見出し画像

鳥たちのさがしもの 4

少年は地図を探していた。海の見える駅のホーム。女子高生が3人。潮風に首をすくめ、オクターブで笑い声をあげる。警笛を海鳴りが追い立て、やって来た列車が彼女たちをさらっていくと、猫が一匹うずくまっていた。

 **********

 五人で品川駅で待ち合わせ、JR横須賀線に乗り込んだ。時間的には戸塚まで東海道線を使った方が早いが、これなら乗り換えなしの一本で行ける。通勤のピークを外したので五人で並んで座ることができた。そもそも下り電車なので乗客はそう多くは無かった。おそらく同じく鎌倉を目指しているだろう、学生らしき年齢の客が目立つ。
 電車内はくだらない話に終始した。鎌倉に到着するまでの凡そ一時間はいつも通り斑鳩の独壇場だった。いつも通り孔雀が相槌を打ち、いつも通り燕がにこにこと笑いながら話を聞いている。燕も、いつも通りに見えた。特に何か気負っている様子もない。やはり雲雀の考え過ぎだったのかもしれない。考えすぎるのは自分の悪い癖だと自分で分かっていた。
 夜鷹は話を聞いているのかいないのか、ずっと窓の外を見ている。これもいつものことだ。そして雲雀は、そういう時に夜鷹がきちんと話を聞いていることを知っていた。何もかもいつも通りだった。それでも、鎌倉という場所に向かっていることの非日常性が、何かしらの可能性を感じさせる。
 鎌倉駅周辺は予想外に混んでいた。それを見てやはり夏休みなのだということを思い出す。本来チェックインは午後からなのだが、燕が事前に電話をして宿泊の荷物を預かってもらえるようお願いしてあったので、一度改札を出て宿に向かった。身軽になって駅へ戻る途中で弁当を買い、江ノ島電鉄、通称江ノ電に乗り込む。
 由比ヶ浜、稲村ケ崎、七里ヶ浜…歌や映画に出てくるような地名が続き、斑鳩の興奮は冷めやらない。誰それの歌に出てくるという話が後を絶たなかった。対する孔雀も、有名なバスケ漫画の名前を挙げ、この辺がモデルなんだぜ、と話している。
 鎌倉高校前駅。
 それらの有名な駅名を通り越し、馴染みのない名前の駅で降りて、雲雀はあっと思った。
「燕、ここ……」
 思わず声に出して呟いたが、それは斑鳩と孔雀の歓声に搔き消された。駅からすぐ目の前に海が広がっている。驚くほど近くに江の島が見えた。文句ない快晴に一面に広がる海。鎌倉駅とは異なりこの辺りはまだ人影がまばらだ。自分たちだけの夏休みとでも言ったような風景に、一気に気分が盛り上がったのも無理は無かった。しかし雲雀はそのことよりも、この風景が、先日燕が見せてくれた写真に写っていた場所であることの方が衝撃的だったのだ。あの写真には駅の案内板を指差しながら談笑している女子高生の姿があったが、今は五人以外誰も居ない。
「気がついた?」
 今にも走り出しそうな斑鳩と孔雀の様子をくすくす笑って眺めながら燕が言った。どうやら聞こえていたらしい。
「とりあえず海まで行こうよ。そうしないとあの二人が収まらない」
 改札を抜けると、二人は本当に海に向かって駆け出した。その後をゆっくり追って歩きながら、雲雀は燕に尋ねた。
「まさか、あの写真に写っている場所を全部巡る気か?」
「違うよ。言ったとおり、僕が行きたいのは一箇所だけ。ここはたまたまその通過点にあったんだ」
 夜鷹は少し前を同じようにゆっくりと、ひとりで歩いている。
 あの写真はいったい何なんだ?喉元まで出かかった言葉を雲雀は呑み込んだ。何故だか、まだ訊いてはいけない気がしたのだ。しかし燕は察したように言葉を続けた。
「もう少ししたらちゃんと話すよ。……雲雀、ありがとう」
「何が?」
「あの日、港について来てくれたことも、鎌倉行きの背中を押してくれたことも、何も訊かないでいてくれたことも、全部」
「たいしたことはしてない」
 慣れているんだ。目の前で起きたことだけに集中して前後は考えない。そう続けようかとも思ったがそれもまた止めた。
 国道を渡ってスロープを降りると、そう広くはない砂浜が現れた。斑鳩と孔雀が既に波打ち際に並んで海を見ているのが目に入る。波が意外と高い。ざーっという波の音は、夏休みの気持ちを盛り上げたというよりは、雲雀の心をとても落ち着かせた。斑鳩と孔雀も同様だったのか、先程までの様子とは異なり大人しく海を見ていたが、三人が追い付いたのに気がつくと振り返って大きく手を振った。
「すげえな。やっぱ東京のごちゃごちゃした港と全然違う」
「でかすぎて呆れた」
「二人とも、まるで初めて海を見るみたいだね」
 燕が再びくすくす笑うと、二人は首を傾げた。
「確かにな。そんなはずはないんだけど、なんか響いた」
「俺も」
「きっと鎌倉だからだ。燕、ナイス提案。……あ、でも、お前の行きたいところって海じゃないんだろ?」
「うん。あっち側。むしろ山の方だよ。でも、もうしばらく見ててもいいよ、海」
「さすがに泳ぐ準備はして来なかったからな。見るだけならいいや。もう十分。また夜、海に来るし」
 斑鳩はそう言ったが、そのまま少しの間五人で並んで海を見ていた。太陽は既に随分と高い位置にある。その分、空全体が明るく見えた。絵に描いたような入道雲が水平線からせり上がっていて、よくある小学生の夏の思い出みたいな風景だった。
 波の音が絶え間なく聞こえている。少し遠くで聞こえる誰かの歓声も”思い出”感を強くして、感傷に負けそうになった。どうしてこんなに懐かしい気持ちになるのだろう。
「何しんみりしてるんだよ」
 それまで自分も無言で海を見ていたくせに、斑鳩がにやりと笑って言いながら大きく伸びをした。
「うるさい。ぼうっとしていただけだ」
 自分だけが言われたわけでもないだろうが、雲雀は言い訳がましく反論した。そのやり取りを合図に孔雀が、そろそろ行くかと踵を返す。振り返って見た駅は、山際に佇むただの小さな駅に見えた。

