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政治講座ⅴ1363「米中の半導体戦争の行方を占う」

米国と中国の半導体戦争は以前に見たような風景である。歴史は繰り返すというが、その風景と言うのが日米半導体戦争である。
考えてみると、いつも、米国の企業は競争力で海外勢に負けて、貿易関税などと脅してくるのである。
日本と米国は貿易摩擦を繰り返し、切磋琢磨してきたというと聞こえが良いが、米国人の悪い癖は相手を嘗め切って傲慢な態度で上から目線の態度に終始していることである。
米中の半導体戦争が必ず起きると思っていたが、案の定である。米国は日本に勝ったから中国にも勝てると思ったら、日本人と中国人とは本質的に違う。今始まったチキンゲームの勝敗はどちらになるかは分からない。中国が勝つかもしれない。それが、米国の衰退に繋がる予感を感じるのである。
今回は過去の歴史と報道記事を紹介する。

     皇紀2683年9月16日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

日米半導体協定の歴史を俯瞰する。

このようにして、日本の半導体は衰退した。
1981年、「64キロビットDRAM」のシェアでは、日本企業は合計70%を占め米国の30%を大きく上回った
この時、米国の雑誌には「不吉な日本の半導体勝利」と題した記事が出て、米国内で日本の経済力を恐れる人たちが増加、「日本脅威論」が広がっていった。

1983年日本製半導体が急速にシェアを拡大し、米国半導体メーカの間に危機感が増えていった。

1985年の半導体不況では、多くの米国メーカーが業績が悪くなり半導体事業から撤退していった。

1985年6月、米国半導体工業会(SIA)が、「日本の半導体メーカーが不当に半導体を廉価販売している」と主張して、日本製半導体をダンピング違反として米通商代表部(USTR)に提訴した。

1986年の半導体の売上ランキングにおいては、世界1位NEC2位が日立製作所3位が東芝4位がMotorola(モトローラ)5位がTI(テキサスインスツルメンツ)6位がPhilips7位が富士通8位が松下電器産業9位が三菱電機10位がIntel(インテル)となり、日本企業の多くの半導体が上位にランクインした。

米国は貿易赤字を抱える原因を「米国は競争力を持ちながら、日本市場の閉鎖性によって対日輸出が増加しない」ことが原因であると主張した。日本政府(当時は通商産業省)との交渉では、米国はスーパー301条の発動をなかば「脅し」として使うことによって、米国の半導体産業を守った。

なお、元々半導体を軍事の一つとして捉えていた米国は、自国の半導体産業の苦境を米国の防衛問題の一つとして認識し、これが米国の態度を硬化させる一因となった。
ミサイルなどの製造には半導体部品が必須であり、その半導体が全て日本製品となることは、アメリカにとって軍事上の脅威であった。

1986年、日米間で締結された「第一次半導体協定」の骨子は以下の2点である。

  1. 日本の半導体市場の海外メーカーへの解放

  2. 日本の半導体メーカーによるダンピングの防止

さらに、協定には盛り込まれなかったものの、外国製のシェアを5年以内に20%以上にすることを事実上約束したとも取れる秘密書簡(サイドレター)が交換されたが、存在は伏せられた。このサイドレターの20%という数値目標は後の第二次協定にかけての大きな火種となっていく(後述)。

ダンピング防止手段としては、米国政府が日本のメーカーごとに米国が独自に算出した公正市場価格(Fair Market Value:FMV)が新たに設定され、この価格以下で日本のメーカーが半導体を販売するとダンピングとして扱われた。

一方、日本市場での米国企業の半導体のシェアは伸び悩み、米国議会などでは、日本に対しさらに批判が高まった。その後、アメリカ政府は先の「サイドレター」を根拠に通商法301条による制裁を日本に予告した。日本はサイドレターは数値目標ではないと反論したものの、アメリカは日本の言うことを一切聞かず、日米間の交渉は決裂した。

