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鳥たちのさがしもの 19

少年は背景を探していた。午後の陽のさしこむ図書館の窓辺。スチールの棚に並べられた色褪せた背表紙の群れ。高い天井にヒールの足音が響く。木枯らしが、落ち葉の舞を指揮する。猫がシルエットだけを残して消えた。

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-燕のさがしもの・失われた時間-

 燕は今日も図書館に居た。
 読んでいた本から顔を上げ、午後の陽の射し込む窓辺の席から外を眺める。落ち葉が木枯らしに舞っていた。
 高いヒールの音が響いて振り返ると、知らない女の人の後ろ姿がスチール棚の奥に消えて行った。棚に並んだ色褪せた背表紙の群れ。そこにはまだまだ未知の世界が広がっていた。
 学校の図書室に居るとやたらと声を掛けられるので、最近は学校帰りにこの図書館に寄ることにしていた。
 無意識に心理学や脳科学の本ばかりを手に取っている。それらは中学生の燕には正直言って難しいものばかりで、歯が立たないものも多かった。それでも、手に取らずにはおられなかった。
 あの日、熱を出した翌日。四人に連絡を取ろうとしてチャットから皆の連絡先が消えていることに気がついた。クラウド上にあったはずの五人の共有環境にもアクセスできなくなっていた。
 燕は混乱し、迷った末に夜鷹の携帯に電話をかけた。しかし電話に出たのは夜鷹の父親で、燕は夜鷹の父親から皆が記憶を失ったらしいことを聞いたのだった。翌週にはアメリカに発つからその日で携帯も解約すると言われ、他のメンバーに連絡を取る気力も失せた。もう、五人で会うことはできない。
 その後、当然ながら誰からも連絡は来なかった。しばらく落ち込み、気がついた時にはカレンダーは四月になっていた。孔雀も引っ越してしまった後だろうと思いながらもようやく母親にその話をすると、雲雀と斑鳩も引っ越してしまったと教えられた。
 何があったかは母親も知らないという。どうせもう新しい中学校に行くのだから、忘れなさい。すぐに新しい友達ができるわよ。
 燕を元気づけようと思ってわざと明るく言ったのだとは思うが、燕はそう言われた瞬間、母親はやはり燕のことを何も解っていないのだと感じた。
 小学校五年生になって初めて仲の良い友達ができたのは、燕が変わったからではない。あの四人だったから仲良くなったのだ。
 いくら”それなりの水準の”人たちが通う私立中学校に行ったって、新しいクラスになったって、あの四人と同じように仲良くなれる同級生が居る可能性はかなり低い。
 しかし燕自身も、自分がどんなに難しい本を読んだからといって、四人の記憶を取り戻せるとは思っていなかった。それでもせめて、何があったのか知りたかった。だからついつい記憶喪失に関わる本を手に取ってしまうのだ。
 ただ、燕は僅かな可能性に賭けていた。
 四人は全ての記憶を失ってしまったわけではないらしい。もしかしたら皆は憶えているかもしれない。同じ高校を受験しようという約束を。
 高校生になるまでに、できるだけのことをしたかった。もし、高校で皆に再会できなければきっぱり諦める。そう心に決めた。
 燕はあの日、無理してでも皆と一緒に行かなかったことを後悔していた。もう二度とこんな後悔をしたくない。中学校の三年間はただの背景でいい。

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少年は鏡を探していた。雪の朝。消えてしまった道のあちこちで光が乱反射する。枝は限界までしなって弾け、雪煙を巻き上げる。ランドセルの一団が投げ合う白銀の球は空中で割れ、家の軒下には猫の足跡が残っていた。

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 ランドセルの一団とすれ違って、燕の胸はきゅうと締め付けられた。
 楽しそうに白銀の球を投げあいながら通り過ぎる子供たちを、小学生時代の自分たちに重ね合わせる。
 こんな冬の日に、”鏡”を探したことを思い出した。
 積もった雪でどこが道路だか分からない。あちらこちらで乱反射する光を鏡に見立てて写真を撮った。それを皆に見せて説明した場面もありありと思いだされた。秘密基地にも雪が積もって真っ白で、それなのにちっとも寒くは感じなかった。
 家の軒下に猫の足跡を見つけて、燕はまた一段と切なくなる。イーグルも、一体どこに行ってしまったのだろう。
 みんな、消えてしまった。 