**********

少年は約束を探していた。外人墓地へと続く坂道。木漏れ日がアスファルトにプロジェクションマッピングを描く。風が枝をなでるたび、光の絵が変幻する。猫がついてこいと言いたげに前をゆく。古い教会の鐘が鳴った。

**********

 鎌倉は、山と海が徒歩で行き来できる程近い珍しい地形だ。鎌倉高校前駅から海と反対に向かって歩くとすぐに坂道になる。手前側には山肌に沿うようにして住宅街が広がるが、奥に行くといかにも山という豊かな緑溢れる風景が広がっていた。住宅街と接するようにして鎌倉広町緑地という広い公園施設があり、散策コースとして人気らしいが、燕の目的地はそこでもなかった。
「こっちに行くと外人墓地なんだ。でも、僕の目的地はこっち」
 そう言いながら、あまり整備されていない山道に入って行く。舗装された道ではなく、申し訳程度に木で補強された山道の階段が続いていた。微かに教会の鐘の音が聞こえる。
「おい、こんなところに本当に何かあるのかよ」
 斑鳩が辺りを見渡しながら燕に尋ねた。不安そうというよりは、会話の一環のようだった。
「ここはね、天狗山っていうんだよ。もう少し上に行くと、海が良く見える」
「結局海なのか?」
「それは着いてからのお楽しみ」
「変な奴。……まあ、こういう冒険みたいなのもたまにはいいか。道に迷ったりしないだろうな」
「スマフォの電波、まだ届いてるだろう?」
「何だよ、自信ないのか?」
「多分大丈夫」
 暫く歩くと木で補強された階段すら無くなり、突然行き止まりになった。斑鳩が説明を求めるように燕を見たが、燕は迷うことなくうず高く積まれた枯れ葉や枝の一部を掻き分け始めた。するとそこから、古い板切れが現れた。そしてそれをどけると、その向こうに、小さな石のトンネルが現れた。

『わたしはわたし』-ヨタカ(夜鷹)

画像1

-----

この物語は、dekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,516件

#この街がすき

43,693件

鳥たちのために使わせていただきます。