翌1987年4月17日には、ダンピングが継続されていること、対日市場に対するアクセス性の未改善という点で協定が不履行であるとして、アメリカ政府は日本に対して制裁を行なった。その制裁の内容はパソコン、カラーテレビ、電子工具に対して100%の関税率を一方的に日本に課すものであり、アメリカは合計3億ドルの関税引き上げを行った。

この報復は「たすきがけ報復」と形容され、日本政府は関税及び貿易に関する一般協定に違反していると提訴を図ったが、この時、日米間には農産物の問題を抱えていたため、その提訴は回避された。

1988年には外国製半導体の採用を促進する機関として「半導体ユーザー協議会(UCOM)」が日本で設立された。

1989年には、日本の半導体の大手企業30社の売上高合計額は4兆円となった。これはアメリカとの間で半導体摩擦が起きる前と比べて売上高が7年でほぼ2倍に拡大したことになり、「ニッポン半導体」、「日の丸半導体」が世界市場の半分を獲得し、名実ともに世界の頂点に立ったことを世界に知らしめた。

1989年の半導体の売上ランキングでは、世界1位がNEC、2位が東芝、3位が日立製作所、4位がMotorola(モトローラ)、5位が富士通、6位がTI(テキサスインスツルメンツ)、7位が三菱電機、8位がIntel(インテル)、9位が松下電器産業、10位がPhilips、であった。

この事態にアメリカ政府はさらに態度を硬化させ、日本政府に対して不平・不満を言って、日本の半導体のシェア拡大を厳しく批判した。

この協定によって四半期ごとに政府が外国製半導体の市場シェアを調査する「シェア・モニター」が行われることとなった。なお、協定文言上含まれた20%という「数値目標(Numerical Target)」は先述のサイドレターに淵源があるが、外国製半導体のシェアが下がる度に、米国側が日本政府に対し一方的に緊急会合を要求し、目標の「順調な移行」のための「特別措置」も求めることとなった。

後の実証研究によると、日本の半導体メーカーの体力に最も打撃を与えたのは、ダンピング調査よりもこの数値目標だったとされる。今日に至るまで、このサイドレターに発する「数値目標」は日米貿易交渉の失敗の教訓として語り継がれることが多い。

この「第二次半導体協定」の発効によって、1992年には日本の半導体市場における外国製のシェアが20%を超え、世界売上ランキングでもNECが失速し、米国のインテルが1位となった。同時に世界DRAM市場では、韓国のサムスン電子が日本メーカーを抜き、シェア1位となった。
1993年には世界シェアの首位が日本から米国に移った。その一方で、公正市場価格の制約を受けない韓国の半導体が急伸してきた。

1996年の半導体の売上ランキングでは、世界1位がIntel(インテル)、2位がNEC、3位がMotoroka(モトローラ)、4位が日立、5位が東芝、6位がTI(テキサスインスツルメンツ)、7位がSumsung(サムスン電子)、8位が富士通、9位が三菱電機、10位がSGS-Thomson、であった。

1998年には日本の半導体と韓国の半導体の年間売上高が並ぶこととなった。こうして、日本の半導体産業はアメリカ政府の期待通りに弱体化したのである。

1996年の「第二次日米半導体協定」の失効に際しては、失効後の枠組みに関する交渉が民間に委ねられ、日本側の代表として日本電子機械工業会(EIAJ)、アメリカ側の代表として米半導体工業会(SIA)が交渉に臨んだ。交渉は難航したものの、世界半導体会議と主要国政府会合の設立と、外国製半導体シェアを調査するシェア・モニターの廃止が決まった。また、1999年には半導体ユーザー協議会が解散した。

米国の制裁を成長の糧にしたファーウェイの強靱さ

大谷イビサ 編集●ASCII によるストーリー •3 時間

 先日、ファーウェイ(華為技術)の法人事業の最新動向についてプレスブリーフィングを受けた。近年、ファーウェイは米政府による制裁の影響で、スマホの端末事業が大きく落ち込んでいるが、意気消沈している様子はまったくない。研究開発費を年間売上の1/4にあたる3兆円規模に引き上げた結果、スマホ端末と通信機器というコアビジネスをさらに強化し、クラウドと電力という2つのビジネスを急成長させている。

