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北野天満宮 北野大茶湯之址


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北野天満宮といえば、北野大茶の湯

1587年、天下をほぼ統一した秀吉が、その権勢を世に知らしめるために開催した大イベント。
2年前の1585年には秀吉&後見の利休で正親町天皇に献茶を行っている。
(この際に千宗易あらため利休となる)
1591年の利休最期を迎えるまで「茶の湯と政治」が最高潮に至った時代と言えよう。
ちなみに秀吉が三十三間堂のあたりに大仏を建て始めたのもこの頃1586年。

北野大茶の湯の主なコンセプトは以下。
●10月1日~10日の10日間
 遠国の者のために10日間も開催する
●茶の湯に熱心な者なら身分にかかわらず、粗末な道具で来場OK
 日本人じゃなくてもOK
●秀吉所有の貴重な大名物を展示し、
 身分にかかわらず秀吉自ら点前をし茶を振る舞う
●ここまでやるのに来ない人は今後茶の湯を行ってはならない

さすがに秀吉自ら来場者全員に茶を振る舞うのは難しいので、
筆頭茶道である千利休に加え、津田宗及、今井宗久と合わせて4人がメインの茶席を設け、参加者はくじ引きで4席に振り分けられた。

その他にも参会者がそれぞれ茶席を持つことも許され、
境内には800か所に及ぶ茶点て所が設けられたといわれている。
茶の湯を楽しむ武人たちは競って参加者を集め数寄を衒い楽しんだことだろう。

古田織部を主人公とする漫画「へうげもの」(山田芳裕  講談社)の6巻冒頭ではこの大茶会の模様が描かれるが、
無駄を省いた茶席を追求し、半畳のスペースで主客立ったまま茶を呈す細川忠興、
松の木の上にツリーハウス茶室を仕立てた古田織部、
利休七哲らが個性むき出しで自由に茶を表現し、
周囲から半ば呆れられ、半ば感心され、の姿が描かれ大変楽しい。
織部のツリーハウスに石田三成が乱入してからの当作らしいオチ含め必読。

10日間の予定のイベントは、なんとたった1日で終了する。
1日の夕方に肥後国人一揆が発生したという知らせを受け、という説に始まり、
秀吉が飽きたとか疲れたとか、ただの気まぐれとか、また、思ったより人が集まらなかったからとも言われている。
上出「へうげもの」では、
利休に代わる筆頭茶道を見出すためのイベントであり、
丿貫(へちかん)の席に感じ入った秀吉が目的を果たし満足したものと描かれている。

この丿貫は利休の兄弟子として武野紹鴎のもとで茶を学び、
人里離れ仙人のような暮らしを送り数々の奇行で知られた。
実際に秀吉が北野大茶の湯で、この丿貫の茶席に喜んだというエピソードが後の「茶話指月集」に収められている。

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北野天満宮には、一の鳥居から入り駐車場を抜ける途中に、
「北野大茶湯之址」の石碑がある。

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昭和54年に、京都市茶業組合の創立百周年記念でに建立されたとのこと。

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柳櫻園、一保堂、祇園辻利、、おなじみの店名も。

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