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少年は問いを探していた。誰もいない放課後の理科室。鍵のかかった薬品庫。化学記号のラベルは文字が滲んでいる。棚のフラスコを冬の薄い光が照らし、イチョウの幹で猫が鳴く。窓辺に顕微鏡が一台、忘れられていた。

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 あと少しだ。
 誰も居ない放課後の理科室で、鍵のかかった薬品庫を眺めながら燕は思った。棚のフラスコを冬の薄い光が照らしている。
 二月も後半。あとひと月で卒業だ。小学生の時はあんなに卒業式が嫌だったのに、今はそれがとても待ち遠しい。
 先日、無事志望校に合格した。今自分にできることは全てやった。あとは、高校入学を待つだけだ。受験会場でも合格発表の場でも他の四人を見つけることはできなかった。しかし燕は希望を捨ててはいない。
 何度鷲宮神社に行って、石のことや、石が戻っているかどうかを訊きたいと思ったことだろう。
 あの日、石を戻したから何かが起こったのか、石を戻すのに失敗したからこうなってしまったのか、それとも石は何も関係ないのか。
 しかし、鷲宮神社へ行くことが全ての可能性を潰してしまうかもしれないと思うと怖くて出来なかった。
 何故?
 なぜ?
 どうして?
 何があったの?
 中学校三年間はその問いの繰り返しだった。誰も答えてくれない問いかけ。窓際に忘れられた顕微鏡を自分みたいだと思った。
 先程たまたま廊下で会った先生に頼まれた通り、顕微鏡を棚に戻してから、昨日図書館で見つけた新刊に思いを馳せる。
 藍炭尊あいずみたける。あれは夜鷹の父親の本に違いない。研究の内容は難しかったが、実験のくだりは今の燕ならば理解できそうだった。それに、あの若い被験者は夜鷹ではないのだろうか。淡い期待が頭を掠めた。
 実験が成功していなくてもいい。夜鷹の消息を知ることができるだけでも燕には嬉しかった。
 昨日家に帰ってから、本の奥付にあった情報を元に夜鷹の父親の所属する研究チームのインターネットサイトを見つけた。英語のサイトだったが何とか読めそうだった。そこに、研究についての問い合わせ先のアドレスも載っていた。万が一高校で再会できなくてもそこから夜鷹だけにはアクセスできるかもしれない。
 気がはやった。さっさと先生に報告をして図書館に向かおう。

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少年は恵みを探していた。木漏れ日の降りそそぐ緑陰を抜けた先の池。忘れ去られた小舟が一艘。柳の下でまどろんでいる。猫が跳び乗る。天から雫がひと粒。水紋をリズムで重ねる。天気予報が梅雨入りを宣言していた。

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 燕は奇跡に感謝していた。
 入学式の後、緊張して向かった教室に四人の顔を見つけた時には思わず声が出そうになった。当然ながら皆背が伸びていたが、面影があったのですぐに分かった。
 四人は燕の顔を見ても何の反応も見せなかった。しかし燕のことを忘れたままだという落胆よりも、再び会えた喜びの方が大きかった。それに、潜在的にせよやはり四人は約束を憶えていたのだ。まだ可能性はある。
 一緒に居た記憶が無くても、四人の性質は変わっていなかった。五人は再び仲良くなった。
 諦めなくて良かった。
 浜離宮。燕はJR浜松町駅からほど近いその庭園を歩きながら、この後の計画について考えていた。
 木漏れ日の降り注ぐ緑陰を抜けた先の池。柳の下に小舟が一艘浮いていた。今朝、天気予報が梅雨入りを宣言していた。梅雨が明ければ夏が来る。そろそろ計画を実行に移してもいいだろうか。
 生物の授業の課題を見て、燕はまた期待を大きくした。皆のスライドにあった茶トラの猫の画像。きっとみんな、イーグルのことも完全に忘れてしまったわけではないのだ。
 あの写真を見せたら、いや、皆で一緒に鎌倉に行ったら、皆の記憶は戻るかもしれない。
 ぽつりと額に雨粒が当たる。
 池に目をやると、水面で波紋がリズムを奏でていた。
 これは恵みの雨だろうか。それとも、燕はもう一度絶望を味合わなければならないのだろうか。悪い考えを振り払うように早足で池を一周し、駅までの道を急いだ。
 梅雨が明ければ夏が来る。五人の失われた時間を取り戻すのだ。

『秘めた思い』-モモアカヒメハヤブサ

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この物語はdekoさんの『少年のさがしもの』に着想を得ています。


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