米国の制裁を成長の糧にしたファーウェイの強靱さ© アスキー 提供

米政府の制裁からはや4年 年間3兆円規模の研究開発費で戦う

 中国の通信機器メーカーであるファーウェイが米政府の制裁の対象となり、早くも4年が経つ。半導体の輸出規制を受け、5Gスマホのチップ供給がストップされており、現時点でもAndroidのGoogle Mobile Serviceも利用できない状態だ。トランプ政権に引き続いてバイデン政権も米国におけるファーウェイ製品の販売を事実上禁止しており、2023年に入ってからは全面禁輸までちらつかせている。

 厳しい制裁を経て、一度はサムスンやアップルに匹敵するシェアまで拡大したファーウェイのスマホの端末事業は一気に1/3まで縮小した。公開されたファイナンシャルハイライトを見ると、2020年に8914億元(約18兆円)だった売上高は、2022年度は6423億元(約13兆円)まで縮小している。純利益も356億元(約7169億円)と、2021年度から約1/3まで下落した(レートは2023年9月時点)。

 しかし、制裁慣れしてきたファーウェイは技術力で勝負することを選んだ。これまで10%台だった売上に対する研究開発費を2022年度には25.1%まで引き上げた。もちろん、売上減少による相対的な増加ではなく、研究開発費自体の額が上がっているため、1年で3兆円以上が研究開発費に充てられたことになる。研究開発費で国内トップを誇るトヨタ自動車でも約1兆円で、北米でも3兆円を超える企業はアマゾンドットコムなどごく少数なことを考えると、3兆円という金額のインパクトがわかる。

 そして、投資の成果は、既存事業の強化や新規ビジネスの立ち上げのみならず、知財として他社に対してもライセンス供与されている。2022年末までに同社が保有する有効な特許は12万件を超え、自社の特許のロイヤリティー収入は、他社に支払うロイヤリティーを上回っている。

立ち上がる新ビジネス 電力とクラウド

 こうした技術開発もあり、制裁期間中ファーウェイは新しいビジネスを育てることに成功した。電力とクラウドの2つだ。

 デジタルエネルギー事業はパワーコンディショナー、蓄電器、整流器電源、UPS/空調、モジュール電源などを製品とソリューションから成り立つ。シンプルなバッテリにITを組み合わせることで付加価値を高めており、スマホ端末で培ってきた急速充電、基地局やデータセンターのクーリング、省エネなどのテクノロジーも積極的に注ぎ込んでいる。

 もう1つのクラウドコンピューティング事業は、約5年前にスタートしている。後発でありながら、すでにアリババ、テンセントに次ぐ3位のシェアを拡大しているという。こちらの強みは、政府系、医療、交通、社会インフラなど業種や業界に特化したソリューションの提供。この数年でAI分野に対しても莫大な投資を行なっており、基礎研究や製品開発を進め、顧客と数多くのAIプロジェクトに投入している。

 両者の2023年上半期の売上はクラウドが241億元(約4853億円)、電力が242億元(約4873億円)とほぼ拮抗しているが、この数年でより大きな成長を遂げると見られている。

通信機器は制裁の影響をほぼ受けず、端末事業も復活へ 

 2023年の上半期(1~6月期)は売上高こそ前年同期比3.1%増の3109億元(約6兆2615億円)だが、純利益は約3倍に拡大した。

 個人ユーザーからするとファーウェイはスマホやモバイルデバイスの会社だが、コアビジネスは通信キャリア向けのネットワーク機器だ。このネットワーク機器のビジネスは、実はほとんど制裁の影響を受けておらず、シェアも世界の第3位をキープしている。最近はストレージやエッジコンピューティングなど幅広いICT製品も取り扱っており、2023年の上半期(1~6月期)では1672億元(約3兆3674億円)と全体の半分以上の売上をたたき出している。

