが不透明だったため、企業が進出すべき他の国としての「中国プラスワン」をどこにするかという議論の中ででした。

自分はこれからブラジルで働こうというのですから、当然、そうした情報にはアンテナが向いていました。そして、そのような見方がブラジルにあるというのは、自分の背中を押しました。

渡航先として先進国は考えなかったのかと言えば、まず海外に目を向けるきっかけを与えてくれたのがブラジルという国にあったこと。また、アメリカやヨーロッパに行ったところで日本人はすでに山ほどいるし、そこで特別な何かの能力を自分が発揮できるとも思えませんでした。

また、他のBRICs諸国として挙げられるロシア、インド、中国はどうかと言えば、それまでほとんど自分に縁がありませんでした。

ブラジルは発展途上国であり、先進国よりも不安定な社会でしょう。いざ仕事にありつけても、その雇用が不安定なものであるかもしれません。

しかし当時の自分には、それを上回る1つの懸念がありました。

それは勤め先の会社にあった年功序列制度しかり、日本の雇用を含めた社会システムが、これからもそのままの姿形であり続けるとは、とても考えられなかったことです。

これは日本の大企業で働いて、中の状況を見ることができたからこそ得られた視点でした。

周りが始めたから自分も就職活動を始めたというような、生ぬるい人間の私が、発展途上国に行っていきなり定職に就けたり、そこで何かの仕事が務まるとも思えません。

しかし、日本での就職活動がたまたま上手くいき、そこで乗っかることのできたレールに沿って走るうち、その地盤がどうも危ういことに気づき、そして一体どこでどう分岐するのか、全く先の見通せないレールに乗り続けることにこそ、一抹の不安を覚えていました。

当時自分は26歳。年齢的にもまだ何とかなるだろうという勢いが、その不安を克服するための手段を選ぶ、根拠のない自信となりました。

身につくのが英語ではないマイナーな外国語でもいいのか?

どちらかと言えば人並みの人生を過ごしてきて、就職活動も周りに流されてやっていた感の強かった私にとって、海外に出る、イコール、英語圏の国に行く、ということになっても不思議ではありませんでした。

英語を身につければ、会社を辞めても将来はなんとかなるのではないかと、打算的な考えをしていてもよさそうなものだからです。

行きたいと考えていたブラジルの公用語は、ポルトガル語です。

父のブラジル駐在に付いていった幼い頃に、子供なりに話していたとはいえ、社会人になった頃には全く話せない状態になっていました。ブラジルに渡航した後のことを考えると、不安は拭えませんでした。

しかし、ブラジルに行くと決めた以上、この言葉をマスターしなければならないと思いました。面白いことに、英語を勉強するモチベーションはなかったくせに、その覚悟はすんなりとできたのです。

社会人生活を3年重ねて、環境を変えてみたいという思いが強まっていたところ、その場所を選ぶとすればどこか?を考えると、自分にはブラジルしか思いつきませんでした。そこが決まれば、言語への不安は二の次、いずれは身に付くものだと考えたのです。

会社を辞めることを考えていたときには、ちょうどブラジルには2度目の駐在中の父がいました。

しかし言葉の習得を考えれば、日本語が通じる環境には身を置かない方がいいだろうと考えました。仕事も自分で見つけていきたいものです。

そのため、その父を頼って渡航するということは、最初から考えませんでした。加えて、ブラジルに渡航するのにぴったりな方法が見つかったからこそ、そのような決断が下せたというのもあります。

その国で、どういう身分で暮らすのか?

そこでブラジルへの渡航手段を探し出しているうちに、日本ブラジル交流協会(当時)の研修留学制度を見つけました。日本の若者を対象に、ブラジルの企業や団体での1年間のインターンシップの機会を与えるというものです。

ブラジル社会に身を置くという自分の考えが、果たして現実的なものなのかを見極めるためにも、1年間企業に身を置かせてもらえるインターンシップ制度は最適だと思いました。

それは、語学を学ぶための渡航ではなかったからです。自分がこれからブラジルという国に身を置くことを考えると、単なる語学留学では意味がないと考えていました。

インターンであれば、企業や団体の中の様子を見ることができ、それなりに言葉も磨くことができます。現実的な生活感覚の感じられる場所に身を置くことの大切さは、社会人生活を始めてみて、様々な疑問が湧く中で強く感じるようになっていました。

観光客や語学留学の身分で行くと、どうしてもお客さん扱いされてします。それは、現地にお金を落としに行っているのと同じだからです。そうではなく、会社や団体で同僚と机を並べて仕事を進めていく立場に身を置くことで、周りの人たちの価値観や慣習など、より生々しいものに触れられるのではないかと考えました。

ネット検索で見つけたこの制度に応募し、その選考に合格してからは、渡航前の研修を受けていました。

協会の担当者との面談の中では「頭を使う仕事がしたい」と伝えていました。その制度でブラジルに渡航する人は、年代的には20~30歳前後の人が多く、目的も様々。ポルトガル語の習得、ブラジル文化・サッカーなどスポーツを学ぶなど幅広いことが分かったため、インターン先に関する私の希望は明確にしておきました。

そして最終的に、ブラジルの首都・ブラジリアにあるコンサルティングファームでインターンシップに臨めることが決まりました。インターン先企業のプロフィールを聞かされた時、自分は何とツイているのかと思いました。

インターン先のあるブラジリアには、ブラジルの中央官庁があります。日本の会社で、まさに官公庁向けの営業をしていたところに思わぬ共通点が出てきました。事前に知らされていた研修内容も、まさにブラジル政府や進出している日本企業に関係する内容だとのこと。

それ以上の細かいことはよく分からないけれど、このチャンスは掴んだほうがいい!

そう考えて、会社にはその翌日に辞表を出し、2005年3月31日に退職しました。

そして、その1週間後には、ブラジルの土を踏んでいました。

ブラジルにやってきたのは、こんな流れからでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?