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「ストックがある」という安心感の裏

私は何か一つでも溜めておくというよりも、出たとこ勝負の方が向いているのかもしれない。


ここのところ、興が乗ってとあるテーマに沿っていくつか仕上げたものがある。
それらは今も、自分のPCに「下書き」として一つのクラウド上に格納されている。

その日に作成した「下書き」の数は、最低でも10個は出来上がっていたと思われる。

バッテリーが残り10%を下回ったPCを閉じて、充電するためのUSBケーブルを繋げると、私自身を取り囲む空間に妙な達成感が生まれた。

同時に、これでどんなことがあっても大丈夫だと安心感に浸っていた。
その安心感がもしかしたら、身の回りで起こったあらゆる物事を考えることに関して、一つの仇と化しているのかもしれない。


相変わらず、深夜0時を回ろうとしている寸前で投稿する日々が続いている。
しかもここのところは、1ページにまとめるためのテーマやその中を飾るための言葉などが、思うように降りてこない事態に直面していた。

だがその裏では、これまで創作していくうえで時間に追われる「焦り」という情を感じていなかった。

日付が変わる直前まで考えて、それでも何も出なかったら溜まりに溜まった手札から一枚のカードを場に出すようにして、ストックを消費しておけばいい。

やがて枯渇状態に陥ったら、また山札なるものから一枚…また一枚と補充していけばいいと。

今になって振り返れば、それは逆転劇を起こすために忍ばせた一枚の切り札と呼ぶには相応しいものではなかった。

空白になってしまった間と間を繋ぎ止めるための…悪くいえば其の場凌ぎに用意された、いわば一種の薬みたいなものである。


そんな安易で浮かれた安心を無意識に感じていたからこそ、どうしても肝心なところで朧げに脳裏に描いていた一つの言葉すら、ボヤけるどころか何も思い浮かんでこなくなってしまうのだ。

数十分の短い間で仕上げるのは今の自分にとって至難の業であり、さらに読み手受け手の立場になって考えたら、なお難しくなるのは当然のことである。

今までもおよそ数十分で綴り上げた試しがなければ、早くても精々一時間が限界であった。

雑にまとめ上げようとすれば容易だが、それでは少なくとも第三者の目に行き届いたとき、スワイプあるいはマウス越しに脊髄を経由して拒絶反応を起こしかねない。


そうなってしまわないようにストックしておいたはずが、いつの間にか不安から逃れるようにして安心感に頼ってばかりいた。

これでは何のために用意しておいたものなのかわからなくなり、自身が創作する活動においては本末転倒でしかない。

そもそも此処noteでの活動について、第一に自分を楽しませているかと質問されたら「はい」と、すぐには返答がしづらい。

毎日何かしらの形で投稿する習慣が身について久しい中、ここしばらく違和感を覚えながらも足りていなかった原因は、とにかく継続することに対して一つの安心感に逃げることだったのかもしれない。


しかし、なにも責め立てることばかりではない。ストックを作って蓄えておくことに際して、長所と短所を見抜くことができただけでも大きな収穫ともいえるだろう。

それを念頭に置いて、またどこかで大きな壺にうっかりハマってしまったときに考えればいい。

これで間と間を繋ぎ止めるための一つの手段を改めて手に入れることができた。あとは引き続き限られた僅かな時間の中で、己自身と向き合いながら創作活動を楽しむだけだ。

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