 また、落ち込んでいたスマホ端末事業だが、先日発売開始されたばかりの「Mate 60 Pro」はすでに爆発的に売れており、復活の兆しが本格化してきた。制裁で入手不能だった5Gチップは自社開発したと言われており、搭載端末が7億台にもおよぶHarmony OSとあわせて、海外へ依存せずに最新の端末を提供できる体制が実現したと言える。

 ファーウェイのこの数年を追ってみると、米国政府がなにより恐れたのは、制裁を糧に成長してしまう同社のこうした強靱さだったのではないかと思える。円安、物価高、人材不足、国際情勢など、経営悪化の理由となる要因はいくらでもあるが、国家的な経済制裁を受けつつも、復活を遂げてしまうファーウェイの強靱さは日本企業も見習うべきだと思う。

 入手したコーポレートプロファイルの冒頭、ファーウェイ 輪番会長 徐直軍氏は、「梅の花は厳しい寒さを経てこそ、いい香りがします」と書き出している。穏やかな表現ながら、制裁という「厳しい寒さ」を経て、より高みを目指すという、同社の現状と決意を一文で知ることができる。不死鳥のようにファーウェイは復活を遂げるのか、下期の業績に注目が集まる。


中国チタンメーカー、アップル新機種発表で需要増見込む

Reuters によるストーリー •5 時間

[北京 13日 ロイター] - 中国のチタン業界団体幹部は13日、米アップルがフレームに軽量金属のチタンを使った新モデル「iPhone15プロ」を12日に発表したことを受け、チタン需要が増加するとの見通しを示した。
中国有色金属工業協会(CNIA)傘下のチタン業界団体の幹部によると、同機種の生産に伴い、今年のチタン需要は3─4%の最大1万トン押し上げられる見込み。
CNIAによると、年間に世界で生産されるチタンとチタン合金の24万トンのうち、60%以上が中国産。
CNIAの幹部ら市場関係者は、アップルがステンレスではなくチタンを使うことで、他社もこれに追随し、追加需要が生まれる可能性があると指摘した。
CNIAの幹部は「アップルに続き、他社も自社製品にチタン合金を使い始めることになり、チタン需要拡大の明るい材料になる」と述べた。
中国はiPhoneの最大生産国でもあり、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業傘下の富士康科技集団(フォックスコン)が、中国中部の大規模工場から海外に出荷している。
同幹部によると、現在チタンの約40%が化学部門、30%超が航空宇宙部門で使用されている。一方、電子機器部門は10%未満だが、需要は大きく拡大する可能性があるという。
CNIA幹部は、チタン合金は耐腐食性に優れており、軽量で強度も高いが、全ての供給業者が製造できるわけではないという。
同幹部は「技術的な壁がある上、アップルのような国際企業は高い水準の製品を求めている。新参企業で市場が埋め尽くされることはないだろう」と指摘した。

マレーシアがレアアースの輸出禁止へ、中国への影響は―中国メディア

Record China によるストーリー •8 時間

13日、観察者網は、マレーシアのアンワル首相がレアアースの輸出を禁止することを発表したと報じた。© Record China

2023年9月13日、中国メディアの観察者網は、マレーシアのアンワル首相がレアアースの輸出を禁止することを発表したと報じた。

記事は、アンワル首相が11日に下院に提出した報告書の中で持続可能性と責任の原則に基づき、鉱物産業の全体的な発展を促進するため、新たな国家鉱物政策を起草することを決定したことを明らかにしたと紹介。報告書によると、国内のレアアース資源の詳細なマッピングを作成した上で「最大のリターンが得られるようにする」ために、採掘から加工、輸出までの統合生産モデルを計画する予定で、2025年にはレアアース産業が同国の国内総生産(GDP)に95億リンギット(約3000億円)貢献し、7000人の雇用を創出すると見込んでいることを伝えた。

一方で、同首相は新たなレアアース政策の一環となる輸出禁止案がいつ発効するかは明らかにせず、オーストラリアの大手レアアース企業ライナスが同国で運営し、かねてより地元住民から環境汚染に関する苦情が寄せられてきた世界最大規模のレアアース加工工場の操業に影響を与えるかどうかについても明言しなかったとしている。

また、マレーシアのレアアース輸出禁止政策が中国に与える影響について、レアアース業界に詳しいデイビッド・メリマン氏が英ロイター通信に対し「禁止措置の詳細が分からないため具体的な影響は分からない。ただ、中国企業は中国南部のレアアース加工施設の原料として、他のアジア諸国でレアアース化合物の調達を目指しているため、何らかの悪影響が及ぶ可能性はある」と述べたことを伝えた。

記事はさらに、ロイター通信が11日に「他国が重要なサプライチェーンを中国から遠ざけようとしている時にマレーシアがレアアース禁輸政策を打ち出した」と「中国脅威論」に絡めて報じたことに触れ、マレーシア地質研究所の所長が「現在、中国は世界有数のレアアース生産国であり、探査から採掘、加工、生産に至るまで、知識と技術の面では世界一だ。 ウィンウィンの取引ができれば、マレーシアにとっても良いパートナーになるだろう」と述べ、中国を脅威と捉えない姿勢を示したと伝えている。(翻訳・編集/川尻)

米国は30年前と同じ、半導体交渉当事者がみる米中対立

日経ビジネス

2020年10月23日 2:00

元日立製作所専務の牧本次生氏。96年のバンクーバーにおける日米半導体協定の終結交渉で日本側の団長を務めた

半導体をめぐる米中の対立の余波を分析する。今回は、歴史をひもときながら米中半導体戦争の本質を探る。歴史は繰り返すのか。

「このままでは中国は八方ふさがりだ。まるで30数年前と同じですよ」

こう話すのは元日立製作所専務の牧本次生氏。1986年から10年間続いた日米半導体協定の終結交渉で日本側団長を務めた、半導体産業の歴史の証人だ。米国と中国が繰り広げる半導体をめぐる対立に日米半導体摩擦を重ね合わせる日本人は多い。牧本氏は「ここで覇権争いに負けたら、中国は30数年前の日本のように競争力がそがれるだろう」と警鐘を鳴らす。

米国は2020年9月に華為技術(ファーウェイ)に対する輸出規制を発効し、中芯国際集成電路製造(SMIC)向けの製品出荷にも規制をかけた。「『一国の盛衰は半導体にあり』をよく理解している米国は、ファーウェイやSMICへの禁輸など、中国のエレクトロニクス産業の生命線を絶とうとしている」(牧本氏)

牧本氏は、最先端半導体の製造技術で中国に追いつかれないよう米国が神経をとがらせていることに注目する。微細化に欠かせない露光装置を手掛けるオランダの装置メーカー、ASMLの機器や技術が中国に渡らないよう、米国は19年からオランダ政府に働きかけてきた。

国防の観点から米国が警戒心

「米国の半導体関係者を刺激したのも日本の先端半導体開発プロジェクトだった」。牧本氏はこう記憶をたどる。

1970年代、米国ではIBMがICを大きく上回る性能の大規模集積回路(LSI)を使ったコンピューター「フューチャーシステム」の構想を進めていた。これに対抗すべく76年に日本で立ち上がったのが「超LSI技術研究組合」。富士通や日立製作所、三菱電機などが参加した官民連携計画で、コンピューターの中核となる超LSIを開発することが目標だった。シリコンウエハーに回路パターンを転写する露光装置など半導体製造技術の発展に大きく貢献し、その後の半導体材料や製造装置などの川上産業の強化につながった。その結果、「国防の観点から米国が日本の半導体産業に大きな警戒心を持つようになった」と牧本氏は分析する。

官民プロジェクトの成果もあり、日立製作所や富士通、NECなど「日の丸半導体」の中核製品だったDRAMは世界市場を席巻した。81年には64キロビットDRAMのシェアで日本メーカーは合計70%を占め、米国の30%を大きく上回った。米国の雑誌に「不吉な日本の半導体勝利」と題した記事が出るなど、日本脅威論が米国内に広がっていった。

「日本の半導体メーカーが不当に廉価販売している」。85年6月、米国半導体工業会(SIA)が日本製半導体をダンピング違反として米通商代表部(USTR)に提訴した。ここから日米政府間交渉が始まり、1年後の86年9月に締結したのが日米半導体協定だった。(1)日本市場における外国製半導体のシェア拡大、(2)公正販売価格による日本製半導体の価格固定――。協定で定められたこの2つの取り決めが「日本の半導体産業が弱体化する1つの引き金になった」と牧本氏は振り返る。

「85年は日米経済関係が一番緊張した時代に入った頃だった。米国が一番うるさかったのは、繊維、通信機器、自動車で、アメリカの財界が悲鳴をあげていた。日本からアメリカへの輸出過多の品目に一つ一つ手当てをしていった記憶がある」。故・中曽根康弘元首相はインタビュー形式の著書『中曽根康弘が語る戦後日本外交』でこう触れている。

公正販売価格でじわじわと競争力を失う

対日貿易赤字が拡大し米国企業の業績が悪化する中、高品質で低価格の「メード・イン・ジャパン」製品の勢いをどう食い止めるか。米国が狙い撃ちしたのが「日本の技術力の象徴だった半導体、しかも強いDRAM、巨大な日本市場だった」(牧本氏)。日本の半導体産業は世界で圧倒的な存在感があっただけに、持ちこたえられるだろうという甘い読みがあった。

その後の日本のDRAM産業は、気付かないまま競争力を失っていった。日本の半導体産業は米国からたたかれたイメージが強いが、内部にいるとぬるま湯のようだった。(日米半導体協定の)公正販売価格がじわじわと麻薬のように効き、開発意欲が失われていった」。総合電機メーカーの半導体部門OBはこう証言する。

協定によって決めた最低価格以下では販売できないため固定価格になり、その価格が高く安定していたため各社のDRAM事業は「特段なにもしなくても高い利益率を得られる状況だった」(同幹部)。他社と新製品の技術開発で競争をしようというモチベーションがなくなった日本企業は、現状維持に甘んじるようになった。短期的にはマイナスの影響が見えづらかった日本製DRAMの価格安定は、後に韓国企業が安値で攻勢をかける要因にもなった。

100%の報復関税に衝撃受け半導体減産

日本市場における外国製半導体のシェア拡大という協定も半導体産業の競争力をむしばんだ。日本の電子機器メーカーは、半導体の調達額の5分の1程度は外国製を買わなければならなかった。協定締結の翌年には「日本が半導体協定を守っていない」として米政府が日本製のパソコンやカラーテレビ、電動工具に100%の報復関税をかけるなど、強硬な手段もいとわなかった。

「DRAMは需要がある分だけつくれ」。報復関税に衝撃を受けた日本側は、通商産業省(現経済産業省)が半導体メーカーに指示を出した。各社は減産を余儀なくされ、その結果、外国製半導体の日本市場でのシェアが拡大していった。

何をやるにしてもがんじがらめだった。『もうDRAMをエース格の事業としては扱えない』との雰囲気が広がった」。牧本氏は、日立では日米半導体協定の締結後すぐに別の半導体に経営資源を移そうという議論が始まったと明かす。

企業側だけではない。日米半導体摩擦の心的外傷は大きく、超LSIプロジェクト終了後は半導体関連の大きな国家プロジェクトがなくなった。80年から90年代半ばまで大型の官民プロジェクトがなかった時期を牧本氏は「空白の15年間」と呼び、「その時期に米国や欧州、韓国などが産官連携による半導体産業の強化策を次々と打ったのも日本半導体の産業基盤の足腰が弱くなった要因」と指摘する。

十分に競争力をそいだはずなのに…

86年に日本は半導体の世界シェアで46%を取って米国を追い抜いたが、93年には米国が日本を逆転して首位に返り咲く。日本の競争力が十分にそがれた96年にようやく日米半導体協定は終結を迎えることになるが、牧本氏は米国が終結交渉で見せた執念深さに驚きを隠せなかったという。

96年2月にハワイで始まった交渉は、「日米の思惑が180度違った」(牧本氏)。日本側が「不公平な協定を一刻も早くきれいに終わらせたい」と交渉に臨んだのに対し、米国は「協定が完全になくなればまた日本がダンピングをするかもしれない。エッセンスを残そう」と主張。引き続き政府を関与させることを提案してきた。

5回に及ぶ会合を経て、牧本氏らは政府関与をなくすことを米国側に飲ませた。その一方で、日本市場での外国製半導体のシェア確保を目的とする協議会を3年間残すことを承諾せざるを得なかった。協定下の10年間で日本市場の外国製半導体シェアは20%を超えるまでに拡大していたが、米国側はどこまでも日本半導体の復活の芽をつもうとしていたのだ。

86年には世界の半導体メーカートップ10のうち6社を占めていた日本勢。しかし、最新の2019年にトップ10に入ったのは東芝から独立したフラッシュメモリーのキオクシアホールディングスのみ。日米半導体協定によって牙を抜かれた日本のDRAMは日立とNEC、三菱が事業を統合させてエルピーダメモリとして再出発したが韓国や台湾との投資競争に敗れて経営破綻した。東芝はDRAMを捨ててフラッシュメモリーに集中し、世界2位を堅持してきたが、システムLSI事業からの撤退を9月に決めた。富士通やパナソニックも半導体事業や工場を海外企業に譲渡した。

1986年には半導体売上高トップ10のうち日本企業が6社を占めるほどの隆盛を誇ったが、各社の半導体部門は徐々に本体から離れ、規模も縮小。多くの事業が最終的に売却や撤退に追い込まれた

日本の半導体メーカーの衰退には3つの遅れが関係している。パソコン市場の急激な拡大に乗り遅れ、総合電機メーカーの1事業だったために設備投資の意思決定も遅れたファウンドリー(半導体受託製造)や設計専業などの水平分業への対応も遅れた。ただ、「日米半導体協定がトリガーとなって競争力がそがれたのはやはり大きかった。その後は冷え切った半導体への熱を取り戻せていない」と牧本氏は悔やむ。

一国の盛衰は半導体にあり」。牧本氏は結局、この認識があるかないかが日本と米国の違いだったと振り返る。日本は半導体摩擦で敗れた結果、国内市場を開放し、産業振興も影を潜め、企業は巻き返しのすべを見つけられなかった。

「もっと一緒にできないか」

牧本氏は「中国はここで負けたら国の将来に関わるとして必死に反撃するだろう」と予測する。米国に反発する中国には復活シナリオがまだ残されている

「米国の攻撃は終わりが見えないが、必ずアジアの時代が来る。もっと一緒に何かできないか」

ある国内半導体メーカーの経営幹部は最近、中国・清華大学の教授からこんな連絡をもらって驚いたと明かす。習近平(シー・ジンピン)国家主席の母校で、半導体を中心としたハイテク産業振興をけん引する清華大学。その姿勢から見えてくるのは、攻め手を止めない米国を前にしても、中国が決してあきらめていないということだ。

日米半導体摩擦からの学びが、中国を徹底抗戦へと向かわせたというのはうがち過ぎだろうか技術の覇権争いであきらめない中国の姿勢こそ、今の日本が学ぶべきことなのかもしれない。

(日経ビジネス 岡田達也)

[日経ビジネス電子版2020年10月21日の記事を再構成]


参考文献・参考資料

米国の制裁を成長の糧にしたファーウェイの強靱さ (msn.com)

中国チタンメーカー、アップル新機種発表で需要増見込む (msn.com)

マレーシアがレアアースの輸出禁止へ、中国への影響は―中国メディア (msn.com)

日米半導体協定の終結交渉の舞台裏、「まさに戦争だった」 | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)

米国は30年前と同じ、半導体交渉当事者がみる米中対立 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

日米半導体協定 - Wikipedia

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